第1話 エストア神国へ向けて
グレンヴァルガ帝国から帰って来て3日。
しばらくはのんびりとしていたが、そろそろ動かなくてはならない。
眷属を全員リビングに集めると会議を始める。
次の目的地は東にあるエストア神国。
目的地を決めたのはいいのだが、問題だったのは目的地まで行く手段だった。
改めて思い知らされてしまったが、俺が知っていた世界は生まれ故郷であるデイトン村を中心とした狭い範囲。今は冒険者として活動するようになったおかげで近隣諸国にまで範囲を広げていた。
それでも帝国の向こう側まで知ろうとは思っていなかった。
「エストア神国の手前――メンフィス王国との間にはレジュラス商業国という小さな国があります」
西をメンフィス。
東をエストア。
北と南にもそれぞれ別の国があり、四方を異なる国に囲まれた国。
戦争が起こった際などには巻き込まれるなどして非常に危険なのだが、四方を国に囲まれていることによってメリットも生じている。
「あの国は様々な国において交通の要衝となっているので関税を掛けることによって儲けているのです」
そんな恨みを買いそうな国だが……いや、メリッサの説明によれば実際に周囲の国々から恨みを買っている。
ところが、戦争によって攻め滅ぼされるようなこともなく生き残っている。
多くの恨みを買っている国を侵略して占領するようなことになれば、今度は占領した方の国が恨まれることになる。
自国の利益を最大限に考えるなら今の状態を維持する方がいい。
「ところが、今年の春から現状維持ができなくなりました」
西にあるメンフィス王国の崩壊。
国がなくなった訳ではないが、信仰していた神から見捨てられたことによって土地を捨てて逃げ出す人々が後を絶たなくなってしまった。
逃げ出した人々が向かった先がレジュラス商業国だった。
関税によって儲けているレギュラス商業国は、他の国の住人から見れば余裕があるように見える。他の国では逃げても辛い日々が待っているが、レジュラス商業国ならば苦しくなってしまった今の生活よりも楽な生活ができるかもしれない、そんな無責任な考えをする者が多くいた。
結果、夏前までには多くの人が難民として訪れることになった。
「ですが、レジュラス商業国も見た目ほど余裕がある訳ではありません」
一部の人は成功することができるものの結局は逃げ出した人々の大半がスラムの住人になったり、盗賊に身を窶したりすることになってしまった。
この事態を重く受け止めたレジュラス商業国の重鎮たちは、西側からの人の受け入れを規制するようになった。
「まず、旅行目的の一般人では通ることができなくなっているようです」
厳重な警備によって受け入れを拒否する。
そんな状態でも国境を越える為に必要とされるのが賄賂なのだが、そんな多額のお金を渡せる人間が逃亡など企てるはずもなく途方に暮れる人々が国境前には多くいる。
「通れるのはレジュラス商業国で許可を出した商人ぐらいです」
レジュラス商業国としても商品を流通させることによって自国を潤さなければならない。
そのため厳格な審査は必要だが、認められた商人だけは自由に行き来することができる。
「冒険者もダメなのか?」
魔物から街を守る為に必要な冒険者。
基本的に冒険者は街に入る際には必ず必要な身分証明も冒険者ギルドが発行している冒険者カードを提出するだけで済ませられる。依頼によってあちこち移動することが多いためそういう措置が取られている。
国境も同じように冒険者なら簡単に越えられる。
「たしかに依頼を引き受けた冒険者なら国境を越えるのも通常通りにできます」
ただし、依頼を引き受けていないにも関わらずレジュラス商業国へ行こうとすると止められてしまう。
まあ、依頼を引き受けた訳でもないのに行くのはどういう事なんだ? と思われても仕方ない。
「つまり――依頼さえ引き受けていれば俺たちでもレジュラス商業国へ行く事ができる訳だ」
レジュラス商業国を経由しなくてもエストア神国へ行く事はできる。
ただし、その場合は山や森などの人目に付かない険しい場所を通らなければならないため大変なうえ、レジュラス商業国を経由していない事がバレた場合には面倒な事になる可能性が高い。
やはり、レジュラス商業国は経由しなくてはならない。
冒険者登録している俺たちなら依頼さえ受けていれば通れるだろう。幸い、ノエル以外のメンバーがAランク冒険者であるため信用もされるはずだ。
「残念だけど、それは難しい」
イリスが訂正して来た。
「もうすぐ年末。さらに新年にもなれば辺境は雪も積もって移動が難しくなる」
イリスも去年の冬を体験しているのでアリスター近辺がどのようになるのか分かっている。
「それが?」
「そんな状態で遠くまで行く必要のある依頼が出されると思う?」
「あ……」
今、必要としているのは普通の依頼ではない。
エストア神国まで行く必要があるような依頼でなければならない。
エストア神国特有の魔物がいるので素材が必要とされる場合があるため依頼が全くない訳ではないが、冬に態々頼むような依頼ではない。冬道での輸送ともなれば輸送費が嵩み、依頼の報酬も高くなってしまう。そうまでして欲しい事情などそうそう起こらない。
冬の間は冒険者も街の外へ出たくないため冒険者ギルドも開店休業に近い状態になってしまう。
「依頼がないから冒険者として行くのは難しい」
イリスの言う通りではある。
さすがにエステア神国まで行くような依頼は簡単には出されない。
「いや、出されることがないんだったら自分から出すことにしよう」
☆ ☆ ☆
「それで、私を頼って来たという訳か……」
俺が訪れているのは祖父であるアーロン・アルケインの私室。
個人的な話をする時にはこの部屋で話をすると取り決めていた。
「そちらは何か依頼を出してくれるだけでいいです。エストア神国でしか得られない魔物には興味があるはずです」
「たしかに珍しい一品物の素材は売れる、と言うよりも贈答用として好まれる傾向にある」
メティス王国の人間だとどうしても遠方にある他国の品には縁がない。
「報酬に関してはこちらで全て出します」
「金の問題ではない」
俺の言葉に祖父が首を横に振る。
「報酬金を自分たちで出さなかった事をどこかからか知られれば商人界隈で白い目で見られることになる」
情報はどこから漏れるのか分からない。
それこそ出処不明の大金など人々の興味を引いてしまう。
そんな事実は、商人にとって恥にしかならない。
「別の依頼を出すことにしよう」
「それは?」
「冬の間は商人も少しは暇になる。そこで将来に備えてウィリアムを勉強の為に外国へ派遣しようと考えている。具体的にはレジュラス商業国やその先にあるエストア神国などが候補としてあげられるな」
ウィリアムというのは現在の商会主であるウェルスさんとミランダさんの長女であるリリーさんの旦那さんの事だ。俺にとっては従兄弟のような存在で、年齢は兄と同じだったはずだ。
商人の勉強先にレジュラス商業国。
たしかに行き先としては申し分ない。
それに護衛として懇意にしている冒険者を雇う。
決しておかしな行動ではない。
「そういう契約ならいいですよ」
「あの子もお前も私の孫である事には変わりない。だが、あの子は私が大きくしたアルケイン商会を背負って立つことが決まった子だ。必ず、守り通して欲しい」