第36話 出産立ち合い
産気づいた。
「おいおい出産予定日は半月以上も先の話だろう」
せっかくなので出産に立ち会いたい。
だから、出産予定日に合わせて依頼が入らないようにした。
『何を言っているの? 今のアイラは妊娠37週目だよ。ちょっと早い気がしないでもないけど、今すぐにでも生まれてもおかしくない時期なんだよ』
「ど、どうする……」
迷宮核の報告に動揺を隠せない。
今朝、少し体調を悪くしたので見に行ったが普通にしていた。
『実は30分前ぐらいから体調をまた悪くしていてね』
妊娠にすら全く気付いていなかったアイラ。
今朝の段階で兆候があったらしい。
『少し前から陣痛も始まっているみたいだし、これは今日中には生まれるだろうね』
「マジかよ」
どうすればいいのか分からない。
とはいえ、遠く離れたデイトン村にいる俺にできる事など何もない。
『いや、これはマズいね』
「何があった?」
『どうやら主の力が必要みたいだ』
俺の力?
出産に関しては多少の知識をみんなと一緒に勉強したけど、出産に関してはその程度の力しか持っていない。むしろ女性陣の方が自分の番が来た時に備えて熱心に勉強していたぐらいだ。
俺よりも眷属の誰かの方が貢献できる。
『これをやらせるのはちょっと……』
だが、迷宮核はどうにも煮え切らない態度だ。
「どうした?」
「え?」
「さっきから頭を抱えているぞ。それに、さっき『出産予定日』がどうとか聞こえたけど、もしかして……」
どうやら動揺のあまり言葉にする必要のない念話を口にしてしまっていたらしい。
パーティリーダー3人から見られていた。
「ええと……」
念話の存在もできる限り秘密にしておきたい。
「どうやっているのか知らないけど、遠くにいる奴と会話をする事が可能なんだろ」
冒険者として長く活動していたクレイグさんには気付かれてしまった。
魔法道具の中には遠距離の通信を可能にする物がある。ただし、貴重な素材が使われており、生産数が少ないこともあって手に入れるには大金が必要になるため簡単には手に入らない。
しかし、Aランク冒険者なら支払える。
「まあ、持っていますけど」
明らかに誰かと会話していると思われる独り言を呟いてしまった以上は念話が可能である事を隠し通すのは不可能だ。
だから、魔法道具によるものだと誤魔化す。
「状況は分かっている。アイラの出産が近いんだろ」
クレイグさんの言葉に頷く。
「そして、お前の力が求められている」
「そうみたいです」
「なら、どうしてこんな所にいるんだ?」
「え……?」
「子供の誕生に立ち会うよう言われているならこんな場所に居続けるべきじゃないだろう。さっさとアリスターへ戻れ」
まさか、アリスターへ戻れなんて言われるとは思っていなかったせいで呆然としてしまった。
なぜなら、午前中はデイトン村に誰もいなかったせいで迷惑を掛けてしまった。
さすがに同日中に再びいなくなるのは問題だ。
「俺はフェリシアの出産に立ち会った。俺ができる事なんて何もなかった。それでも傍にいてくれて嬉しい、って言ってくれたんだ。だからお前も戻るべきだ」
「そうです、お兄様!」
大きな音を立てながら扉が開かれた。
そこには妹たちが全員揃っており、エルマーと眷属たちが苦笑していた。
「事情はシルビアさんたちから聞きました」
「ごめんなさい」
シルビアたちも迷宮核からの報告を聞いて右往左往してしまったらしい。
その様子を同じ家にいた妹たちに見られてしまい、事情を問い詰められてしまった。
「お母様やオリビアさんがいますけど、今あの屋敷にはアイラさん一人しかいないんです。きっと一人で心細いはずです。だから、お兄様の力を必要とされているんです」
なんだかんだ言いつつもアイラが信頼しているのは主である俺と同じ眷属であるシルビアたちだ。
不安になってしまうのも仕方ない。
「分かった。ちょっとだけ戻ろう」
「やった!」
俺に抱き着いて来る妹たち。
それにエルマーもそっと手を握っていた。
