第2話 嫉妬
「遅い……」
夕食の時間。
基本的に屋敷にいる間の食事は可能な限り全員が揃ってから取ることにしている。とはいえ、仕事をしていて外出をしている者などは仕方ないので常に全員が揃う訳ではない。
今日は兄も日が暮れる前に仕事が終わらせられる予定だったので全員が揃うはずだった。
ところが、仕事をしていない者でリビングにいない者がいる。
もうすぐ夕食の準備が終わりそうな時間になってもエルマーが姿を現さない。
「エルマーはどこへ行ったんだ?」
リビングへ来たクリスに尋ねる。
今日のエルマーは学校へ行っていたはずだ。
「朝は一緒に学校へ行きました。ですが、放課後になって一緒に帰ろうとしたところ姿が見えなかったのでわたしたちだけで帰って来ました」
特別に珍しい事でもない。エルマーだって姉代わりであるクリスたち以外の知り合いが学校へ通い始めた事でできた。それに一人でどこかへ行きたい事だってあるだろう。
しかし、それらも夕食の時間までに帰って来るのならの話だ。
「ジェムとジリーの二人はどうだ?」
俺たちが来る前からリビングで遊んでいたジェムとジリーに尋ねる。
この二人は時期的な問題もあって学校へは通わせていないが普段から屋敷に居る間は同じ部屋で生活している事もあってエルマーとも親しかったはずだ。
「僕たちは朝から姿を見ていません」
「わたしもです」
二人とも朝に別れた切りだと言う。
「……探しに行くか」
どうにも気になってしまう。
家出の可能性があるのだが、今のエルマーにどこか遠くまで行けるような力はないはずだ。
「わたしたちも行きましょうか?」
夕食の準備を手伝っていたシルビアが尋ねて来る。
今のシルビアはあまり外へ出したくない。それに、家出をした男の子が女性に迎えに来て欲しいとも思えない。
「……いや、俺一人で探しに行くよ」
屋敷を出る。
都市の外へ出たとは考えられないのですぐに見つけられるはずだ。そもそも見つけようと思えばどこへ行ったのかなど一瞬で分かる。
「どこにいる?」
尋ねるとすぐに答えが返って来た。
「公園だな。分かった」
答えを返して来たのはエルマーの影に潜ませたシャドウゲンガー。
護衛の為に貼り付かせており、普段は報告の必要などなく過ごさせているのだが主として居場所を知ろうと思えば知る事ができるし、護衛対象が何をしているのか教えて貰うこともできる。
「――いた」
そこは、子供たちが遊び場にしている公園。いくつもの遊具が置かれており、日が暮れる前は子供の無邪気な声で溢れている。
「ご苦労様です」
「あ、マルスさん」
公園の前にいた兵士に挨拶をする。
都市の発展を目的に領主の意向で作られた公園なため、犯罪が起きないように兵士の巡回ルートになっている。現に誘拐事件が起きた時も直後に兵士の手によって犯人が捕縛されたと聞いた事がある。
兵士の視線が公園の奥にあるベンチに座るエルマーへ向けられる。
「あの子、お宅の屋敷で預かっている子供ですよね」
「そうです」
俺は街の中でも有名な冒険者になってしまった。そのため、屋敷で預かっているエルマーの事は簡単にだが兵士にも伝わっている。とはいえ、一時期問題を起こしていた人物としてではなく、行き場をなくした子供としてだ。
「今日は昼過ぎからずっとあのようにベンチに座っていたんです。何かに悩んでいる……と言うよりも寂しそうにしていました」
「ありがとうございます」
兵士の仕事はあくまでも犯罪が起きないよう巡回する事。あまりに遅くなっても帰らないようなら声を掛けるつもりだったが、その前に保護者である俺が来たので任せて来た。
ベンチに座るエルマーに近付く。
たしかに兵士が言うようにどこか寂しそうな暗い表情をしていた。
「どうした?」
「あ、マルスさん」
声を掛けるとエルマーも近付いて来る存在に気付いて顔を上げた。
「別に……」
「どうもしない奴がそんな顔をする訳がないだろ」
隣に腰掛ける。
