第20話 霊山の水
「綺麗……」
洞窟の中にあった泉を見てノエルが呟いていた。
泉は透き通っていて手で掬ってみると触れていなければそこに水があると気付けないほどだ。
「これは……」
同じように手で掬って水を確認していたメリッサが鼻を近付けて臭いを確認している。
「間違いないみたいです」
コップを取り出し細い棒のような道具を注いだ水の中に浸すと毒の有無を確認して口の中へと運ぶ。
――ゴクッゴクッ。
静かな洞窟の中に水を飲む音だけが響き渡る。
「――美味しい」
満足できる味だったらしい。
「そして、間違いなくこの水は『霊水』です」
「霊水?」
「はい。主に上級回復薬のような効果の高い回復薬を作る時に使用される水です」
どんな液体よりも澄んでいる為に薬草の効果を受け止め易いとの事だ。
素材として優秀なのは間違いないが、水としても非常に優秀であるのは間違いない。
メリッサから水を汲んだコップを受け取る。
「……! 無茶苦茶美味いな……」
決して甘い訳ではない。むしろ味は全くしない。
しかし、喉を通った瞬間に澄み渡るような心地が全身に広がる。
これだけ美味しいならただの水でも何杯でも飲めそうだ。
「どれどれ」
アイラにも渡して飲ませる。
イリスは初めて飲む霊水に興味を覚えていた。
「たしかに、これは霊水だ」
霊水をこれまでに飲んだ事のあるような言い方をノエル。
「霊水は神具の一つとして使われていたから飲んだ事があるの」
もっとも神事であっても使用される量はコップ1杯分ほど。
それだけ貴重な代物という事だ。
「でも……」
目の前にある泉を見る。
どうみてもコップ1杯程度では済まされない。
「これ全部が本当に霊水なの?」
「間違いありません。霊水は他の影響を受け易い液体です。この泉に不純な物が混ざっているのだとしたら霊水でいられなくなるはずです」
泉は幅が30メートル。奥行きは見える範囲では5メートルほどで洞窟の突き当たってしまっているが、水中はさらに奥へと続いているようなので奥にも期待ができる。
何よりも深さの方だ。
澄み過ぎているせいで分かり難いが10メートル以上はある。
コップで何杯というレベルの量ではない。
「霊水ってかなり貴重な代物なんだよな」
「その通りです。昔から何人もの錬金術師が人工的に作り出す方法を試行錯誤していましたが、結局のところは見つけられなかったみたいです。霊水は、洞窟のような場所で天井から滴り落ちて自然と出来上がる水たまりから得る事ができる、と言われています」
「その貴重な霊水が大量にあるな」
これを持ち帰らない手はない。
道具箱を泉の中心に出現させて取り込む。ただし、全てを取り込むような真似はしない。どのような方法で霊水が生み出されているのか分からないので、今後の事を考えて深さ3メートル程度に抑える。
さらに一部を【魔力変換】する。
「どうだ?」
貴重な代物ならかなりの価値がある。
それなら大量の魔力を得られる可能性がある。
『……残念だけど、霊水から魔力は得られないよ』
「あれ?」
予想外過ぎる言葉に少しガックリしてしまう。
「どうしてですか?」
『霊水っていうのは言ってしまえば魔力が抜け切った後の液体なんだ。魔力を持っていないから他の魔力を強く受けて効果を高めてくれる。けど、魔力を持っていないという事は――』
「素材としては優秀でも【魔力変換】をした時は効率が悪い」
『うん。もしかしたら、ここの霊水は特別かもしれないから試しに【魔力変換】する事には賛成したけど……』
結局は微々たる魔力しか得られなかった。
これなら『美味しい水』として売り出して銅貨を【魔力変換】した方がマシらしい。
「でも、コレを売りに出せば儲かるんだよな」
「それは間違いありません。ただ、これだけの量を一気に流出させれば無用な混乱を生み出すかもしれません」
「そうだよな……」
少しずつ時間を掛けて売りに出すか、あちこちで売っていかなければならない。
今回の事で教訓となったが目立ち過ぎるのは問題だ。
「さて、寄り道はここまでだ」
寄り道をした事で思わぬ財宝を手に入れることができたが、今の俺たちが最も優先させなくてはならないのは『虹の雫』の回収だ。
「ううん。どうやら寄り道にはならなかったみたい」
洞窟の天井を見上げるイリスが呟いた。
光の差し込まない洞窟は暗い。イリスは長年の冒険者生活によって暗闇での活動にも慣れたおかげで洞窟の中を見ることができるようになっていた。
メリッサが気を利かせて光の球体を生み出してくれる。
照らされた洞窟の天井が見えるようになる。
「これは――」
洞窟の天井には色とりどりの岩がビッシリとあった。
「これが話にあった泉の底にある七色の岩盤」
この洞窟は『虹の雫』がある泉の真下にあるらしい。
「でも、どうしてこんな場所に?」
「おそらく天井にある岩盤には魔力を吸収する効果があるのです。そして、魔力の浸透した水が流れて来てこの洞窟へ落ちてくるまでの間に魔力が抜き取られたのでしょう」
岩盤の下にある泉には魔力が抜き取られた霊水が溜まる。
岩盤そのものには長い年月をかけて蓄積された魔力が溜まる。
そうして変質した岩盤に水が溜まることによって『虹の雫』へと変質する。
「この時期にしか得られない理由は?」
「環境魔力など様々な要因が考えられるのでなんとも言えませんが、冬になったばかりの時期に泉の水が『虹の雫』に変質するという事は急激に気温が低くなったことなどが考えられます」
キョクレイ山では雪が降る数日の間で気温も急激に下げられてしまう。
その数日さえ越えることができればしばらくは穏やかな日々が続くようになる。
「ま、それでも泉の場所は分かったんだ」
☆ ☆ ☆
洞窟から出ると谷を上へ上る。
迷宮操作で足場になるような出っ張りを作ればヒョイヒョウと登ることができる。
「見て見て!」
洞窟のあった場所の真上に雪が積もる状況でも全く凍っていない泉があった。
手を入れてみるとほんのりと温かくなっていた。
「下には岩盤しかないはずだし温められているとは考えられない。そうなるとどこかから熱湯でも流れて来ているのかな?」
イリスは泉が温かくなっている理由が気になるらしい。
「いや、こんな風に七色に輝いている時点でそんな不思議を考えている場合じゃないだろ」
泉は族長や村人が言っていたように七色に輝いていた。
理由としては色の変質した岩盤のせいで光が反射して七色に輝いているように見えるだけだ。それでも幻想的な光景に心が奪われていた。
こんな不思議な光景を前にすれば些細な事は気にしていられない。
「どれぐらい必要なんだった?」
「どうせなら持って帰れるだけ持って帰りましょう」
「それもそうだな」
霊水と同じように『虹の雫』も大量に回収する。
これで解毒薬を手に入れる為に必要な素材は全て手に入った。
「さて、後は制裁を加えるだけだ」