第25話 アルサムの『巫女』―前―
狩猟神アルサムの『巫女』となったマルセーヌ。
『巫女』の役割とは、仕える神の言葉を現世に生きる人々に届けること。ノエルがしていたように神から伝え聞いた言葉をそのまま伝える。この方法だと受け手の資質によっては曖昧な言葉としか伝わらない事があるうえ、歪まされたうえで伝わってしまう事もある。
その点、ノエルは純粋であり優秀。
それが言葉を伝えていたティシュアの言葉だった。
新たな『巫女』となったマルセーヌが選んだ方法はもう一つの方法だった。
「まさか、神降ろしを……」
「ああ。お前たちが望んだ事だ」
自らの肉体に神を憑依させ、自らの口を使わせて神の言葉を告げる。
この方法ならば『巫女』によって歪まされることもない。
ただし、デメリットも存在する。
神の憑依に人間の魂が耐えられるはずもなく、憑依された『巫女』の魂は使い物にならないほどボロボロになってしまい、廃人同然となる。
そんな事が生半可な覚悟でできるはずがない。
だが、マルセーヌは覚悟した。
それが彼女なりの贖罪らしい。
「貴女の選択は確かに見届けました」
ティシュアは、選択肢の一つとして提示した事を後悔していた。
たしかに『巫女』としての修行を積んだマルセーヌなら成功するかもしれなかった。だが、それでも微かに可能性があるだけで成功するとは思っていなかった。
そんな神の予想を覆してしまったのが『神の棺』だ。
あれさえなければ成功していなかった。
「どうするんですか?」
俺も成功するとは思っていなかった。
なので、ここから先どのように動けばいいのか分からない。
「黙っていて」
そんな俺をノエルが黙るように言う。
ただ、これから起こる事を見ているしかできない。
ゆっくりとした足取りでマルセーヌの体を借りたアルサムが神官長に近付く。
「ひっ……!」
神官長はマルセーヌの体から発せられる異様な気配に狼狽えていた。
どれだけ信仰心の薄い神官だったとしても神に仕える者である事には変わりない。神の気配をどうにか感じ取っていた。
すっかり怖気づいてしまった神官長が跪く。
「さて、お前たちのせいでオレは要らぬ面倒を抱える事になった」
「要らぬ面倒?」
「ああ。オレの一部とはいえ、オレの影響を受けた存在が自由気ままに神の力を使って動き回っている。他の神々から苦情が舞い込んで来ていたんだよ」
「がぁっ!」
跪いていた神官長が蹴り上げられる。
マルセーヌの体だったからこそ生きていられているが、降神したアルサムに蹴られていた場合は肉片になっていた。それだけアルサムも怒っている。
「たしかにアレはオレの力を受けていた。けど、現世に降ろされた時、近くにいたお前たちの邪な感情まで流れ込んで来たせいでオレが生きていた頃の欲望だけが暴走した身勝手な存在になった」
「ひぃっっっ!」
すっかり怯えてしまった神官長には興味を失くしてしまった神殿のある一点を見つめていた。
「悪いが、これから神罰を下させてもらう」
「神罰……!」
「おい、誰かそこの床を砕け」
「分かりました」
神殿の隅にある床を砕くよう要請するアルサム。
喜々とした様子のノエルが引き受けていた。
「ま、待ってくれ……!」
そこに何があるのか気付いた神官長が止めようと立ち上がる。
他の幹部神官たちも同様だ。
「あ!?」
だが、アルサムの睨みで足が止まってしまう。
一つだけ注意して欲しいのは今使っている体はマルセーヌの物で、可愛らしい少女だという事だ。睨むと同時に殺気が放たれているから神官たちには通用しているが、こっちには可愛らしい少女が無理をしているようにしか見えない。
「あ~、これはマズいわね」
「分かるのか?」
「一応、これでも冒険者なので財宝とかの臭いには敏感なんです」
「そういうものか」
「逆にわたしとしてはアルサム様が知っていた理由が気になります」
「単純な話だ。ここはオレを祀る神殿だ。神殿内で起こった出来事は全て把握している」
「そういうものか」
世間話のように会話をしながらノエルが錫杖を床に叩き付ける。
特別な力は付与していない。ただ力を込めて叩いただけなのだが、高ステータスでの打撃は床を簡単に砕く。
崩れた先には地下室があった。
「隠し財産ね」
