第5話 皇子と幼女
「しかしちょっと見ない間に眷属を一人増やしたんだな」
「わたし?」
自分の事を言われていると思ったノエルが紅茶の入ったカップを手にしながら首を傾げる。
皇帝付きのメイドが淹れてくれた紅茶で最高級の茶葉を使用している。
さらにテーブルの上には城の料理人が作ってくれたお菓子がある。
のんびりとした空気が流れていた。
「眷属を増やす事に問題はないが、よほど信頼のできる奴じゃないと眷属にしようとは思わないぞ。何かあったのか?」
「ええと……」
ノエルの正体は秘密にしなければならない。
いくら信用できるような相手だったとしても平穏な生活を脅かしかねない秘密まで知られる訳にはいかない。
だが、それもマリーさんが口を開くまでの話だった。
「彼女――メンフィス王国の『巫女』です」
「……!」
「へぇ、しかも本人の反応を見る限り間違いっていう訳でもないみたいだ」
バレてしまったものは仕方ない。下手に隠すよりも事情を説明して黙っていてもらった方が都合いい。
「なるほど。いきなりメンフィス王国が荒れた時には何があったのかと密偵を送ったりしたけど、具体的な事は何も分からなかったんだよな」
調べようと思えば色々な情報は手に入れる事ができたはずだ。
しかし、国内が混乱しているせいで手に入れられた情報もどこまで信憑性があるのか分からない。おまけに真実は女神を信奉する国であるにも関わらず降臨した神から見捨てられてしまった事が原因。
とても信じられる内容ではなかった。
「俺から言うような事じゃないかもしれないけど、眷属になる前の待遇に不満を持っていたのならマルスにしっかり甘えろ。その代わり、お前はマルスの事をしっかりと助けてやってくれ」
「は、はい!」
思いやりながらも威厳のある言葉。
リオと同じように国の重鎮であったがお飾りでしかなかったノエルは自分が持たない威光を持つリオに押されている。
「増えたのはそいつだけじゃないだろ」
「そうだな……」
アイラに目配せする。
俺の意図を汲み取ったアイラが屋敷へ【転移】する。
「では、私も移動します」
「失礼します」
カトレアさんとリーシアさん、さらにマリーさんも【転移】で姿を消す。
アイラを【召喚】で喚び戻すと3人も部屋に戻って来た。
姿を消していた4人の腕の中には赤ん坊が抱えられていた。
「へぇ、その子がガーディル皇子か」
カトレアさんの美しい金髪とリオの鋭い蒼色の瞳を受け継いだ男の子が母親の腕の中で初めて見る人である俺たちの事を見つめていた。
この子が次の皇帝か。
そんな男の子を見つめている女の子が一人。
リーシアさんの産んだ娘であるリディアだ。
皇帝の子供は帝城に仕える乳母が行うことになっている。兄妹であるため、効率を考えてなるべくガーディルと一緒にいるようにしていたところ兄にべったりな妹になってしまった。
「可愛いですね」
「そうでしょう」
マリーさんが満面の笑みを浮かべながらメリッサの言葉に頷く。
彼女の腕の中では女の子が眠っていた。まだ生まれてから2カ月ぐらいの赤ん坊でキャイキャイ騒がしくしていても気にすることなく眠り続けている。
マリーさんもリオとの子供を産んでいる。
彼女もアイラと同じように妊娠の兆候がなかなか現れてくれなかったらしくギリギリまで気付かなかったため子供については知らされていなかった。
子供が現れたことで一気に騒がしくなる。
ガーディルとシエラをソファに座らせて対面させる。
子供は子供同士で遊ばせようという事だ。
そういった理由もあるのだが、シエラが同い年の男の子と出会ったことでどのような反応を示すのか気になった。
「ん!」
「ぅ?」
ガーディルが目の前に座るシエラをビシッと指差す。
どうにも偉そうなポーズだ。実際、皇太子なのだからガーディルの方が偉いのは間違いではない。
「困った事に自分が偉いっていう事を覚えてしまったんだ」
偉い貴族がガーディルの元を訪れては少しでも気に入られようと遜った態度を取るようになった。その行動が原因で誰もが傅くものだと誤解している。
いつも同い年の子供に接する時も自分に傅くよう要求している。
相手も意味が分からないながら親から言い包められてガーディルに対して最大限尽くすようにしている。親もそれが子供の幸せに繋がる行動だと信じて疑っていないから諫めるような事をしない。
この事に関しては両親の言葉も聞かない。
そのためリオとカトレアさんは困っていた。
シエラに対しても同じように傅くよう要求するガーディル。
しかし、ここでいくつか普段とは違った事があった。
シエラは、将来的にガーディルが支配することになる帝国国民ではなく隣国の王国国民。従って皇帝の権力など通用しない。
さらにガーディルとの婚姻を両親が考えている訳ではない。
だから、シエラは思ったままに動く。
「てぃ!」
ガーディルの手を振り払うと両手で体を押し出す。
押されたガーディルがソファの上でコテンと横になる。
「ぅ……」
「う?」
「うわぁぁぁあああん!」
転がったガーディルが全力で泣き出してしまった。
「あらあら」
母親であるカトレアさんが抱き上げて宥めている。
「こら、シエラ」
「あ!」
プンプンと怒っている様子のシエラ。
自分は悪い事をしていないと言っているようだ。
「怪我はしていないですか?」
「ええ、大丈夫です。この程度で怪我をしているようでは皇太子失格です」
カトレアさんには明確な教育基準があるらしく厳しい。
子供はちょっとした事で怪我をしてしまうのだが、ガーディルを自分の力だけで立ち直らせようとしていた。
皇帝にとって何よりも強さが必要になる。実際に戦場で戦えるような力は必要ではないが、帝国民の誰もが付いて行きたいと思えるような力は身に付けておく必要がある。そうでなければ皇帝に誰も付いて行かない。
さすがに1歳からそのような教育をするのは早過ぎるのか泣き続けている。
「シエラ、ごめんなさいは?」
プイッとアイラから顔を背けてしまう。
「あらら……相当嫌われてしまったみたい」
「仕方ないかしら」
「う!」
リーシアさんに抱かれていたリディアがシエラへと手を伸ばす。
リーシアさんもリディアの要求に気付いたのでシエラへと近付いて行く。
「たぁ!」
「やぁ!」
必死に伸ばした手でシエラを叩こうとする。
シエラも必死に抵抗する。
リディアとしては大好きな兄の敵討ちをしたかった。
シエラもシエラで馬鹿にされたままではいられないので必死に応戦する。
「はい、そこまで」
「喧嘩をしないの」
『う~』
二人の赤ん坊からブーイングが上がる。
決着を付けたいらしいのだが、いくら帝国国民ではないとはいえ他所の子に暴力を振るうのは許容する訳にはいかない。
少々ご機嫌ななめみたいだ。
「あっちに子供を遊ばせる為の部屋があるのでそっちへ行きましょう」
「いいの?」
「はい。自分の思い通りにならない子供がいるのはガーディルにとっても必要な存在です。ちょうどいいので仲良くなるのに協力してくれませんか?」
当の本人は納得いかないのか頬を膨らませてガーディルの事を見ている。
そんなシエラを見ているリディア。
「アイラ、シエラを任せてもいいか?」
「うん、分かった」
子供を抱いた母親がリオの私室を出て行く。
それに他の眷属たちも付いて行く。
気付けば俺とリオだけが残された。