第5話 子供たちの奮戦―後―
――グチャ!
何かが砕け散るような音がギルド内に響き渡る。
「ぎゃあああぁぁぁぁぁ!」
次いで、マードックの叫び声も響き渡る。
砕け散る音はエルマーの手によって潰されたマードックの拳の音。
「やっぱり最低ランクからやり直した方がいいんじゃないですか?」
「テメェ……!」
マードックがエルマーに飛び掛かる。
スッと回避されてしまうと転げ回ってしまう。
「やっぱり治療費は必要ですか?」
「そんなもの関係ねぇ!」
「でしょうね。この状況で治療費なんてもらったら冒険者になったばかりの子供にボコボコにされたから治療費を出してもらったという事になります」
「エ、エルマー君!?」
これ以上の挑発をする必要はない。
エルマーがマードックをあしらえている理由は分からないが、これ以上無駄に挑発する必要もない。
「いい気になるなよ」
「怒っているのはこっちですよ」
マードックの乱打。
それを全てエルマーが弾いて受け流して行く。
「しまっ……!」
エルマーがマードックの懐に飛び込む。
その事に気付いた時には既に手遅れとなっていた。
「はっ!」
腹に叩き込まれた一撃がマードックを壁まで吹き飛ばす。
「ぐ、グソッ……っ!」
どうにか立ち上がるものの口から血を吐いてしまう。
殴られた時にどこかを傷付けてしまったみたいだ。
「何だって言うんだ、あの異常な力は……!」
子供では絶対にありえない力。
起き上がろうとするルーティが近付く。
「マードックさんもアリスターを拠点に活動するマルスさんの噂ぐらいは知っていますよね」
「当然だ。オレは奴を倒す為にアリスターまでやって来たんだから」
時々、マルスの活躍を元にした噂を聞いた人々が街までやって来ていた。
彼らの目的は腕自慢。活躍しているマルスを倒すことによって自分の名声を上げようという魂胆を持っている。
しかし、今まで誰もマルスに挑めたことがない。
「パーティメンバーの女も強いとか反則過ぎるだろ」
マードックもイリスに倒されていた。
中には近接戦闘が得意であるにも関わらずメリッサにボコボコにされていた者までいる。
「オレは奴にリベンジする為に迷宮で鍛えているんだよ」
幸い、近くには迷宮というレベルを上げ易い施設があった。
そこで鍛錬を積み、いつかはリベンジするつもりだった。
今日は迷宮に挑んだ時に宝石をいくつか手に入れた事で臨時収入があったため酒場で美味い酒を飲んで陽気になっていた。だからこそ、子供がぶつかって来た時に世間の厳しさを教えてやろうという気になった。
「あの子たち3人はマルス君の庇護下にある子供たちですよ」
「なに?」
「どこから連れて来たのか知りませんが同じ屋敷で生活しているのですから当然のように強くなるための教育を受けているはずです。子供では考えられない力を発揮したのも何か秘密を教えられたからでしょう」
実際にはカラクリがあるのだがルーティは気付いていない。
この場は適当に言って誤魔化す事を選んだようだ。
「ですが、それよりも気を付けた方がいいです。今回の一件でマルス君とは完全に決別してしまいましたからね」
「え、え……」
アリスターにいる冒険者のほとんどはマルスに協力的だ。これまでに積み上げて来た信頼関係があるし、戦争の時に活躍してくれたおかげで自分たちは巻き込まれなかったと思っている。実際、アリスターまで攻め込まれていれば確実に徴集されて何人かは帰らぬ人となっていた。その事を思えばどれだけ感謝してもし切れないぐらいだ。
マルスと敵対するという事は街のほとんどの冒険者を敵に回すに等しい。
「早く荷物をまとめて逃げ出した方がいいですよ」
「クソッ……!」
痛む体を押さえながら立ち去る。
その後ろを仲間の二人も付いて行った。
「よかったんですか?」
エルマーがルーティに尋ねる。
街から優秀な冒険者がいなくなるのはギルドにとって痛手になるはずだった。
「はい。彼らはたしかに実力はありましたが、素行が悪い事で有名な冒険者でした。あのような人が多くいると街の治安は悪くなります。そういう方にはさっさと出て行ってもらった方がいいのです」
自由を謳う冒険者だからこそギルドと言えど「出て行ってくれ」などとは口が裂けても言えなかった。
だから、今回の件はギルドにとっても渡りに船だった。
「ありがとうございます。マルス君にもよろしく言っておいて下さいね」
☆ ☆ ☆
「俺は怒っている」
夜、エルマーを自室に呼び出す。
俺の隣ではエルマーを助けられるようにノエルが待機している。
「理由は分かっているな」
「……はい」
聡いエルマーは自分だけが怒られている理由を分かっていた。
落ち込んで返事をする。そこには自分よりも実力のある冒険者を相手に大立ち回りした時のような覇気はない。むしろ子供らしく落ち込んでいた。
「やり過ぎてしまいました」
