第15話 冬の畑
エストア神国の首都に向かって走る。
ひまわりの襲撃があった場所から1時間。
やはり、場所が問題だったらしく離れてしまえば襲撃はピタッと止んだ。
「あの、確認だけど今は冬よね?」
「そうだけど」
「なら、目の前に広がっている光景は何?」
御者をしていたイリスが目の前を指差す。
冬ということもあって畑は休ませる期間になっている。雪が降らない地域でも土があるだけで作物が育てられていることはない。
しかし、馬車の走っている先にある畑では作物があった。
馬車を止めて畑へ近付いてみる。
「トマトだ」
畑では赤い野菜が実を付けていた。
夏に収穫できるトマトが冬に実を付けているなど異常だ。
これが迷宮のように環境を一定に保ってくれる場所なら分かるのだが、ここにはそれらしい魔法道具すらない。
「おや、今日の運搬は終わったはずなんだけんどな」
野菜が実を付けていれば世話をする人も畑にいる。
俺たちが近付いて来た事に気付いた一人の男性が声を掛けて来た。
男性は、汚れても問題がないようなつなぎ服を着ており、頭には帽子が被せられている。表情はのほほんとしており、農夫だと思わせる落ち着いた人だ。
「こんにちは。旅をしている冒険者なのですが、ちょっと畑の様子が気になって立ち寄らせてもらいました」
「へぇ、べっぴんさんだな」
こういった田舎者の相手をする時はメリッサの方がいい。
「今は冬ですよね。現に気温は低いですから間違いないと思うのですが……エストア神国では、これが普通なのですか?」
「いんや、違う。例年なら他の国と同じように農作業は止めて家の中で内職をやっとるはずじゃった」
農閑期となる冬場は、農具の手入れをし、家の中でもできる工芸品を作るなどしてお金を稼ぐのが農村の日常だった。
しかし、今年はそういった事を一切していない。
「どういう訳なのか分からねぇけど、作物があっという間に育つんだよ」
「え……?」
ノエルが反応する。
その目は離れた場所へと向けられていた。
「おお、ちょうど隣のダムソンの奴が種を植える時間だな」
隣の畑で土を耕していた男性。
男性が耕した土の中に祈りを捧げながら何かの種を植えた。
数秒後、土の中から茎が出現した。
もはや成長と呼べるようなレベルではない。
「ノエル」
「うん……あの畑に神気が満ちるのを感じた」
近くにいる男性に聞こえないよう小声で確認する。
ノエルが言うのだから間違いない。
神気によって異常成長させられた作物。
こんな事が国の至るところで起こっているのならば毎日のように農作物が送られてきてもおかしくない。
そのまま男性が種を植え続けて行くと、数分としない内に何もなかった畑に作物がいっぱいになる。
「これは数日後の収穫が楽しみだな」
「数日後!?」
「ああ、ここにあるトマトだって5日前に種を植えた物じゃ」
目の前にある収穫を迎えたと思える瑞々しいトマト。
プロに言わせると収穫には少しだけ早いらしく1日だけ置いてから収穫することにしたらしい。
それでも1週間と経たずに収穫できるなんて異常だ。
「……大丈夫なのですか?」
メリッサが訝しんだ目を農夫に向ける。
急成長したトマト。
味や栄養に問題はないのか?
そもそも人間に害となるような物は含まれていないのか?
