第14話 若返り薬
『若返り薬って、そんな物が実在するのか?』
族長に聞かれないよう念話で会話を続ける。
若返り薬――言葉だけを聞くとどうにも胡散臭い。年老いた権力者の誰もが死を恐れるようになる。中でも老衰による死は最も恐れられている。
そういった人たちにとって若返る事ができる薬は喉から手が出るほど……どれだけの財を出したとしても手に入れたい代物だ。
だが、実際に若返る事に成功した人はいない。
『今さら実在していないと思われていた程度で驚くかい? 君は、迷宮主となってからこれまでの間にどれだけ信じられないような物を見て来た? 巨大な魔物、神獣と呼ばれる自然災害を引き起こす者、海底に封じ込められていた亡霊』
若返る薬もその一種。
既に製法の失われた薬だったとしても、どこかで受け継がれていただけの話。
「この『神樹の葉』っていうのはエルフの里にある神樹に生えている葉っていう事でいいのか?」
「問題ない。この世界には何本もの『神樹』があるが、どの神樹から取って来た物でもいいから生えている葉を5枚回収して来ればいい」
無難な会話で繋げる。
5枚か……それぐらいなら大した負担にはならない。以前に神樹の傍まで行った時に葉が何枚か体に付着していたので回収して【魔力変換】しているので迷宮の力で精製することができる。
『とはいえ、僕も薬の精製は専門じゃない。この素材を使えば「若返り薬」ができる事を知識として知っているだけだから間違っているかもしれない』
『いや、それはない』
キッパリとイリスが断言する。
「神獣なんてどうすればいいのよ……」
「お前らにはメンフィス王国で討伐した事になっている 神獣があるだろ。どこにいるのか……いや、確証がないだけで迷宮へ連れて行った事は分かっている。そいつらから回収してくれればいい」
メンフィス王国で何をしたのかも知られてしまっている。
おそらく、これまでに何をして来たのか人類が到達できる範囲での出来事については全て知られてしまっているのだろう。
全て知られている。
それぐらいのスタンスで行った方がいい。
『目の前にいる爺さんは穏やかに笑っているけど、心の底では強い欲望が渦巻いている』
自分の支配体制もきちんと整えている。
それに――とイリスが続ける。
『会った瞬間から妙にちぐはぐとした感覚があったんだけど、さっき目と目が会った瞬間に確信した。あの人、そこにいるフリートとかいう奴の祖父とか言っていたけど本当に血の繋がった祖父なのか怪しい』
『と言うと?』
『肉体はたしかに60代だけど、【鑑定】してみると年齢が533歳と表示された』
『は?』
そんなはずはない。
そう思いながら【鑑定】してみると本当に533歳と表示された。しかも【鑑定】が成功するという事は迷宮に近しい存在になっている、という事だ。
「ヘスティア鉱石なんてあたしは名前すら聞いた事がないんだけど」
「そいつは深い鉱山の奥で稀に得られる鉱石だ。普通は数年間掘り続ければ少量だけだけど得られるっていう代物だな」
普通なら薬に使うような量を得るには数年の時間が必要になる。
ところが、これも過去の迷宮主が【魔力変換】してくれていたおかげで入手には困らない。
他の物も同様だ。
唯一、困ってしまったのが『虹の雫』とよばれる物だ。
「そいつはメティス王国の最北端にある山で湧く七色に輝く水の事だな」
少なくとも俺の記憶にはない代物だ。
かなり貴重な物だとしたら何か方法を考える必要がある。
「こいつを用意してワシに渡せ」
「分かった。用意しよ――」
『んんっ!』
咄嗟にイリスから注意するような声が心に響く。
思わずイリスの方を見てしまう。
「どうやら平気な奴がいたみたいだな」
族長の厭らしい声が響く。
企みを阻止されたが、面白そうな物を見つけた目でイリスを見ている。
「失礼」
一言だけ断って立ち上がると部屋の隅へと移動していく。
そこには紅い花の入った花瓶が置かれているだけで何もない。
「やっぱり……」
イリスが花瓶ごと花を凍らせる。
