第2話 辺境引越
3日ほどイシュガリア公国の観光を楽しんだ。
「今度は私がアリスターへ行きますからね」
1カ月前に来た時は観光をしているような余裕はなかった。
辺境なので、公国の首都ほど楽しめる場所はないのだが、ミシュリナさんは友達の家へ遊びに行くような感覚で楽しみにしていた。
……歓待する方法を考えなくては。
そういう訳で、俺たちは1カ月振りに故郷へと戻って来た。
「それにしても【転移】というのは凄いですね」
「他言無用でお願いします」
子供を連れての長距離の移動は難しい。
ノキアちゃんを連れて行かなければならない以上は【転移】に頼らなければならなかった。
それでも距離を無視した移動系のスキルを保有している事は秘密にしたい。
街の西側にある出入口で手続きを行うと大通りを進んで行く。
「どうして、こちらから入ったのですか?」
屋敷は街の東側にある。
早く帰りたいなら東側の門を使った方がいい。
とはいえ、今日はアリスターへ来たばかりのノエルの案内も兼ねている。
「お、帰って来たんだなマルス」
「久しぶりです」
「今度はどこまで行っていたんだ?」
「ちょっとメンフィス王国までですね」
「げ!? めちゃくちゃ遠いところじゃないか」
大通りを歩いていると屋台を営んでいるおっちゃんたちから歓待を受ける。
彼らが扱っている食材は、迷宮から得られる物や迷宮に生息している魔物の肉を使っている物が多い。そのため、素材を採って来てくれる冒険者には友好的に接してくれる。
俺も、いつの間にか高ランク冒険者の仲間入りをしていた若者として知られていた。
「おい、一緒にいる奴……」
おっちゃんの一人が俺たちと同年代のノエルに気付いた。
睨み付けるような視線がノエルへ向けられる。
「やっぱりメティス王国では獣人は排斥されるんですね」
メティス王国には、獣人への差別意識が未だに残っており、獣人を見かけると攻撃的になる人がいるとメンフィス王国では伝えられていた。
しかし、おっちゃんたちが睨み付けている理由は全くの別物だ。
「おい、マルスがまた新しい『女』を連れて来たぞ」
「はい?」
人々からの評価にノエルがキョトンとしている。
そうしている間に攻撃的だった視線が全て俺へと集められる。
「やっぱり……」
そりゃあ、5人パーティで男が一人だけで他は全員が美少女となれば男連中――特に男だけの冒険者パーティから恨まれる事になる。
そのうえ見た事のない少女を連れているとなると……
「はいはいストップ。こちらは今回の依頼で俺たちが保護することになった獣人の一家だ。みんな、仲良くしてくれよ」
「当然だ。こっちは金さえ払ってくれれば客だ」
「ああ、獣人だとかは関係ない」
どうやら獣人だからという理由で排斥されるような事はないみたいだ。
そもそも最初からそれほど不安には思っていない。アリスターには獣人などの亜人が他にも数十人ほどいるし、そんな些細な問題を気にするような人たちではない。
それに、排斥するならノエルの家族だって睨まれていてもおかしくない。
「わたしたちはいてもいいのでしょうか?」
「当然だ。まあ、ここが辺境だから受け入れてくれるのかもしれないな」
辺境は突然気候が変わったり、強力な魔物が出現して人を襲ったりするなど人が生きていくには過酷な環境でもある。そういった危険から逃れる為には全員が協力して事に当たる必要がある。
少なくとも『獣人だから』という理由で追い出すような余裕はない。
「ありがとうございます。わたし、なんだかやっていけそうな気がして来ました」
笑みを浮かべて俺の隣に立つノエル。
ついでに彼女の頭に生えた狐耳と尻尾は激しく動いている。感情を隠せないほど喜んでくれた、という訳だろう。
その代わりに殺気が強くなっている。
「気に入ってもらえたようで何よりだよ」
「はい」
「そういう訳でお二人も心配しなくても大丈夫ですよ」
「ありがとうございます」
ノエルの両親が頭を下げる。
と言っても普通に犯罪は起きるし、そういう時はメティス王国の住民性から獣人の方が狙われやすい傾向にある。
後で全員にシャドウゲンガーを護衛に付けておこう。
「どうしたんだい?」
「え!?」
屈んでノキアちゃんの目線に合わせてから尋ねると目の前に現れた俺にビックリしていた。
そのまま父親の後ろに隠れてしまう。
「こら、ノキア!」
「ごめんなさい……」
8歳である彼女には自分よりも大きな男性は恐怖の対象に見えてしまう。
俺の出現に驚いてしまっても仕方ない。
「何か欲しい物でもあったのかな?」
声を掛ける直前までノキアちゃんはある屋台を見つめていた。
「なるほど」
その屋台では、お菓子の飴玉が売られていた。