地下室には金貨や宝石がいくつも積み上げられていた。
「信者から得た寄付金を着服した物だろう。一人一人の金額は少なくとも少しずつ、長い時間を掛けてコツコツと溜め込めば大金になる」
「う、うぅ……」
神官長が呻いている。
聞けば副業として商売を始めており、息子が表向きの代表として金を稼いでいたらしい。だが、元手となった金は着服した金であり、何か新事業を立ち上げた時にも使っていたらしい。
他の幹部神官たちも着服していた。
神殿は基本的に金を請求するような真似はしない。あくまでも神殿を利用した人たちから善意による寄付金で神殿の維持や神官たちの生活を賄っているだけだ。
だが、信仰心が薄く、苦しい生活を強いられていたエストア神国の神官たちには耐えられなかった。いつしか国への申告を抑え、神殿の維持に必要な金まで着服し、国から出してもらった補助金にまで手を出すようになってしまった。
祀られているアルサムにとっては許せない事だった。
「別に資金不足から神殿の維持が疎かになるのは構わない。だが、できることをせずに貧しい暮らしを人々に強いているのは許せない」
アルサムが生きていた時代は全ての人が手を取り合わなければならないほど生活が苦しかった。
そんな時代を生きていた者からすれば自分だけが利を得ようなどという考えは許容できるはずがない。
「――罰を与えよう」
「……罰?」
「そうだ。と言っても難しい事を要求するつもりはない」
跪く神官長の前まで行くと一つの種を差し出す。
「これを飲み込め」
「これは……?」
「悪いが、種の詳細については伏せさせてもらう」
「そんな……!」
得体の知れない物を飲み込め、と要求してくる。
普通なら跳ね除けてしまいたいところだが、相手は神であるために受け入れなければいけないという強迫観念に襲われる。
やがて、耐えられなくなると種を受け取って飲み込んでしまう。
「他の奴らも飲め」
神として全てを見ていたアルサムに着服していた事実を隠し通すことはできない。
罪の意識に耐えられなくなった神官たちが種を受け取って飲み込んで行く。
全員が飲み込んだのを確認してから種が何だったのか説明する。
「その種は、動物の体内に寄生して相手の生命力を吸い取って成長する植物の種だ。そんな種を飲み込んだ事が何を意味するのか分かるか?」
「まさか……」
神官長が戦く。
種が体内にあることによって彼らの生命力は常に吸い取られ続けて行く。
そして、吸い尽くされた時、神官長の体を中心に蔓を伸ばして花を咲かせる。
「ここに専用の除草薬がある」
アルサムがどこからともなく液体の入った瓶を取り出す。
種や除草薬は全てアルサムが神気で用意している物であるため簡単に手の中に出現させることができる。
「それをよこせぇぇぇぇ!」
恥もなく神官長が飛び付く。
相手は少女だからこそ自分の力でも奪い取れると思ったのだろう。
「ふん」
「ぐべぇ!」
だが、相手は神そのもの。
神気を微かに利用するだけでも神官長を再起不能にすることができる。
もっとも再起不能にしてしまっては今後に差し支えるため手加減をしている。
「この除草薬だが、着服していた金を全て返金し終えた者から与えて行く事にする」
「……! だったら私は全てを返金します!」
一人の神官が声を上げる。
全てを見ていたアルサムは彼がどれだけの金を横取りしていたのか知っている。
「お前は私的に使うこともなく信者から集めた金を地下室に溜め込んでいるだけだったな」
「はい! 今後は一切手を付けないことを誓います!」
溜め込んでいた金を全て返せば返金した事になる。
……そう、思い込んでいるのだろう。
「そんな甘い話がある訳がないだろう」
「え?」
「あそこにある金は全て本来ならオレの金だ。お前たちの金ではない。返金したいというのなら自分たちの力で稼いだ金だけで返せ」
「そんな……」
神官が崩れ落ちる。
一切、手を付けていなかったはずの金はもう手を届くところにない。
そして、地下室にある金を使えなければ返済など一生掛かっても不可能である事も知っている。
「そうだな。これからは敬虔な信徒として仕えるのなら考えなくもない。今後のお前たちの姿次第ではあるがな」
もう神官長たちに興味を失ったようでこちらへ近付いて来る。