「メリッサ、魔法で換気して」
「はい」
巻き起こされた風が屋敷内の空気を外へと追いやる。
「この花は毒物ね」
「そこまでの劇物じゃないさ。少しばかり人の判断能力を失わせる程度だ」
イリスが念話で毒について説明してくれる。
花瓶に差さっていた花から無色無臭の毒が撒き散らされており、吸ったところで死に至るような毒ではないが判断能力を失わせる効果があった。
毒を用いることで自分にとって有利な契約を交わす。
それが族長の目的だった。
念の為にイリスから【迷宮守護】を借りて毒を癒す。
頭の中がスッキリしたような感覚になる。
……そう言えば最初からアイラが黙ったままだ。彼女を見てみると眼を瞑って寝ている。判断能力が鈍った事で眠気に負けてしまったようだ。
『有利な契約?』
『そう。今の契約だと用意した後にどうするのかが決められていない』
「あ……」
薬に必要な素材を集める事。
そして、素材を渡すところまでは決められた。
けれども、素材を渡したところで解毒薬が貰える保証は一切ない。いや、解毒薬を貰えなければ素材も渡さなければいいだけの話……
「毒の効果は判断能力を失わせるだけじゃない、という事」
「正解だ。その毒には、毒の影響を受けている間に交わした約束は絶対に守らなければならない、という気にさせる効果がある」
つまり、俺だけは族長にとって必要な物を渡さなければならない。
さらに解毒薬は貰えない。
危なかった……イリスが注意してくれなかったら絶対に不利な契約を交わしてしまうところだった。
「私たちをこんな所まで呼んだ事にこの毒が原因なのね」
「お前さんは本当に厄介だな」
その毒を調合するには紅い花を新鮮な状態で保っている必要がある。
ところが、この紅い花はこの辺一体の特殊な気候でしか生きている事ができない花らしく、アリスターまで持って行く事ができない。
だから――危険を冒してまで呼ぶ必要があった。
「危険なんかない」
そうだ。この毒の影響下で『自分たちの事を口外するな』と約束を交わすだけで里の秘密は永遠に守られることになる。
よっぽど今の毒に自信があったのだろう。
しかし、それでも相当なリスクを負う毒だ。
毒がしっかりと効力を発揮しているのなら問題はないが、イリスみたいに毒が通用しなければ秘密は簡単に外へ持ち出されてしまうことになるし、契約時に不義理を働いている事になる。
「この毒は無色無臭。しかも、毒が効いている間はちょっとした酩酊状態になっている。他の連中には通用していた。だが、お前にだけは通用していない。どうして無力化する事ができたのか教えて欲しい」
「単純な話。私には毒が通用しないスキルがある。それだけ」
【迷宮守護】。
ありとあらゆる状態から身を守ってくれるスキル。常に発動しているおかげでイリスには毒による不意打ちは通用しない。今回も俺たちは無様に毒を受けてしまったが、イリスだけはしっかりと正常な意識を保っていた。
「そうか。迷宮眷属の特殊なスキルまでは考慮していなかったな」
笑い出す族長。
対して、左右にいる頭領たちは忌々し気にこちらを見て来る。渾身の策とも言える毒が見破られたせいで苛ついているのだろう。
「問題ない。バレてしまったのなら通常通りに契約を交わすだけだ」
「つまり――『必要な素材』と『解毒薬』の交換。それでいい?」
「後は、『里に関する情報を秘密にする事』だ。こっちも『迷宮主に関する情報を一切外へ漏らさない事』を誓う」
里の人間には知られてしまっているみたいだけど、外へこれ以上拡散されてしまうとさらに面倒な事態に成り兼ねない。
お互いの事を秘密にするのも外せない。
「いいだろう。交換条件は成立だ。その代わり、ちゃんと契約は守ってもらう」
道具箱から『誓約書』を取り出す。
誓約書は、書かれた誓約を魂に刻み込んで遵守させる魔法道具。仮に誓約が守られなかった場合にはとてつもないペナルティが待っている。そのペナルティは何か一つ所有物の譲渡だ。
「いいだろう。それぐらいの約束は交わしてやろう」