第36話 責任
「お父様!?」
全身から血を流す父親を見てレムタール侯爵の娘が慌てている。
「こうなりましたか」
瀕死の状態になったレムタール侯爵を見ている女神様の視線は冷ややかだった。
それよりもレムタール侯爵の体から溢れて来た神気を吸い取る事の方に意識を集中させている。
「これが女神様のやりたかった事ですか」
「ちょっと違いますね。私は生命奪取で魔法陣の一部を破壊して致命的なダメージを与えただけです。その結果、神獣を召喚する為に必要だったエネルギーが全て召喚者へと還っただけです。この場合はレムタール侯爵と彼に協力していた魔法使いが耐えられないエネルギーを体に受けてこのような状態になっただけです」
言わば自業自得。
神気を利用して神獣の召喚など企まなければ瀕死にならなかった。
だが、重傷を負っているだけで死んではいない。
レムタール侯爵が強かった訳ではない。
「【生命奪取】」
女神様が耐えられるギリギリのレベルで生命力を分け与えていた。
そういう訳で、もう一人の魔法使いは確実に助かっていない。
「……私は、このような場所で……!」
血塗れになりながらレムタール侯爵が立ち上がる。
一種の執念が彼を立ち上がらせていた。
「これ以上は立ったところで無意味です」
「私を誰だと思っている?」
侯爵という立場は国の方針にも意見を言えるほどの権力がある。
その権力を頼りに彼は侯爵まで駆け上がって来た。
だが、今の彼に侯爵という立場に居座っていられるほどの力は残っていない。
「おい、奴が立ち上がったぞ!」
「罪人を処刑しろ!」
レムタール侯爵を私刑にするべく観衆が群がり始めていた。
兵士が立ち塞がって止めようとしているが、止めようとしている兵士の士気は低い。兵士の目から見ても悪いのは侯爵に見えてしまったからだ。
「まだ貴族たちへの神罰は終わっていません。貴方たちはそこで黙ってみていなさい」
女神様が最前列にいた一人に生命奪取を発動させる。
その人は少し生命力を奪われただけで立っていられなくなった。
神罰の最中に割り込んだ。
その事実を認識した瞬間、誰もが前に進めなくなった。
自分たちがそのように認識してしまうだけで次は神罰の対象になってしまう。
「それでは、貴方たちへの罰ですが――」
一体、どんな罰が下される事になるのか。
貴族たちが息を呑む。
「貴族らしく国を守りなさい」
「え……?」
貴族としては当たり前の事を言われて呆けている者が多い。
貴族の役割とは、領民を管理する者や権力が与えられた者。そんな貴族には国民から集められた税金が与えられ、領地を持つ貴族は領民の生活を豊かにする為に使い、国政を担う貴族は国全体の事を考えて使う。
決して搾取する立場にいる者ではない。
いつの間にか、そんな当たり前の事さえ忘れられていただけだ。
だが、女神様はこの程度で済ませるつもりはなかった。
「私は今後生命奪取による生命力の恩恵を停止させます」
「そんな、それでは……!」
豊かな土壌に恵まれた農業国であったメンフィス国。
そんな恵まれた土地を維持し続けることができたのも全ては女神ティシュアによる恩恵があったからこそ。
その恩恵が途絶えた時にどのような事があるのか。
貴族の彼らは敢えて考えないようにしていた。
「貴方たちの『巫女』はいらない、という姿勢は理解しました」
「……誤解です! 私どもはティシュア様の代理人たる『巫女』をいらないなどと思った事はありません……っ!」
最悪の事態を回避しようと30歳ぐらいの一人の貴族が声を荒げる。
しかし、女神様に触れられた数秒後には、貴族は老人の姿になっていた。
「貴方たちがノエルにした事は全て知っています。生まれなど『巫女』には関係がありません。にも関わらずノエルを追い出そうとしていたという事は私にとっては『巫女』などいらないと言っているようなものです」
ノエルがいらない=『巫女』がいらない。
貴族たちは新たな『巫女』を擁立しようとしていたみたいだけど、『巫女』であるノエルを追い出そうという行為が『巫女』を追い出す行為と同義であると気付くことがなかった。
その行動に怒った女神様はメンフィス王国への手助けを止める決意をした。
同時に次の『巫女』を選ばない事を決めた。
『巫女』がいなくなった事で最も損害を受ける事になるのは誰か?
