第17話 雪山
――キョクレイ山。
メティス王国の最北端に位置する山は、大昔から亡くなった者の魂が霊界へと旅立つ為の道だと信仰されていた。
山には様々な野菜が生え、木々には色とりどりの実が成っている。
それらは霊が迷わずに旅立てる為だとも言われている。
もっとも山の傍で生きる人々にとっては信仰など関係ない。山の幸を頂いて日々を生きている。
そんな恵に溢れた山も今は静かになっている。
冬を目前にして木々は枯れ、地面には薄らとだが雪が積もっていた。
上へ行けば行くほど冬が訪れている。
「……寒いな」
思わず呟いてしまった。
雪山を登るのだが、いつも通りの服装だ。それは寒く感じるのも当たり前だ。
「どうしますか? 魔法で暖める事もできますが」
「魔力は大丈夫なのか?」
「この程度の魔法なら平気です」
メリッサに頼んで暖かくしてもらう。
お、寒さが気にならなくなったな。
「暖かくできるならこっちのもの。早く行きましょう……うっ!」
「馬鹿が」
意気揚々と歩き出したアイラ。
ところが、俺たちから離れた途端に寒がり出してしまった。
「あくまでも私を中心に気温を上昇させただけです。効果範囲は10メートル程度と思って下さい」
「それを早く言ってよ」
近付くとぬくぬくしていた。
そんな彼女の視線が突如として鋭くなる。
「どうやら暖まっている場合じゃないみたいよ」
アイラが剣を抜く。
気付けばイリスも自分の剣を抜いていた。
ズン、ズンと大きな地響きが聞こえてくる。
「グォォォンンン!」
「おやおや、随分と殺気立っているな」
姿を現したのは雪熊。
見たところ腕に斬られたような傷がある。追い詰められていた冒険者たちだったが一矢報いる事には成功したらしい。
傷を負ったことで殺気立っているらしい。
アイラとイリスが同時に魔法のフィールドから出て駆け出す。
雪の上、ということでいつもより移動速度が遅いが左右から襲い掛かって来る敵を相手にどちらを迎え撃てばいいのか迷っている。
イリスがさらに加速して接近する。
先に自分へと迫るイリスを標的に定めて左腕を向けると手の先にある爪から巨大な氷の爪を生成する。
雪系の魔物は水や氷の魔法が得意だった。
雪熊も例外ではなく、氷の爪を生成して武器としていた。
剣と爪が衝突する。
剣が爪に受け止められてしまって……剣で爪を押さえていた。
「アイラ」
「了解」
雪熊の意識がイリスへと向いている間にアイラは雪熊の目前まで迫っていた。
距離にして3メートル。あと1歩踏み込んで剣を振るうだけで斬ることができる距離だ。
自身の危機を察知した雪熊が右腕をアイラへ向ける。
次の瞬間、一瞬にして氷の爪が生成されて発射される。
雪熊が持つ数少ない遠距離攻撃方法だ。
「ふっ」
短く息を吐きながら剣を振るう。
氷の爪が細かく斬り刻まれて地面に落ちる。
「もらった」
雪熊の右腕が宙を舞う。
並大抵の攻撃ならば弾いてしまう氷のように強靭な体毛を持っているせいで斬るのが難しい相手だったが、アイラの【明鏡止水】の前では意味を成さない。
一撃で腕を斬り飛ばすと追撃するべく雪熊へ剣を向ける。
「……離れて!」
咄嗟のイリスの声。
状況を確認するよりも早くアイラが後ろへ跳ぶ。
直後、雪熊を守るように地面から出現した氷の壁が覆っていた。
「ううっ、中は凄く寒そう。あの中に取り残されなくて良かった」
「今はいつも通りの格好で平気じゃない」
「気分の問題。それと今は体を動かしているから温かくなっているだけ」
「そんなに変わらない」
「うっ……」
