第25話 カルテアを起こす鈴
カツ、カツ、という靴の音が響き渡る。
今いるのは帝城の地下にある牢へと続く螺旋階段。本来ならば入れる人が限定された重要施設なのだが、俺の隣には皇帝であるリオがいる。皇帝が同伴していればどんな場所へだって入ることができる。それだけの権力を持っている。
とはいえ、多少の無茶をしたのは事実。
そこまでして地下牢へ来たのは会うべき人物がいたからだ。
他の同行者はいない。こんな場所へ女性を連れて来る訳にはいかないので眷属たちは置いて来た。
「よう、元気にしていたか?」
「おまえ……!」
牢の中にいた人物が血走った目で俺とリオのことを見て来る。
閉じ込められていたのはレンゲン一族。その中でも貴族として一族に協力する立場にいた男が吼える。相手が皇帝だということもすっかり忘れてしまっているみたいだ。
「このような扱いは不当だ。すぐに解放しろ!」
「不当? この程度の扱いが……?」
地下牢に閉じ込められている人間には少ない量だが、きちんと3食提供されているし、衛生面にも気を遣われている。罪人という立場を考えればかなり考慮されている方だ。
それというのも彼ら……と言うよりもジィドが重要人物だからだ。
この貴族の男はついでで捕らえているに過ぎない。
「先にお前の処遇から説明させてもらおう」
「処遇、だと……?」
「お前の家族は全員が捕らえられて既に奴隷落ちしている。これからは死んだ方がマシだと思えるような苦しい生活が待っているだろうな」
「ま、まさか……!」
「お前の妻や愛人は全員が娼婦として売られ、息子たちは北部の開拓に従事することが決定している。一人娘だけは、温情として解放してあげた」
それも酷な話だ。
一人娘は5歳。有効に利用しようにも幼過ぎて使い道がなかったために放逐しただけの話だ。5歳の幼い少女が頼れる人間が誰もいない状況で生きて行けるはずがない。遠くない将来には生きていたとしてもスラム街の住人になっている可能性が高い。
その場で泣き崩れる元貴族。
煩いので魔法を掛けて音が伝わらないよう隔離する。
「さて、俺の目的はお前だ」
リオがジィドの前に移動する。
「私には用はありません。大人しく帝都が蹂躙される瞬間を待ちましょう」
ジィドには外の出来事は一切伝えていない。
だから自分が呼び覚ました魔物が既に討伐されてしまったことを知らない。もっともカルテア討伐からまだ20分も経過していないのだからジィドだけでなく、帝城にいる多くの人たちが知らない。
「悪いが、帝都が滅びるような事はなくなった」
「は?」
リオの言葉が信じられずに呆けるジィド。
しかし、すぐに冷静さを取り戻していた。
「私の使った魔法道具は正常に作動していました。それにこんな地下にいても城が騒がしかったことぐらいは把握しています」
地下牢から地上の音が聞こえることはない。
けれども、優秀な間諜だったジィドには何らかの方法で地上の様子を探ることができた。その結果、慌ただしくカルテアに対処しているのを知ることができた。
「たしかに大変だった。最初は帝国の力だけでどうにかしようとしていたから兵士に多くの犠牲が出た。だが、ここにいるマルスのおかげで無事に討伐することができた」
「そんなはずは……あれは『災厄』と呼ばれるレベルの魔物のはず……」
「やっぱりカルテアについて知っていたんだな」
事前に詳しく聞くような真似はしなかった。
それよりも差し迫った危機に対処する方が優先だったからだ。
口を噤むジィド。
だが、あまりに無意味だ。
「――話せ」
一言命令すれば逆らうことができなくなる。
ゆっくりとジィドが語り始める。
「世界各地には伝承という形で伝わっている凶悪な魔物がいます。それらの魔物はただ歩くだけで国を滅ぼし、自然な豊かな場所だった森を一瞬で枯らすことすらできたと言われています」
その内の一体がカルテア。
そんな凶悪な力を持った魔物だが、いつまでも自由に暴れていられた訳ではなく何者かの手によって無力化されていた。
カルテアもその人物によって意識と肉体を永い眠りに就かされていた。
ジィドが使った魔法道具はその眠りを強制的に解く効果があった。
