第8話 動く山
謁見の間での処罰が行われた翌日。
皇帝によって騎士や兵士、軍人といった人たちが集められていた。
将軍が椅子から立ち上がる。
「まずは状況の説明から行う」
部屋の壁には帝国の地図が貼られている。
軍事活動を行う時には欠かせない代物で、地形を始めとして小さな村の位置まで細かく記されている。
将軍が指示棒で帝国の北東を指す。
「現在、帝都の北東にあったカルテア山がゆっくりと移動を開始した」
『……!』
一気に騒がしくなる部屋。
――山が移動している。
信じられないような状況だが実際に山が動いている。以前からあった場所に山は既になく、別の場所に山がある。
「静かにしろ。もう聞いていると思うが、昨日ある人物から情報を得て帝国に潜り込んでいた間諜を一斉摘発することに成功した。ところが、苦し紛れの抵抗として危機感を覚えていた間諜は、捕まる前に魔法道具を使用していた」
それがジィドから得た情報。
隠れ里からの反応がなかったために危機感を覚えたジィドは、ある魔法道具を使用することによって山を移動させて帝都を襲わせる計画を立てた。
帝都が襲い来る山に対して何もできずに壊走している間に逃げる計画だ。逃げることができなかったとしても山によって自分は情報を吐かされることなく死ぬことができる。また、先に処分してしまおうと殺してくれるかもしれない。
そんな思惑がジィドにはあった。
「この情報を得ていたからこそ事前に行動することができる」
山が動く――そんな事態を予想できるはずがなく、現実を受け入れる頃には帝都の目と鼻の先まで迫られる。
そこまで迫れば帝都は大慌てになる。
ジィドはそれまで耐えればよかっただけなので計画が成功する確率は高かった。
「山は帝都へ向かって移動を続けている。移動速度から言って帝都へ辿り着くのは5日後。この5日という時間を得られたのは非常に僥倖だ」
5日もあれば山に対抗するには十分だ。
最悪、何もできなかったとしても5日で帝都にいる人々を逃がす必要がある。帝都にいる人数を考えればギリギリ間に合うかどうかというレベルの話なのだが、これまでの生活を全て捨てて逃げろと言われても簡単に済むような話ではない。
「情報を得た諜報部隊は、北東にいる部隊と連絡を取って調査に向かわせた」
遠くの場所との会話が可能になる『遠話水晶』。それを用いて帝都から離れた場所で待機している部隊へと連絡を取る。
数時間後には報告がもたらされた。
「既にカルテア山の麓にあった村は壊滅――いや、踏み潰されてペシャンコになっており残骸だけが散乱している状態らしい。村人に関しても全速力で逃げ出したらしいが目の前にあった山が動き出したせいで逃げ切れることはできなかったらしい」
村と同様に踏み潰された村人。
既に人的な被害まで出ている。
さらには麓の村の先にある村や町。山が動いている光景は誰の目から見ても明らかだったためすぐに逃げ出した。だが、持ち出すことができたのは少ない手荷物ぐらいで思い出のある物は置いて来てしまった。
「こんな事になるなんて」
「仕方ないわよ。山が動くなんて事態は誰にも予想できないんだし」
部屋の隅で会議の様子を見ていた俺。
隣には護衛としてアイラだけがいる。
アイラは仕方ないと言ってくれるが、俺がレンゲン一族を追い詰めてしまった事に原因の一端がある。そうである以上はどうにかしなければならない。
「帝都を守る者としてこの事態をどうにかしなければならない」
『……』
賛同を求めるものの返って来るのは無言。
誰も山を相手にどのように戦えばいいのか分からない。
「よろしいでしょうか?」
「ああ」
一人の軍人が立ち上がる。
軍服に付けられた階級章がいくつかある事からそれなりの地位にいる人物なのだろう。
「山――カルテア山が動いていると言っていますが、それはどのような状況なのでしょうか? 実際に動いているところを見た訳ではないので私たちには脅威がイマイチ理解できておりません」