アイラのアホさはともかくとして氷の中に閉じこもってしまった雪熊をどうにかしなくてはならない。
「無視して進んでもいいんだけどな」
中途半端に攻撃してしまったため、体がある程度回復した時には村を襲い始めるかもしれない。
「私が氷を溶かしましょうか?」
メリッサの炎なら時間を掛ければ氷の壁を溶かす事だってできる。
しかし、今はその数分すら惜しい。
「くしゅん!」
後ろでノエルが可愛らしいくしゃみをしていた。
「……ん?」
顔に冷気を感じて空を見上げれば雪が降って来た。
どうりで寒い訳だ。
「問題ない。相手が氷なら私の独壇場」
イリスが剣を氷の壁にコツンと当てる。
たったそれだけで氷の壁が水になって消えてしまう。
「グアッ!」
自分を守る盾が消失したことに驚く雪熊。
氷を自在に操れるイリスにとって自分よりも弱い者が作り出した氷を水へと換えることなど造作もなかった。
驚く様子を無視して胸に剣を押し当てるイリス。
「氷衣」
剣から発せられた冷気が数秒の内に雪熊の全身を包み込んでしまう。
逃げる暇すらなく雪熊は氷の中に閉じ込められてしまった。
「ふぅ……討伐と一緒に冷凍保存もできた」
「あ、こっちもお願い」
両手に斬り飛ばした右腕を抱えたアイラ。
イリスの魔法によってあっという間に氷に覆われてしまった。
「これで山に出る魔物の中では強い方なら問題ないな」
「そのようですね」
メリッサとノエルは俺を守る為に傍に居た。
山は強力な魔物が現れるので危険だと教えられていたが、そうでもないようだ。
「さあ、このまま先へ――」
――ヒョオオオオ!
凍て付く風が吹き付けて来た。
「寒いぞメリッサ」
魔法で暖かくされているはずなのに全く暖かくない。
「単純に私が魔法で温めるよりも外の気温の方が低いのです」
「じゃあ……」
「この天気では魔法に頼るのは不可能です」
マジか……
思わず空を見上げていると背中に重みを感じた。
ノエルが背中に抱き着いていた。
「寒いよ……今日の探索とか無理」
「いや、普通にコートでも着ろよ」
「この寒さはコートを着た程度じゃあ解決されない」
ガタガタと震え出すノエル。
それでも俺と密着しているおかげである程度は耐えられているらしい。
「っていうか、お前は狐の獣人だろ。寒さには強いんじゃないか?」
「無茶を言わないで。たしかに狐の獣人は寒さに強い人が多いけど、わたしは物心ついた頃から神殿でぬくぬくと育てられたの。こんなに雪の降る場所は行った事がないから体が整っていないの」
逆に寒くて仕方ないらしい。
そう言えばノエルだけは時間がなくて寒中訓練を行っていない。
「あたしも!」
「おいっ!」
羨ましくなったのかアイラまで抱き着いて来る。
メリッサとイリスは魔法で作り出した焚火の前で暖まっている。いくら相手にならない強さとはいえ遊んでいる最中に襲われればどうなるのか分からない。最低限の警戒ぐらいはしていなければならない。
「せめて雪が止んで晴れてくれればいいのに」
……晴れてくれれば?
「ノエル」
「……なに?」
「【天候操作】を使え」
自在に天候を操作することができる。
驚異的とも言える効果を発揮しながら範囲も広い。
「……んんっ!」
わざとらしく咳をする。
ノエルが杖を掲げると太陽にも似た光が放射される。
空を覆っていた灰色の雲がどこかへと消えて行き、開けた場所に青空が見えて太陽の光が差し込んでくる。
先ほどまでの悪天候が嘘のようだ。
「山の天気は変わり易いって言うし、天気が元に戻る前に先へ進もう」
いや、その時は再び【天候操作】を使えばいいだけだろう。
そんな突っ込みを呑み込みながら雪山を進む。