第24話 降神が成功した理由
首都エレンテにある神殿は予想通り大慌てだった。
神殿に詰め掛ける信者たちの対応に下っ端から責任者である神官長まで駆り出されている。神官長は60歳を超えたお爺さんだ。こんな激務に駆り出されている姿を見ていると可哀想になって来る。
「あ、先輩!」
信者の対応をしていた神官の一人が気付いた。
その神官は、マルセーヌの少し後で忙しくなった神殿に下働きとして仕えるようになった少女で、最近になってようやく神職の手伝いも任されるようになった。
そんな少女にとって隣国とはいえ幼い頃から神に仕えていたマルセーヌは憧れの的だったらしい。
「一体、どこへ行っていたんだ!?」
少女が気付いたことで神官長が問い詰めて来る。
さすがに1週間近くも留守にしていれば怒られる。
「全てお話します」
マルセーヌの口からアルサムが討伐された事が語られる。
それは、作物の成長が元通りになった事を示していた。
後ろには信者たちもいるので彼らにも伝わったはずだ。
「なんて事をしてくれたんだ!」
怒った神官長が手を振りかぶる。
マルセーヌは叩かれるつもりなのか目を瞑っている。
「……?」
しかし、いつまで経っても叩かれることのないマルセーヌが目を開ける。
「え……」
そこにはマルセーヌにとっては信じられない光景があった。
マルセーヌの前に出たノエルが神官長の手を受け止めていた。
彼女にとってのノエルは、怒った男性の攻撃など受け止められない戦う力のない女性だった。しかし、今は神官長の手をしっかりと受け止めている。
「彼女は間違ったことをしていません。神に仕えるのが神官の役目ですが、仕える神が暴走しているようなら諭して鎮まってもらうのも神官の役目です。今回は、力によって事態を収めなくてはなりませんでしたが、本来ならアルサムに仕える貴方の仕事だったはずです」
「う、煩い!」
神官長にもノエルの言っている事が正しいことは分かっている。
だが、一度は禁忌を犯してしまった身だけに今さら正しい事だけを述べるような真似はできない。
「う……」
話を聞いていた人たちから怒りにも似た視線が向けられる。
「今日はもう帰れ!」
怒鳴り散らして信者たちに帰るよう言う神官長。
信者たちも呆れたような面持ちで帰って行く。
「ええい! もう、いないと言うのなら、もう一度狩猟神を降ろすだけだ」
本気でアルサムを降神するみたいだ。
部下にいくつかの指示を出して準備を進めている。
そんな様子に呆れるしかなかった。
「神を現世に降ろすのは禁止されているんじゃなかったか?」
「もちろん禁止されているよ。わたしがしていた『神託』がギリギリの範囲。神は基本的に現世と関わっちゃいけないの」
神本人であるティシュアを見る。
苦笑しながら頷いていたので間違いではないのだろう。
それでも神官長たちは強行しようとしている。
「そもそも適性があったところで降神が上手く行くとは思えませんね」
マルセーヌが成功してしまったのは本当に偶然。
そうティシュアは思っている。
だが、神官長の指示で運び込まれた祭壇を見た瞬間、彼女の視線が祭壇へ釘付けになった。
「あれは……」
「何か?」
「道理でマルセーヌでも降神が成功するはずです」
一人、納得しているティシュア。
説明を求めたところ教えてくれた。
「あの祭壇……のように見えますが、棺には神を封印する為の力が込められています」
棺に閉じ込めることによって神の力を封印。
しかも封印した神の力を利用して物理的な封がされるようになっている。
「それってヤバイ代物なんじゃ」
「もちろん、アレを使える人材がいて完全な代物だったなら、の話です」
今では使い方を熟知している者はいない。
それに不完全な物らしく封印できるほどの力はない。
「せいぜい神を引き付けるぐらいでしょう」
「それって……」
「はい。あの神具がある場所では神を降ろしやすくなっています」
アルサムを祀る神殿で使われた。
そして、神に対して適性があったマルセーヌがいたからこそアルサムは現世に降りて来ることができた。
「もしも、もう一度使えば……」
「高確率で成功するでしょう」
ティシュアも先ほどまでのように笑って見ていられなかった。
それだけ成功させる確率が高いという事だ。
「もちろんマルセーヌが行った場合の話です。彼女以外――この場にいる神職たちが降神を行ったところで成功するはずがありません」
ティシュアに言わせると神官長を始めとした幹部連中に信仰心はなく、信者たちから金を巻き上げることしか考えていない。
神殿で働いている巫女や神官にしても事務的に祈りを捧げているだけでメンフィス王国で行われていたような厳しい修行を受けた訳ではない。
そのため神を降ろせるほどの適性はないらしい。
「後は彼女が何を選択するかです」
女神らしく見守ることにしたティシュア。
やがて、祭壇の準備が終わったらしく神官長たちが迎え入れる。
「さあ、祈りを捧げなさい」
祭壇の左右に控える神官長。
彼らはマルセーヌが本気で神を降ろすと思っていた。
理由は彼女の家族にある。神殿から多大な援助を受けていたためマルセーヌが彼らの要請を断れば援助を断るつもりでいる。もちろん、それだけで終わるはずがなく今までに貸した金の何倍もの額を搾り取るつもりでいた。
「大丈夫ですよ」
こうなる事は首都へ来る前から分かっていた。
「彼女の迷いは晴れています」
祭壇の前で膝を突いて祈りを捧げるマルセーヌ。
周囲の人たちが見守る中、何も起こる事なく時間だけが過ぎて行く。
1分……2分……5分……10分……
「おい、何も起こらないではないか!」
痺れを切らした神官長に近い場所にいた神官が近付く。
――ギン!
一歩、前に出た神官の足元に小環が突き刺さる。
「黙っていて下さい」
静かに、それでいて怒った声でノエルが告げる。
幼い頃から『巫女』として過ごしてきた彼女には分かっていた。
「もうすぐ終わります」
その言葉の直後、神殿にあったアルサムの像が輝き出す。
「おお……!」
誰もが驚きから声を漏らす。
その光景を以前にも見ていた神官長や幹部たちは、この後の展開も同じようになる事を期待していた。
神像に神の力が宿り動き出す。
そのように期待していた。
だが……
「なぜ、動かない!?」
神像が動き出すことはなかった。
それに輝きもいつの間にか失われてしまっている。
「やはり、失敗だったようですな」
一人の神官が呟いた。
神官たちは呆れ、幹部たちは怒りに震えている。
誰もが失敗だと思い込んでいる。
もし、この場にいる者たちに強い信仰心があったのなら『失敗などしていない』という事が分かったはずだ。
「もう、よい」
マルセーヌが立ち上がりながら言う。
だが、その声はマルセーヌが発していた物と似ていながら低い。
まるでマルセーヌの喉で男性が喋っているような声だ。
「どうやら降神――『巫女』による神託は無事に成功したようですね」
マルセーヌの姿を見たティシュアが満面の笑みを浮かべる。
色々とあったが、マルセーヌも元々はティシュアに仕えていた巫女――女神であるティシュアにとっては娘にも等しい存在だった。
だからこそ過去の罪を悔やみ、反省している姿を見て赦したくなった。
そこで、一つだけアドバイスを捧げた。
「貴女を私の『巫女』にすることはできません。『巫女』を裏切った貴女にはそのような資格がありませんし、今の私に神を名乗る資格はありません。だから――」
――狩猟神アルサムの『巫女』になりなさい。