第16話 麓にある村
毒を盛られてから3日目の朝。
「こんな辺鄙な場所に客だなんて珍しいな」
『虹の雫』が得られる山の麓にある村へと赴いていた。
村に入った瞬間、来訪者がよほど珍しかったのか俺たちの姿を見た瞬間に鍬を手にした村人が目を丸くして驚いていた。
村人は『辺鄙な場所』と言っていたが、俺の故郷であるデイトン村よりも大きく村人の数も多い。
「何もない村だけど、山で得られる山菜は豊富だし、畑は作物の成長が他の土地よりもいいぐらいだ。贅沢な事を言わなければ生きて行くには困らない場所なんで、最近では王都で失敗した連中が移住者として来るぐらいだ」
アリスターのように魔物の数が多い、という訳ではないので平和な田舎なのだろう。残念ながらアリスターの場合は魔物が多いので辺境の生活に慣れるまで時間が掛かってしまいスローライフには向かない。
ただ、困っている事がない訳ではない。
「それにしても悪い時期に来ちまったな」
「ん、どういう事ですか?」
「この辺は寒くなるのが早くてな。数日前から山の方では雪が降り始めたぐらいなんだ」
「最近の話なんですか?」
目の前にそびえる山は薄らと白くなっていた。
迷宮の地下71階~75階は『氷雪フィールド』となっている。寒さにより体温を奪い、猛吹雪の中で雪原を歩かせることにより長時間迷宮に留まらせるのが目的のフィールド。
雪原を歩く訓練ならば全員で行っていた。
ところが、『氷雪フィールド』には雪山と呼べるような物がなく、小高い丘はあったので登る訓練は行ったものの丘と山では全然違う。そういうわけで、雪山の登山訓練は行っていなかった。
多少の不安はあるが、登らなければいけない以上、高いステータス任せに進んで行くしかない。
「ああ、そうだ。毎年のようにこの時期になると雪が積もる。そうなると山で山菜とかが採れなくなるから困るんだ」
それだけならば冬に備えて食糧を蓄えたり、南側にある村から手に入れたりすれば済む話だった。
ところが、冬の山はそこまで単純ではなかった。
「冬を前にすると獣や魔物が冬眠に備えて力を蓄える。最悪の場合には麓まで下りて来て人を襲うぐらいだ。そういう時に備えて戦える連中を雇って村を守ったり、間引いてもらったりする必要があるんだ」
当然、人を雇えば金がかかる。
村にとっては大きな出費となる。
「何日か前にも魔物の討伐を依頼した冒険者が戻って来なかった。山へ行くつもりなら止めておいた方がいいぞ」
「そう言われましても……」
山へ行かなくてはならない理由がある。
そこでスッとメリッサが前に出る。
「私たちは『虹の雫』を求めてここまで来ました」
「『虹の雫』?」
「あの山には、この時期になると七色に輝く泉があるとか。そこで得られる水が必要なのです」
村人の手をさりげなく握ってここまで来た事情を話す。
「お、おう……」
メリッサから迫られて村人がドギマギしている。
村にいる女性は、言い方を気にしなければみすぼらしい地味な格好をした女性が多かった。田舎では農作業を中心にのんびりと仕事が行われているため地味な格好の方がむしろ好まれる。
対してメリッサは本来ならば体型が隠されるはずのローブを着ている。にも関わらず起伏の激しいボディラインをしている事が服の上から分かる。それに田舎にはいない妖艶な雰囲気がある。
都会の空気に慣れていない村人が戸惑ってしまうのは仕方ない。
「何か泉について知っている事があれば教えて貰えませんか?」
唯一のメリッサの欠点が身長の低さ。
それも男の顔を見上げるという武器に変える。
「そうだな……」
メリッサにすっかり篭絡されてしまった村人は泉について知っている事を語る。
『……これはあたしには真似できないわ』
『同じく』
篭絡する姿を見ていたアイラとイリスが念話で呟いた。
二人とも妖艶な雰囲気を出すにはある部分のボリュームが足りていない。以前は一番足りていなかったアイラだったが、子供を産んだ事による影響でイリスを抜いてしまった。その事がイリスを焦らせていた。
二人とも『ない』訳ではないので、そこまで気にする必要はないと思うのだが、このような光景を見せられると負けたような気になるらしい。