甘味を贅沢に使った飴玉で味もたくさん用意されていた。
子供が買うには少しばかり贅沢な品物になってしまったが、甘さが女性に受け入れられて人気の商品となっていた。
「どれが欲しい?」
「いいの?」
瞳を輝かせるノキアちゃん。
「いけません! こんな高価な物を貰う訳にはいきません!」
母親が反対する。
「今日から新生活が始まるんですから今日だけの贅沢ですよ」
「ですが……」
「あんなに嬉しそうにしているノキアちゃんを止められますか?」
既に屋台へと駆け寄っていて、どんな飴玉が売られているのか覗こうとしている。
匂いだけでも甘いお菓子だということは理解できるが、やはり目で見て確かめたい。
しかし、ノキアちゃんの身長では屋台を覗くことはできない。
「ほら」
「わあ!」
幼い体を抱え上げるとそのまま肩車をする。
たしかな人の重さが感じられるが、常人離れしたステータスがあるおかげで平気だ。
「どれでもいいよ」
「えっとね……」
屋台では10種類以上の飴玉が売られていた。
その中からノキアちゃんが選んだ飴玉は林檎と蜂蜜を使った売られている飴玉の中でも一番甘い商品だ。
「お礼は?」
「ありがとう、お兄さん」
「どうしたしまして」
母親からお礼を言うように言われてお礼を言うノキアちゃん。
その姿に思わずホッコリしてしまうと肩車したまま屋敷へと進む。
アリスターの観光そのものは明日以降にでもすればいい。今日のところは辺境の様子に慣れてもらって休んでもらう。
数日前からの急展開に彼らも疲れているはずだ。
「ここが俺の屋敷です」
「……貴方は貴族か大商人ですか?」
ノエルの父親が目の前に聳え立つ屋敷を見て呟いた。
たしかに近くにある屋敷と比べれば大きいけど、昨日まで滞在させてもらっていた大公家の屋敷に比べれば圧倒的に小さい。
それに既に小さいと呼べるサイズになってしまった。
「そんなんじゃありませんよ。とりあえず、この客間を利用して下さい」
事前にアイラを通して母やオリビアさんに連絡が行っているので彼らを滞在させる準備は整っている。
「何から何までありがとうございます」
「全く知らない土地に来たのですから知人に頼るのはおかしいことではありませんよ」
生憎と客間を調えてくれた二人は屋敷にいなかった。
今日帰る事は伝えていたが、何時くらいに帰るかは伝えていなかった。
屋敷の中の気配を辿ると、いるのはアイラとエルマーぐらいで……
「ちょっとごめんね」
肩車していたノキアちゃんを下ろす。
急に下ろされたことで寂しそうにしていたが、これから行う事を幼い彼女に見せる訳にはいかない。
「どうしたのエルマー? 息が上がって来ているわよ」
「まだ、やれます!」
「その調子!」
庭へと駆け付けてみればエルマーの振った剣を上に跳んで回避したアイラが何もない空中を更に蹴ってアクロバティックな動きを見せてからエルマーの背後に降り立って首に剣を突き付けているところだった。
「参りました……」
「なかなか様にはなって来ている。あんたに足りないのは経験。今のだって背後に立たれた後でも回避する方法はいくらでもあったわよ」
「べ、勉強になります」
「その調子で学習しなさい」
メンフィス王国へ出掛ける前と同じようにエルマーの剣の稽古をつけているアイラがいた。
「学習しないのはお前の方だ!」
「あいた!」
手に魔力を溜め込んだ状態でアイラの脳天にチョップを叩き込む。
この方法での攻撃ならダメージは全身へ行き渡るようなことはなく、ひたすらに後頭部が痛いというだけで済ませられる。
「ちょっと、いきなり何よ!?」
「お前は今の体の状態を認識しているのか?」
改めてアイラの状態を確認する。
妊娠8カ月目に突入しようとしていたアイラのお腹は誰の目から見ても明らかに大きくなっていた。
子供を抱えた状態である事を考えれば激しい運動は控えて欲しい。
「今日帰りだったっけ?」
「昨日の夜も今日帰るって言っているぞ」
アイラを通して屋敷にいる全員にも伝えてもらった。
「仕方ないの。自分を鍛えることができないからエルマーを鍛えるぐらいでしかストレスを発散するしかないの」
「それを言われると辛いな」
妊娠したことで最も辛いのはアイラだ。
ストレスを抱えない為にも彼女の自由にさせた方がいいのかも……
「あの……」
「どうした?」
「彼女は?」
アイラとは初対面のノエル。
「初めまして。こっちは【迷宮同調】で重要な話は聞いていたし、姿も見させてもらっていたから初めて会った気がしないけど、マルスの2番目の眷属のアイラよ」
「え!?」
アイラの自己紹介を受けてノエルが驚いている。
「わたし、4番目じゃなかったんですか?」
……誰か、留守番がいる事を説明していなかったな?