夕方の誰もいなくなった公園は静かで寂しくさせられた。
「屋敷に帰らないのか?」
「……」
「みんな心配していたぞ」
「みんな……みんなって誰の事ですか?」
思い詰めたような表情で見つめて来た。
「屋敷にいる家族の事だよ」
「家族……本当に家族なんでしょうか?」
「どういう意味だ?」
「どうせアイラたちが可愛いのはシエラや生まれてくる子供たちの事ですよ」
もしかして……
最近のアイラは、シエラが事ある毎にシルビアにばかり構って欲しそうにしているのを見て積極的に構っていた。
そのせいでシエラが生まれるまでは自分の子供のように可愛がっていたエルマーと接している時間が短くなっていた。
それがエルマーにとっては面白くなかった。
「嫉妬か」
エルマーの賢さと物分かりの良さのせいで忘れてしまっていたが、エルマーの年齢は10歳。まだ母親に甘えたいと思う年頃。
いなくなってしまった母親の代わりをアイラに求めていたところ、アイラは自分の産んだ子供にばかり構っていて自分には構ってくれなくなった。
「たしかに最近のアイラはお前に構っている時間が少なくなったな」
「……そういう訳じゃないです」
否定するエルマーだがその顔を見れば嘘である事が分かる。
「俺にもお前の気持ちは少し分かるさ」
「え?」
「妹が生まれたばかりの頃は母さんが妹にばかり構うから自分の事なんかどうでもよくなったんだって思うようになったもんだ」
当時の事を思い出しながら自分の事をエルマーに聞かせる。
「けど、クリスは俺の気持ちなんか無視して俺に凄く懐いてくれた。そう思うと何も知らない妹に嫉妬するのは馬鹿らしくなったんだ。お前はどうだ?」
「シエラの事は凄く可愛いですよ」
一番の年下という事で積極的に幼いシエラの面倒を見ていたエルマー。
シエラの事を憎く思っているはずがなかった。
けど、それとは別にアイラを奪われたという想いがあるのも事実だった。
「嫉妬するのは別に恥ずかしい事なんかじゃない。お前だってまだ子供なんだからアイラに思いっ切り甘えればいいんだよ」
「けど……」
「何か問題があるのか?」
「問題があったんです」
エルマーが語ってくれたのは今日あった出来事。
学校で剣術を教えてくれている教官。今日は特別に騎士団から一人の騎士が派遣されて授業が行われる事になった。そこで現役の騎士を相手に奮戦することができたエルマー。謙遜するエルマーだったが、その時にエルマーに剣を教えてくれた人が良かったと褒めてくれた。
エルマーにとっては凄く嬉しかった。
自分の事よりもアイラの事が褒められた。
その事を誰よりも早く本人に知らせたかったエルマーは大急ぎで屋敷に帰るとアイラに報告しようとした。
「けど、アイラさんに声を掛けても泣き続けているシエラにばかりずっと構っていて話を聞いてくれなかったんです」
自分の事を無視されたエルマーはショックを受けて屋敷を飛び出してしまった。
その時に偶然誰にも姿を見られなかった為に屋敷を飛び出した事が誰にも知られる事なかった。
「アイラも今は自分の子供が可愛くて仕方ないんだ。けど、決してエルマーの事を嫌っているとかそういう事ではないからな」
「はい……」
聡いエルマーは俺の言葉に納得して屋敷へ帰る決意をする。
一緒に屋敷へ帰ると玄関で仁王立ちをしたアイラがいた。
「分かっているわね」
「はい……」
「みんな心配をしていたのよ」
事情はあった。
それでも飛び出して心配させてしまったのは事実だ。
「みんなに『ごめんなさい』って謝りましょう。それから今日は何があったのか教えてくれる?」
「え……」
言葉を失くすエルマー。
どんな思いでエルマーが屋敷を飛び出したのか、事情も含めて念話で共有していたのだが、念話を知らないエルマーは戸惑っていた。
けれども、すぐに俺が何らかの方法で伝えたのだと理解した。
「うん……」
はにかみながら頷いてアイラと手を繋ぐエルマー。
俺が言ったように甘える事にしたらしい。