メンフィス王国で生活している国民だ。
「貴方たちは民の生活を保障しなければならない立場にあります。彼らが私の恩恵なしでもしっかりと生活できるようにする事、それが貴方たちへの罰です」
女神様にとって貴族が困るのは全く問題なかった。ただし、権力争いの巻き添いで国民が困るのは見過ごせなかった。
だから、貴族たちに対して罰として救済するよう言った。
ただ、平民のほとんどもノエルに対して貴族たちと同じような態度を取っていたので多少は困っても問題ないという想いがあった。
「この状況で質問があります」
「はっ……!」
女神様の前には膝をついている獣王。
王と言えど神と崇めていた存在に勝てるはずがなかった。
「貴方は先ほどノエルに責任を背負ってもらうと言っていましたね」
「……はい」
「では、責任を背負わなければならないほど、あの子が犯してしまった罪とは何ですか?」
「それは――」
獣王が何かを言おうとする。
しかし、それは言い訳以外の何物でもない。
女神様が手を翳して静止する。
「いいえ、やはり結構です。貴方は国王という立場にあって貴族たちが暗躍しているのを知っていながら止める事ができなかった。ギリギリになって最大の問題まで協力者のおかげで知る事ができたというのに全ての罪を神の代弁者たる『巫女』に押し付けた」
ノエルに問題はなかった。
けれども、一番責任を押し付け易い立場にいた。
それだけの理由で無実であると分かっていながら罪人のように仕立て上げた。
「さらに責任を取って引退するとも言っていましたね……王の退位は自由です。ですから、これから荒れると分かっている国を自分の息子に押し付けて、自分だけは田舎でのんびりとした生活を送るといいでしょう」
「それは――」
一人だけ責任から逃れる事など許さない。
それがノエルの信頼を裏切った者に対する罰。
「分かりました。命尽き果てる時まで今後も国の為に仕えさせていただきます」
こうして責任を背負うべき立場にいる人物たちが責任を背負う事を表明した。
もしも違えた場合には神罰の対象となる可能性が高い。
人が老いて行く姿を何度も見せられた後では反抗する気力も失われている。
「それでは、罰はこれぐらいでいいでしょう」
「え……?」
女神様の用事はまだ終わっていない。
「最後に徴収を行いたいと思います」
「徴収?」
「はい。神獣の召喚によって私に捧げられるべきエネルギーが使われてしまいました。勝手に使った貴方には返還する義務があります」
「な、なんだと……」
息も絶え絶えな口からは弱々しい声しか発せられない。
侯爵も自分が使ってしまったエネルギーがどれほどの量なのか具体的には分かっていない。しかし、人の身で簡単に用意できるような量ではないという事ぐらいは分かっている。
還すにしてもどうやって用意すればいいのか分からない。
「問題ありません。私には生命奪取があります」
生きている人間の生命力を変換して力を取り戻す。
「いいだろう。私一人の命で済むなら安い物だ」
「お父様!?」
「何を言っているのですか?」
自分の命が失われる覚悟をしたレムタール侯爵。
けれども、女神様には何を言っているのか分からなかった。
なぜなら……
「神獣召喚に必要だったエネルギーが老いた貴方一人の生命力で補える訳がないでしょう」
「なに?」
死ぬまで奪い尽くしたところで侯爵が勝手に使用した量に比べれば微々たる量にしかならなかった。
「具体的に言った方がよさそうなので教えてあげます。貴方が勝手に使った量を返還するなら生命力に溢れた若々しい方を3000人は犠牲にする必要があります」
「さん、ぜん……!」
「しかし、そんな数字は現実的ではありません。ですから、人数ではなく今後300年間は貴方に連なる血族から生命力を徴収し続けることにします。血が絶えてしまうと徴収する事ができなくなってしまうので子供が独り立ちできる成人になるまで、子を持つ親からその段階で残っている生命力を徴収することにします」
「それは――!」
侯爵が何か反論しようとする。
しかし、侯爵だけでなくメンフィス王国から興味を失くした女神様はステージから姿を消した。
その後、大神殿前にある広場で行われたのは民衆による貴族への私刑。
ボコボコにされた状態で貴族たちは平民の生活を今までと同様に送れるよう保証する事を約束させられた。