たしかに彼の言う通りだ。
山が動くはずなどないのだから「山が動いている」と言葉で教えられたところでイメージができるはずがない。
何よりも自分の目で見ても信じられない。
将軍が机の上に水晶を置く。
その水晶は掌サイズで広い部屋に比べればちっぽけな大きさだ。
「この『遠話水晶』はカルテア山へ派遣した部隊と繋がっている。今がどのような状況なのか自分の目で見た方が理解できるだろう」
『遠話水晶』に現在のカルテア山の様子が映し出される。
「……!」
誰かが息を呑むのを感じた。
『遠話水晶』そのものが小さいために部屋の中にいる全員が見られる訳ではない。それでも巨大な何かがゆっくりとだが動いているのが分かる。
「馬鹿な……本当に山が動いている……」
「地面にある木と比べても相当な大きさだぞ」
「こんな物、どうやって対処すればいいんだ?」
自らの常識を越える事態に途方に暮れている。
その時、『遠話水晶』に地面を走って逃げる人々が映し出される。逃げている人は必死に走っているが相手は巨大な山。逃げ切れるはずもなく途中で転んでしまったせいで圧し潰されてしまった。
中には幼い子供を抱えた母親の姿があった。
「マルス!」
「チッ……」
その姿がアイラには自分とシエラに重なってしまった。
今の俺にできる事は少ない。人ほどの大きさのある鷲に指示を出して母親の肩を足で掴ませる。掴まれた直後は必死に逃れようとしていた母親だったが、カルテア山から自分で走るよりも速く離れて行く光景に助けてくれたのだと判断したのか大人しくなってくれた。
偵察用に出していた使い魔だったので、こんな事に使うつもりはなかった。
ガンッ!
リオの持つ大剣が部屋の床に叩き付けられる。
「ここに集められた連中は帝都の治安維持や他国との戦争を想定して訓練に勤しんでいる連中――つまり、魔物みたいに非常識な力を持った相手と戦う事を想定した連中じゃない」
そういった存在を討伐するのは冒険者の仕事だ。
そんな風に線引きしていたからこそ兵士と冒険者の間で仕事の奪い合いが起こるようななかった。
「だけど、ここにいる全員が帝都を――国を守る事に対して誇りを持っているはずだ。この非常事態に対して冒険者ギルドに『強制依頼』を出させてもらった」
強制依頼――冒険者ギルドに所属する冒険者全員に出される依頼で、基本的に拒否する事はできない。拒否してもいいが、高ランク冒険者が拒否した場合には冒険者資格の剥奪など重たいペナルティが存在する。高ランク冒険者はギルドから恩恵を受けているので、その対価みたいなものだ。
ただし、偶然居合わせただけの俺たちは強制依頼の対象にはなっていない。
なってはいないが……命懸けの依頼を強制的にやらせることになるので報酬は割に良い。しかも、今回は皇帝であるリオから出された依頼なのでケチられるようなこともない。参加するのもアリかもしれない。
「冒険者の連中は必ず参加する。お前らは奴らに負けたままでいいのか? 自分たちの仕事を冒険者に任せたままでいいのか」
「いいえ、そのような事はありません」
「幸いにして山を相手にする必要はない。なら、冒険者の手を借りなくてもここにいる面子だけで対処が可能かもしれない」
「それは、さすがに……」
弱気になる騎士。
山を相手にしなければならないと考えるから間違っている。
「お前たちは本当に山が動いていると思っているのか?」
「違うのですか?」
「山が動く訳がない。実際には、何百年もの間動かなかったせいで山だと勘違いしていた山のように巨大な魔物が動いているだけだ。そして、魔物だって言うなら確実な対処方法が存在している」
体内に存在している魔石を破壊する。
それが全ての魔物に共通している弱点だ。
体のどこにあるのか分からない魔石を見つけて破壊する。今のところカルテア山を攻略する方法はそれぐらいしか分からない。
「お前たちに帝都を守る意思が少しでもあるのなら強大な敵が相手でも戦場へ向かえ。それが軍人の仕事だ」