第18話 愛らしい獣
雪道を進む。
それでも、足首程度までの深さしかないので多少の歩き難さを感じる程度で済んでいる。
山の上の方から魔物である3体の雪狼が姿を現す。
麓の方へ雪熊が行ってしまったせいで雪熊に比べれば弱い雪狼が上の方へと行かなければならなくなっていた。
「ていっ」
雪の上を駆け抜けるノエルの錫杖が雪狼を地面に叩き付ける。
「これで何体目?」
思わず愚痴を零してしまっていた。
山の主だった雪熊が討伐された事を臭いや魔力によって感知した事で魔力が豊富にある麓を目指すようになった。
それにより雪崩のように押し寄せる魔物の相手をしなくてはならなくなった。
「ま、おかげで去年は参加できなかった冬限定の魔物の討伐を独占することができるんだ」
冬に備えて魔物は魔力を体内に大量に溜め込んでいる。
そのおかげで肉の味が上質になっている。
魔物との戦いを生業にしている冒険者にとってはちょっとした楽しみになっている。去年はイシュガリア公国へ行っていたせいでタイミングを逃してしまっていたが、今年は十分な量の肉が手に入った。
これだけの量があればシルビアも満足に調理できるだろう。
「わたしは食べた事がないんだけど、そんなに美味しいの?」
「もちろんだ」
上質な料理にはない肉を噛み締めた瞬間に溢れ出してくる肉汁、香ばしい匂い。
節制を強要される神殿にいたノエルには無縁な食べ物だと言っていい。
「早く帰ろう!」
「目的を忘れるなよ」
「分かっているわよ」
そう言って腕で汗を拭う。
戦闘をノエルに任せているのは経験を積ませるという目的以外に寒がりだったノエルの事を考えて体を動かすことで少しでも体を温めてもらおうとの考えだ。実際に肌が上気していて体温が上がっていた。
「ノエルさん、少しは汗を拭った方がいいですよ」
「え……?」
収納リングからタオルを取り出したメリッサが差し出す。
雪山で汗を流したままにするのは危険だ。
ノエルも自分の体の事をすっかり忘れていたみたいでメリッサの差し出したタオルを受け取る為に手を差し出す。
――ガサガサ!
10メートル先にある茂みが揺れる。
ノエルが咄嗟にタオルを受け取る為に差し出していた手を引っ込めて錫杖を構えて警戒する。
「コン!」
「わっ、可愛い」
茂みから一匹の狐が顔だけ出してこちらを見ていた。
思わずアイラも声を上げてしまった。
意外な登場にノエルの警戒が一瞬にして止む。
「おいで」
ノエルが屈んで手を差し出す。
狐が警戒しながらこちらへ近付いて来ていた。
「こいつからは魔物の気配を感じないな」
獣型の魔物は、瘴気だけで生まれる魔物がいれば、普通の獣だった存在が瘴気の影響を強く受けてしまったことによって変質したことによって生まれる。
どちらの場合であっても体内に瘴気を抱えている。
しかし、目の前にいる狐からは瘴気を感じられない。
「わたしも狐だよ」
自分も同じである事を主張する為に狐の獣耳と尻尾を揺らす。
自分と近しい存在である事を感じ取ったのか狐が嬉しそうに鳴いてからノエルの腕の中に抱き着く。
狐は安心し切った様子で目を細めていた。
「ねぇ、飼おうよ」
「却下」
即座に切り捨てる。
屋敷には生まれたばかりの赤ん坊が既にいるうえにこれから増える予定でいる。子供の事を考えるなら狐を飼育する事は躊躇せざるを得ない。
なによりも野生で生きている獣は野生で生きていた方がいい。
「どうしても離れられないほど懐いているのなら仕方ないけど、特別な理由もなく野生の動物を連れて帰るのは感心しないな」
「……ゴメンね」
抱えていた狐を地面に下ろす。
「コ~ン……」
悲しそうな声を上げながら狐がノエルの事を見上げている。
「うっ……そんな目で見つめてもダメなんだから。あなたにだって帰って来るのを待っている家族がいるでしょ」
その時、狐が出て来た茂みが揺れる。