「そうだ。あんな状況だったんだからマードックに敵対するな、なんて事を言うつもりはない。だが、お前が採った方法はいくつもある選択肢の中で最悪な物だ」
「はい……」
Dランクを相手に大立ち回りができてしまったせいでエルマーには特殊な力があると思い込まれてしまった。
保護者である俺たちに不思議な力がある事もあって見ていた冒険者たちは大きく勘違いしていた。
だが、エルマーは少し鍛えただけの普通の子供だ。
「自分の力だけで他人に勘違いをさせるなら問題ない。けど、お前が見せたのは自分の力じゃないだろ」
「その通りです」
これが厄介なところだった。
自分から厄介事を呼び込むようなら次は力を貸さないつもりでいる。
「――いつから気付いていた?」
「この間、公園まで僕を呼びに来てくれた時に気付きました」
「出てこい」
もう一人の犯人に出てくるよう言う。
そこで、エルマーの足元にある影から真っ黒な人型の魔物――シャドウゲンガーが姿を現す。
「どうして力を貸した?」
全ては裏でこっそりとシャドウゲンガーが手助けしていた為にできた事だった。
マードックの拳を受け止めたのだって腕に張り付いたシャドウゲンガーが人々からは見えないように受け止めたのが真実だし、何もない場所でマードックが転んでしまったのも影に潜んだシャドウゲンガーが手を伸ばして転ばせたのが理由だ。途中で乱打を捌き、重い一撃を与えたのもサポートをしていたからだ。
そう、全てはシャドウゲンガーがいたからこそできた芸当。
そもそも護衛以上の事は頼んでいない。
喋れないシャドウゲンガーが身振り手振りで語る。
このままだとエルマーが傷付いてしまう。だから護衛として手を貸した。
喋れなくとも想いは伝わるので正確に理解した。
「お前が手を貸したことで今後は面倒事に絡まれる事になるかもしれないんだぞ」
少し叱ってやるとシャドウゲンガーが落ち込んでしまった。
ずっと迷宮の奥深くで孤独に過ごしていたシャドウゲンガーは護衛できる事に対して凄く喜んでいた。
落ち込まれると酷い事をしてしまった気になる。
「怒らないで下さい。本当に僕の事を思って行動してくれたんです」
エルマーが自分の護衛をしてくれていたシャドウゲンガーを庇う。
「初めは少し視線を感じる程度でした。けど、周囲を見ても誰かが見ている気配はない。だから気のせいだと思ったんですけど……」
家出をした日だけは違った。
誰かに見守られているような感覚を覚えて俯いていれば影の中にいる誰かと視線が交わってしまった。
聡いエルマーは、マルスが護衛の為に付けてくれた存在だと感じた。
「あの時か」
家出をした時は本気で心配した。
その事がシャドウゲンガーを通じて伝わってしまったのだろう。
「もう、こんな無茶はしないって約束できるか?」
「約束します」
シャドウゲンガーも頷いている。
二人を信用する事にする。
「でも、どうしてあんな事をしたんだ?」
エルマーなら必要以上に目立つことによってどんなデメリットがあるのか理解しているはずだ。
子供であるエルマーたちにちょっかいを出してくる相手が現れるかもしれない。
冒険者として活動するなら知られている相手には仕方ないが、俺たちとの関わりはなるべく知られない方向で行った方がいい。
「だって、ジェムが追い詰められていたから」
強気に出ていたジェムだったがベテラン冒険者に使い捨てにされてしまった事がジェムの中でトラウマになっていた。
その事がエルマーには分かってしまった。
だから、助けたいと思ってしまった。
後は、体が勝手に動いてしまっただけだ。
「家族を助けたいっていう想いは大切だ。だけど、自分の行動によってどんな危難が家族に降りかかるのか考えてから行動するようにしろ。リーダーなんだからできるよな」
「はい」
「じゃあ、今日はもう休んでいいぞ」
☆ ☆ ☆
「ふふっ、優しいんだから」
エルマーが出て行った直後、ノエルが微笑んだ。
「優しい?」
「そう、二人とも」
二人――エルマーと俺だ。
「エルマーも反発しながらなんだかんだジェムの事を大切に想っている」
同年代の男の子という事もあって本当は仲良くしたい二人。
兄のような心境でジェムを守っていた。
「それにマルスも。さっきは誰にもバレなかったからよかったけど、エルマーが魔物と一緒にいる所を見られれば確実にマルスが魔物と関係がある事がバレる」
シャドウゲンガーのような高ランクの魔物を使役しているとなれば、エルマーが使役しているのではなく俺が使役していると思われる。
迷宮を思えば非常に危険な行動だった。
「けど、マルスはエルマーのやりたいようにやらせるつもりでいる」
反省はした。
エルマーなら次はきちんと活かしてくれるだろう。
「甘えたいなら甘えていいって言ったばかりだからな」
多少の我儘は多めに見るつもりだ。
それがノエルには優しく見えたようだ。