「『災厄』っていう魔物については分かった」
「俺たちが知りたいのはお前にカルテアの封印を解く魔法道具を渡した人物についてだ」
大凡の予想は既についている。
「私も詳しくは知りません。私に接触してきたのは栗色の長い髪をした女で、顔はフードに隠れていて見えませんでした」
顔は見えてなくても体付きから女だと判断できる。
「その時、彼女は魔物について研究をしている者だと言い、研究の過程で見つけた物を譲り渡してくれました」
鈴のような形をした魔法道具を譲り受けた。
どれだけ振っても音の鳴らない鈴で、破壊した瞬間にけたたましい音を周囲へと響かせていた。ただし、聞こえたのは使用者であるジィドだけらしく、最初は失敗したと思い込んでしまった。
だが、使用者以外にも聞こえていた存在がいた。
それが――カルテア。
呼び起こすと同時に呼び寄せる魔法道具でもあった訳だ。
それよりも問題なのは、譲り渡した人物だ。
「そいつの正体については全く分からない」
「だが、そんな魔法道具を譲り渡せる人物なんて限られている」
そもそも後世まで『災厄』を呼び起こす魔法道具を遺しておく必要などない。
だが、その魔法道具が過去から遺されていた物ではなく、現代で蘇らされた物だとしたら……
「俺たち迷宮主なら魔法道具を【魔力変換】していれば再現は可能だ」
必然、ジィドに接触して来た女についても推測できる。
「迷宮眷属、だろうな」
それもアイラの故郷であるパレントにある迷宮で遭遇したリュゼの仲間である可能性が高い。
魔剣の生産と巨大魔物の研究。
どちらも厄介すぎる目的だ。
「気が変わった。皇帝だから迷宮主としてお前に協力するのは難しいと思っていたが、奴らは事もあろうに俺の国に喧嘩を吹っ掛けて来た」
あのままカルテアが暴れるような事があれば帝国は確実に滅びていた。
そんな危険な魔物を呼び起こす魔法道具を渡したのだから宣戦布告と捉えられても仕方ない。
「さすがに迷宮主の話なんかを言う訳にはいかない。だから可能な範囲で協力させてもらうぜ」
「具体的には?」
「そいつらが裏で暗躍しているって言うなら今回のように厄介な事件が世界各地で起こっている可能性が高い。妙な事件を嗅ぎ付けたら真っ先にお前たちに知らせるようにするさ」
要は実際に調査するのは俺たちの役目。
皇帝であるリオは玉座で報告が届くのを待つ。
とはいえ、国の情報網というのは侮れない。これまでは見落としていたような事件も気付けるようになるかもしれない。国が味方になってくれるだけでも非常にありがたいのは間違いない。
「ハッ、私は一体……?」
命令されてペラペラ喋っていたジィドが意識を取り戻す。
もう吐き出させられる情報もないだろう。
「お前たちの処遇についても決まっている」
「処刑、ですか?」
これまでのレンゲン一族についてはそうして来た。
今は彼らの所有権が俺にあるから情報が漏れる心配はないが、何らかの方法で所有権が解除されないとも限らない。
だから売り渡す時の条件の一つとして全員を処刑するよう要求していた。
それが安全面も考えたうえでの効率的な方法だった。
しかし、今のグレンヴァルガ帝国は面倒な事態に直面していた。
せっかく国を立て直したばかりだというのにカルテアの襲撃によって兵士に犠牲が出てしまったせいで兵力が不足していた。
「お前たちは使い潰すことにした」
「使い潰す?」
「諜報活動ができる優秀な人員が不足していたところなんだ。お前たちには今度から帝国の為にだけ働いてもらう」
「何を……」
反抗しようとしていたジィドだったが逆らうことができない。
彼らの所有権をリオと一緒に分け合うことにした。これによりリオの命令にも絶対服従となった。今後は反抗的な態度を取ることすら許されない。
リスクは承知のうえ。
もちろんリオも分かっている。迷宮の力で彼らの魂を束縛。万が一、何者かに捕まってしまった場合でも自爆するよう仕込む。その時の痕跡を辿ったとしても辿り着くのはリオになる。
これで最低限の秘匿は保証された訳だ。
「これでいいな」
「好きに使いな。こっちは追加報酬まで貰ったんだ。使い方にまで口を挟むつもりはないよ」
「感謝する」