事情を知って心配させてしまったのは彼らも同じだ。ついでに連れ帰るぐらいなら全く苦にならないのなら連れ帰ってあげてもいいだろう。
「行くぞ」
☆ ☆ ☆
転移先は屋敷の玄関になる。
普段なら帰って来た事を知らせる為に外から入って来るが、今はそんな事を言っていられる場合でもない。
迷宮核によれば、2階にあるアイラの自室ではなく1階にある客間の方で寝かされているらしい。
客間の方へ向かうと布団を運ぶオリビアさんと出くわした。
「ただいま戻りました」
「い、いつの間に?」
「今さっきです。それよりもアイラの様子は!?」
「たぶん今日中には生まれそうです」
さすがは二児の母。
自分の経験から推測したらしい。
「そうですか」
「ただ、アイラさんなんですけど……」
「何かあったんですか?」
「部屋の中を見てくれれば分かると思います」
言われるまま客間の中へ入る。
客間の入口に近い場所では、床に敷かれた布団の上に寝かされているアイラの姿があった。
ただ、寝ているアイラは今までに見たことがないほど苦痛を耐えている表情をしており、額からは玉のような汗が流れていた。
明らかに辛そうだ。
だが、出産時に俺たちにできる事は少ない。
「励ませばいいですかね?」
「まずは、部屋の奥にある物を見て下さい」
「奥?」
部屋の奥にはベッドが置かれているはずだ。
いや、そもそもアイラがベッドで寝かされておらず、床に敷いた布団の上で寝ている理由が分からない。
だが、ベッドの状態を見て理解した。
ベッドは強力な力でも加えられたのかボロボロに砕けていた。
「なに、これ……?」
訳が分からない。
一緒に屋敷へ来た面々も同じなのか首を傾げていた。
「アイラさんです」
「え?」
「陣痛に耐えているアイラさんですけど、その時に強過ぎる握力でベッドを掴んでしまうものですから……」
ベッドが粉々に砕けてしまった。
砕けた拍子に投げ出されてしまったアイラだったが、持ち前の身体能力を活かして体勢を整えていたおかげで大事にはならずに済んでいた。
「こんな状況予想していなかった」
眷属による高ステータスが原因だ。
普段は抑えられている力だが、今は制御を気にしていられるほど余裕のない苦痛の為に手加減ができないようになっている。
『ごめんね。僕が思い出すべきだったよ』
迷宮核は自身やこれまでの迷宮主において眷属の出産に立ち会っている。
これまでの眷属も似たような状況だったらしい。
『なにせ何百年も前の話だったから注意事項とか忘れていたよ』
前迷宮主がいなくなった後は話し相手もいない孤独な時間が続いた。
責めるのは酷な話だ。
「俺は何をすればいい?」
迷宮核はこの状況を見て以前の出産を思い出した結果、俺に何かをさせようとしている。
『強過ぎる力のせいで色々な物を壊しちゃうって言うなら話は簡単。誰かがアイラの手を握ってあげればいい』
「そんな単純な話でいいのか」
苦痛に耐えているアイラを励ます意味でも手を握ってあげる。
「あ、あがぁ……!」
――ボキボキボキ!
手から聞こえてはならないような音が聞こえて来てしまった。
辛すぎる痛みのせいで手を直視できないが、確実に砕かれたような感触が伝わって来る。
「……ごめん」
「謝るな。この程度、お前が感じている痛みに比べれば大した事がないんだろ」
母や義母から教えられたが、出産時にはハンマーで砕かれるような痛みがあると知っていた。
男には分からない痛みだ。
ハンマーで何度も殴られる事に比べれば手の1本や2本を砕かれるぐらいは問題ない。
「頑張ってくださいアイラさん」
エルマーが俺の後ろから声を掛ける。
それに対してアイラは微笑みを返すだけ。
俺が力を引き受けている事で安心したのか余裕が出て来た。
しかし、どこまで耐える事ができるのか……
『メリッサは主に回復魔法を掛けて。イリスは【迷宮操作:建築】で床を補強し続けて。シルビアとノエルはオリビアさんと一緒に出産の手伝い』
余裕のない俺に代わって迷宮核が指示を出してくれる。
こういう状況では、最も経験のある迷宮核の方が頼りになる。