もっともメリッサの場合は純粋に魅力だけで篭絡している訳ではない。
闇属性魔法【魅了】――対象を自分に対して従順にさせる魔法。この魔法を使われると尋ねられた事に対してペラペラと喋ってしまう。
一見、情報収集において強力に思える魔法だが、一般的な魔法使いの場合は相手の魔力値が20もあれば耐えられてしまう。また、それ以下の場合でも少し酔った程度の影響しか与えられない。
ところが、メリッサほどの魔力で同じ魔法を使用すれば農作業に従事している者程度の魔力では一瞬で虜になってしまう。それを補助する意味でも純粋な方法で篭絡していた。
普段ならばメリッサも相手の事を考えて使用することなどないが、今は非常事態であるが故に魔法を躊躇なく使用していた。
「俺も冒険者から聞いた話ぐらいしか知らないけど、いいか?」
「はい、構いません」
村人の説明によると山の八合目付近に開けた場所があるらしく、そこに泉がある。
泉は、そこにある様々な色をした岩盤の影響を受けて虹のように様々な色を持っているように見えるらしい。
普段は普通の水をしている。しかし、今のように冬になり始めた直後の時期になると岩盤が変色するとの事だ。
「俺は専門家じゃないからな。詳しい事は分からねぇ」
「いえ、十分に助かりました」
情報のお礼にメリッサが村人に対して微笑む。
それだけで満足してしまったらしく、仕事場である畑の方へと向かって行った。今は収穫期で農家にとっては最も忙しい時期だ。あまり長時間拘束する訳にもいかない。
「目的地は頂上付近である事が分かりましたがどうしますか?」
「できれば実際に魔物を討伐している冒険者からも話を聞きたいところだけど……」
山でどんな魔物が出るのか分かるだけでも対処は簡単にできる。
「でも、この村には冒険者ギルドなんてないわよ」
「だよな……」
大きな街ともなれば必ずある冒険者ギルドだが、さすがに村と呼ばれる程度の規模しかない場所に冒険者ギルドはない。
山にいる魔物の討伐依頼も近くの街へ行って出したのだろう。
村は、山へ赴く為の拠点に利用しているはずなのでタイミングが合えば会えるかもしれない。
しかし、先ほど『冒険者が戻って来なかった』と言っていたので期待することはできない。
「最悪、情報なしでもどうにかなるかもしれないけど……」
自分たちの安全を万全に考えるのなら情報は必要だ。
しかし、タイムリミットが設けられている以上、情報収集に時間を掛ける訳にも行かない。
「ん?」
方針について考えていると村の外が騒がしくなっていた。
振り返れば、胸に斬り裂かれたような傷を負って血塗れになった大柄な男が二人の男に左右を支えられて村の方へと戻って来ていた。3人の後ろには武器や荷物を抱えた少年もいる。
「あ、あんたたちどうしたんだ!?」
村の外が騒がしくなったのは彼らが戻って来たかららしい。
血塗れの男たちを見て狼狽えている。
「チッ、しくじっちまった」
「ど、どういう事だ?」
「山の魔物を狩りに行っていたんだが、途中で雪熊が現れた」
「な、なんだってそんな魔物が!?」
「……俺が知るかよ。とにかく、こんな傷を負った状態じゃあしばらくは戦えない。治療を終えたら街へ帰らせてもらうぜ」
「そんな……」
その場合、依頼は失敗となる。
多少のペナルティはあるだろうが、雪熊が村へ来る可能性も皆無ではないので早く逃げたいのだろう。
「どう思う?」
「決して弱い冒険者ではないと思う」
イリスの見立てではBランク冒険者もしくはCランク冒険者の中でも強い方。それでも魔物の討伐を続けていて疲れていたところを襲われてしまったせいで敗れてしまったとの事。
雪熊は複数のBランクが協力して討伐する魔物。
状況と人数不足が敗北理由だ。
けれども、それだけとも言える。
「後ろにいた少年は荷物持ち。荷物の中に狩った魔物の素材が入っていたから狩りそのものは順調に行われていたはず」
つまり、彼らでも十分に対処できる魔物しかいない。
そして、俺たちなら雪熊も恐れる必要がない。
「行くぞ。今日中に『虹の雫』を手に入れる」