群れの仲間が懐いていた狐を呼びに来たのかと思ったが、揺れる茂みの向こうから姿を現したのは真っ白な獣だった。
「きゅ」
鼻をひくひくさせながら兎が近付いて来る。
狐と兎が向かい合っている。
「コン、コンコンッ!」
「きゅきゅ、きゅう」
なにやら会話をしているように聞こえる両者の鳴き声。
やがて両者の仲がよくなったのか小さく踊り出した。
「あなたも群れから逸れたの?」
動物の愛らしさにやられてしまったのか狐に代わって兎を抱えていた。
「きゅう~~~」
兎が寂しさを現すようにウサ耳を垂れさせていた。
「よかったらわたしたちと一緒に行く?」
「きゅ!? きゅきゅ!」
嬉しそうに前足を振る兎。
信じられないほど人懐っこい兎だ。
「きゅ!」
兎の目が赤く光る。
「……今すぐに兎を捨てろ」
「え……?」
突然、可愛がっていた兎を捨てるよう言われたノエル。
咄嗟の事で反応できずにいた。
ノエルから兎を奪い取ると地面に叩き付ける。何かが潰れるような音が聞こえてくるが容赦をしてやるつもりはない。
仲間だと思った兎が地面の染みになる光景を見て狐は遠くへ逃げ出してしまった。
「……さ゛む゛い」
「大丈夫かよ」
体を暖める為に両手で二の腕を擦りながら座り込んでしまったノエル。
「何があったの?」
「この兎、魔物だ」
アイラの疑問に答える。
兎からは目が赤く光った瞬間に魔力を感じられた。何らかの魔法を使用したのは間違いない。
「……たぶん周囲の温度を数度だけ下げる魔法」
魔法を実際に体感したノエルにはどういった魔法なのか分かっていた。
魔物としては弱い方で自分を中心に半径2~3メートルの範囲を寒くさせる魔法を得意としていた。効果は低い方だが、この雪の積もった山において接近した状態で冷気を発し続けられれば数分で動けなくなってしまう。
もしも、抱きしめたままの状態でいたならノエルが危険だった。
ただ、すぐに離したものの無事とは言い切れなかった。
「晴れているのに凄く寒い」
ガタガタと体を震わせている。
雪が降っていた時以上に寒そうだ。
「本当に大丈夫か?」
「うう、何で……」
「汗を掻いていた状態で一気に冷やされたからです」
メリッサから指摘されて気付いた。
あの時、ノエルは汗を拭うように言われていたにも関わらず狐が突然現れたことで警戒してしまった。
警戒すること自体は問題ないのだが、汗をそのままにしてしまった。
そんな状態で気温が一気に低くなってしまったので体温が急激に奪われていた。
「……少し休憩しない?」
「そうだな」
山も半分近く登っている。
そろそろ休憩してもいい頃合いだろう。
道具箱から薪を取り出すとメリッサに頼んで火を熾してもらう。
「あったかい」
焚火の前で手を翳してぬくぬくしているノエル。
体温を奪われてしまったこともそうだが。延々と続いているように思える真っ白な雪山を昇り続けるのは精神的に辛いところがある。まだ冒険に慣れたとは言えないノエルの疲労は酷い。
それでも俺に付いて来ると言っている。
暖まっていたノエルが俺の隣にピタッと付く。
「――あなたのせいじゃないわよ」
「え……」
「焦る気持ちは分かるわ。自分の問題に巻き込んでしまったんだから。それでも自分を必要以上に責めるような事はしないで」
迷宮巫女であるノエルは主である俺の心境をなんとなくだが悟ることができる。
ノエルが言うようにレンゲン一族を今すぐにでも滅ぼしたい焦燥に駆られていた。しかし、解毒薬などの事もあって手が出せずにいる。
表面上は気にしないように装っていたのだがノエルまで誤魔化すことはできなかったみたいだ。
「大丈夫だ。今は凄くイライラしているけど、全ての問題が解決したら普段通りに戻るさ」
「本当?」
「本当だ」
「分かった。信じる事にする。けど、子供たちの前に行く時にはきちんと普段通りに戻ってからにしてね」
「もちろんだ」