第1話 弟
「シエラ、あなたの弟よ」
「あぅ?」
抱えたシエラをスヤスヤ寝ている赤ん坊の傍に持って行くアイラ。
アイラが言うように寝ている赤ん坊は、シエラにとって弟と言える存在だ。
「でも、弟でいいんでしょうか?」
弟の母親が疑問を口にする。
その母親の名前はアリアンナ。
数日前に病院で無事に出産したアリアンナさんは、生まれた男の子を連れて自宅である屋敷へと帰って来ていた。
「ま、従姉弟である事には変わりがないんだから『姉』と『弟』でいいんじゃない?」
父親が兄弟の子供。
父方の祖父母は、二人とも一緒だ。
「ええ、二人とも私の孫である事には変わりがないわ」
当の本人は二人の赤ん坊を嬉しそうに見ていた。
「名前は決めてあるのよね」
「ああ。大昔の偉人から取って申し訳ないんだけど、その人みたいに強い子になって欲しいっていう想いを込めて『レウス』にした」
「レウス、ね……いい名前じゃない」
「ありがとう」
生まれた男の子の名前は『レウス』に決まった。
ただ、レウスという名前の偉人に俺は覚えがなかった。
「どうしてお前が覚えていないんだ?」
「えっと……」
「冒険者の人に話を聞いたけど、大抵の人は知っていたぞ」
冒険者の常識みたいに語る兄だけど、俺には本当に覚えがなかった。
「……大昔に迷宮の最下層まで到達した事のある冒険者パーティの中で剣士だった人の名前だぞ」
「ああ! あの詐欺集団」
一般には最下層まで到達したとされているが、実際には最下層まで到達せずに地下55階で諦めてしまった冒険者。諦めただけなら良かったのだが、地上へ帰還後は「最下層まで到達したが何もなかった」という嘘の報告をしていた。
その後、最下層まで到達できた冒険者としてチヤホヤされていた。
そのため真実を知っている者としては詐欺師同然の扱いをしていた。
「お前……」
「あ!」
兄は自分の子供が優秀な功績を残した冒険者のように強くなって欲しいという願いを込めて名前を付けた。
それを詐欺師呼ばわりすればいい気はしない。
実際、普通の冒険者の中では優秀だったのは間違いない。
そんな名前を付けられた子供は大人が騒がしくしていても眠ったままだ。
「これからはあなたもお姉ちゃんよ」
「う」
眠っている赤ん坊の姿をじっと見ているシエラ。
まだまだレウスと同じく赤ん坊であるシエラには自分が姉になった自覚などないし、一緒に住んでいるクリスたち姉(叔母)が安心できる存在だとは認識していても姉だとは思っていないはずだ。
「それで、これからの事なんですけど――」
今は兄の部屋で寝ているレウスだったが、家族がまた一人増えたので打ち合わせしなければならない事がある。
☆ ☆ ☆
いきなり見知らぬベッドへ連れて来られたシエラは戸惑っていた。
景色もそうなのだが、目の前には今まで見た事のないものがあった。自分よりも小さな体。今まで自分よりも大きな人しか見た事のないシエラにとっては興味を抱かずにはいられない存在だった。
「あぅ」
いつも家族にしているように「遊ぼう」と手を伸ばす。
家族の誰かなら自分が手を伸ばしただけで相手が手を取ってくれる。そこからは手を振ったり、抱え上げたりしてくれる。それに音の鳴るおもちゃで遊んでくれるのも楽しかった。
しかし、目の前にいる小さな存在に手を伸ばしても何の反応も返してくれない。
「う?」
仕方なくさらに手を伸ばしてペチペチと顔を叩く。
こうすれば自分が催促しているのだと相手に伝えられる事を知っていた。
男の子の顔がウズウズと歪む。
「あ、あああああ~~~~」
顔を叩かれた衝撃に全力で泣き出す。
「あぅ」
うるさい音。
こんな大きな音は今までに聞いた事がなかった。
「ふぇ、ふぎゃぁぁーー!!」
不安感からシエラも泣き出してしまった。
☆ ☆ ☆