そんな事を考えてしまってもおかしくない。
「そんな風に疑われちゃあ黙っていられねぇ」
農夫がいくつかのトマトを選んで収穫する。
篭に入れたトマトをどこかへ持って行くと現れたトマトを手に戻って来た。
「こいつらは、もう食べても問題ねぇ奴だ。普通に食えるから、食え」
「え、タダで貰う訳には……」
「問題ねぇ! 見た目が悪いから売り物にはならねぇんだよ」
そういう物は育てた人によって食べられる。
全員にトマトが一つずつ配られる。
「……どうしますか?」
「ま、問題はないだろ」
レジェンスでは今も購入され、どこかの店に卸されている。
同じ方法によって収穫された野菜が多くの人に食べられている事を考えれば人体に悪影響があるとは思えない。
試しに一つ齧ってみる。
「あ……!」
そんな声が近くから聞こえるが気にしない。
いや、【迷宮同調】でシルビアの声も聞こえて来たが無視して味わう。
「……普通に美味いな」
「だろ!」
得意気な顔をする農夫。
野菜を育てた……収穫した者として自分の野菜が褒められて嬉しくないはずがない。
「へぇ」
感心しながらアイラもトマトを口にする。
一口目は不安そうにしていたが、一度味わえば一気に残りを食べ尽くしてしまう。
アイラに続くノエル。
だが、イリスはそれでも不安感が拭えないらしい。農夫に背を向ける。
「【魔力変換】」
イリスの手の中にあったトマトが消える。
魔力に分解されたことで消えてしまった。とはいえ、普通の野菜から得られる魔力などないに等しい。
「迷宮核、鑑定」
『うん、普通のトマトだね。むしろ、新鮮な分だけ街で買うよりも美味しいよ』
「そう」
報告を聞いて安心するイリス。
しかし、【魔力変換】の為に消費してしまったため食べられるトマトは手にない。
……仕方ないな。
「ほら」
「ありがとう」
イリスだけ食べられないなんて可哀想だ。
食べ掛けだったトマトを渡す。
「このトマトが問題ない事は分かりました。でも、トマトは夏の野菜だったはずです。冬でも育つのですか?」
「ああ、問題ねぇよ」
「不審に思ったりはしなかったのですか?」
「最初は思ったさ。けど、この状況がアルサム様のご意思による物だと分かってからは誰も何も言わなくなったな」
狩猟神アルサム。
エストア神国で祀られている神だ。
「神様が関係しているのですか?」
「ああ、さっきダムソンの奴が祈りを捧げてから種を植えているのを見ていただろ」
「ええ」
「アルサム様に祈りを捧げた畑だとこんな風に作物が急に育つんだ。逆に何の祈りも捧げずに種を植えると普通通りにしか成長しねぇ」
最初は偶然だった。
メンフィス王国が神に見捨てられた話を聞いた熱心な信仰者だった農夫は、畑に出ると祈りを捧げてから農作業に従事した。
いつも通りに作業を終える。
次の日、畑へ行って見ると一面で作物が実っていた。
そんな話は瞬く間に広がり、多くの人が祈りを捧げてから農作業に従事するようになった。
増えすぎた農作物の扱いに困る。
しかし、エストア神国の場合は全てをレジュラス商業国が引き取ってくれるおかげで困るような事態にはならなかった。
「ええと……神様がこんな使われ方をするなんて教会の人たちは何も言わないんですか?」
『巫女』であったノエルとしては、信仰心をこのような目的ありきで捧げられるのは納得がいかない。
敬虔な信徒から文句の一つぐらいあってもおかしくない。
「そうだな。首都のお偉い神官様たちは文句を言って来ているみたいだけど、それは、この国で農作物を育てるのがどれだけ難しいのか知らないから言えることだ。絶対に文句なんて聞いてやるつもりはねぇ」
農夫の意思は固い。
ノエルの言葉程度では曲げられそうにない。
「情報ありがとうございました。もし、よろしければ他のトマトも売って頂けませんか?」
「ああ、いいぜ」
メリッサの言葉に気を良くしてくれた農夫が篭一杯のトマトを詰め込んでくれる。
情報のお礼、というのもあるが留守番をしているシルビアへのお土産という意味合いもある。
再び馬車へ戻ると首都へ向かって走らせる。
「やっぱり原因はアルサムにあるみたいだな」
一般的に知られているぐらいの知識しかないが、狩猟神がどのようにすれば作物を一瞬で成長させることができるのか分からない。
それでも相手が神となれば俺たちぐらいしか対処できる者がいない。