「レウス!?」
「シエラ!?」
少し目を離していた隙に子供たちが大泣きしてしまった。
二人の母親が抱えてあやす。
「ほら、もう大丈夫だからね」
アイラがあやしているとシエラは泣き止んだ。
「ふぎゃぁぁーーー!!」
「一体、どうしたの……?」
しかし、アリアンナさんがいくらあやしてもレウスに泣き止む様子はない。
ただ、生まれて数日の赤ん坊。やがて泣き疲れてしまったのか眠ってしまった。
「疲れた……」
アリアンナさんも育児にはレウスが生まれた時に備えてシエラの世話を率先してやっていたおかげで少しは慣れていた。
しかし、自分の子供という事でシエラの時以上に疲れてしまったみたいだ。
「シエラ、一体何があったの?」
「あぅ」
プイッとそっぽを向いてしまうシエラ。
泣き出した時の順番からして泣き出してしまったレウスに釣られてシエラも泣き出してしまったように思えた。
泣き出した原因になる瞬間を見逃してしまった。
『実はね――』
困っていた所に屋敷内を見張っていた迷宮核が起こった事を教えてくれる。しかも【迷宮同調】を利用して映像付きだ。
「あー」
その映像を見た俺たちは納得するしかない。
今のはどう考えてもシエラが悪い。
「シエラ。あなたはお姉ちゃんになったんだから弟を守らないといけないのよ」
「あぅ」
ゆっくりとシエラを寝ているレウスの隣に座らせるアイラ。
これからの事を考えれば二人は慣れさせておいた方がいいとの考えらしい。
「お母さんと約束できるかな?」
返事をせずにジッとレウスの事を見つめるシエラ。
やがてレウスの隣でコトンと横になってしまった。
「あぃ」
そこからレウスへ必死に手を伸ばして眠り始める。
その姿は、まるで自分よりも弱い存在を必死に守ろうとしているように見えた。
アイラの言っていた事が理解できた訳ではないのだろうが、本能でレウスの事を守らなければならない存在だと自覚したのだろう。
☆ ☆ ☆
その日の晩。
自室でのんびりと過ごしていると部屋の扉がノックされた。
「はい」
既に寝る時間だったが、この2年ばかりは一人で寝た日の方が少ないので誰かが訪ねて来ても不思議ではなかった。
「ちょっといい?」
「あぃ」
シエラを抱えたアイラが入って来た。
「お前が来るなんて珍しいな」
「そう?」
「少なくともシエラが生まれてからは初めてなはずだ」
夜泣きする事もあってアイラはシエラの傍を離れる事がなかった。
「別にそういう事をするつもりじゃないの」
俺も娘が見ている前でするつもりはない。
「そうじゃなくて。今日は3人で寝させてくれない?」
「3人?」
「あぃ」
いそいそとベッドに入るアイラ。
真ん中ではシエラが既に寝始めている。
仕方なく俺もシエラを間に置いて反対側で横になる。
アイラが愛おしそうに寝息を立て始めたシエラを見ている。
「……何かあったのか?」
「え?」
「何か思うところがあったから今日は連れて来たんだろ」
今までは俺をきちんと寝かせる為に自室でシエラと寝ていたアイラ。
態々連れて来たのだから何かあったのだろうと思えた。
「うん。実は、お姉ちゃんをしているシエラを見ていたら連れて行きたい場所ができたの」
「どこだ?」
そろそろ外の景色を見せてもいい頃かもしれない。
「ううん。街のどこかとかじゃなくて遠い場所」
「さすがに街の外はマズくないか?」
安全を考えれば簡単に連れて行くことはできない。
「もちろんあたしが抱えて連れて行く訳じゃなくて、マルスに目的地まで行ってもらってから【召喚】で喚んでもらう方法で移動するの」
それなら道中の危険は無視できる。
ただ、それでも危険を完全に排除できるわけではない。
「それで、どこへ連れて行きたいんだ?」
「生まれた孫の姿を見せる為に、あたしの故郷であるパレントへ」