第28話 VS海蛇―前―
港湾都市デュポン。
メンフィス王国の中では最大の港を持つ都市で、外国からも多くの商品を積んだ船を受け入れていました。
港の近くの海が穏やかだったため大きなトラブルもなく順調に発展していった都市。
今日も数分前までは穏やかな様子の海だったはずです。
ですが、気付いた時には海が荒れ、押し寄せた波によって港に停泊していた多くの船が沖へと流されて行っています。
空間魔法による転移によってデュポンまで移動して来た私の目に災害によって壊されて行く光景が飛び込んできます。
「私の船が!?」
「船よりも人命が優先だ。今は少しでも高い場所へ避難するんだ」
「……チクショウ!」
港では船を流された多くの人が意気消沈していました。
このままだと津波から逃げ遅れて船だけでなく本人も沖へ流されてしまうことになってしまいます。
そうならない為に港の警備を担当していた兵士が必死に避難場所へ連れて行こうと避難作業に従事しています。隊長と思しき人が指示を出して、指示を受けた兵士が少しでも多くの人を助けようと走り回っています。
港には津波対策の防壁が施されていましたが、それは穏やかな海の近くで住んでいる者が万が一の場合を想定して用意した防壁。神獣によって引き起こされた津波は既に防壁を越えていて津波を防げているようには見えません。
その証拠に防壁よりも高い津波が港へ押し寄せます。
「あ……」
人々が絶望した表情で津波を見上げています。
その中には小さな子供から大きな男性までいて、全員が身分に関係なく同じような表情をしていました。
「要塞城壁」
土属性Sランク魔法『要塞城壁』。
指定した対象の周囲にいくつもの土壁を発生させる事で強固な要塞へと変化させる魔法です。
今回は、デュポンの港を指定させてもらいました。
広大な港を覆うように海底から天へと突き出て来た土壁。
「は……?」
その光景を見ていた誰もが言葉を失くしていました。
港を守る為に設置されていた防壁。それを覆い尽くすように港へ迫って来た津波よりも大きな壁がいきなり出現した。
誰もが絶望する中で生まれた光景に状況が呑み込めない。
だけど、一つだけ確かな事があります。
「助かったのか?」
港にいた誰かが呟いた声が聞こえてきます。
要塞城壁により生み出された土壁により津波は港へ押し寄せることができず、沖へと戻って行っています。
「これで大丈夫です」
避難指示を出していた隊長様に近付いて教えてあげます。
「あんたは?」
いきなり現れた私の事を不審な目で見て来ます。
まあ、今の状況を考えれば少しでも不安要素を排除しておきたいという想いも分からなくはないです。
「私は、『巫女』の願いに応えて魔物の討伐にやって来た冒険者です」
「もしかして今の防壁は君の魔法かい?」
「その通りです」
『おお!』
ノエルさんに要請されて救援に来た事をしっかりと伝えます。
今しがた魔法で津波を防いだばかりなので、私なら神獣による被害もどうにかしてくれるのではないかという期待が上がります。
「けど、あの無能な『巫女』だぜ?」
「そうだよな……」
「期待するだけ無駄よ」
けれど、期待していたのは最初だけでノエルさんからの要請だと落胆した様子になっていました。
神獣による被害はノエルさんに責任がないと知っている身としてはデュポンの人々の反応は不愉快です。ですが、私が駆け付けるまでの僅かな時間の間だけでも多くの物を喪った事を考えれば誰かに責任を押し付けたいという想いも分かります。
その矛先は、本来なら国を安定させなければならないノエルさんです。
そんな勘違いを訂正する為にも私が派遣されました。
「では、『巫女』ノエルの要請を受けた冒険者がどれほどの実力を持っているのかここで見ていて下さい」
要塞城壁の一部を解除して沖が見えるようにします。
そうして、空を飛んで私だけが港から離れた海上へと移動します。
私が辿り着いた場所は、荒れた海の中心で周囲が荒れている中で唯一穏やかな状態を保っていました。
「そこにいるのは分かっています。出て来て下さい」
私が呼び掛けると渦の中心から蛇型の魔物が姿を現します。
ただし、蛇と呼べるような大きさではありません。海中から現した姿だけでもメンフィス王国へ来る途中で遭遇した鯨が小さく見えてしまうほどの長さがあります。さらに10メートル近くありそうな太い胴が海蛇を大きく見せています。
胴が太い体長100メートル以上の蛇。
それが海蛇と畏れられる魔物の正体です。
『ほう、私を畏れていないのか小娘』
海中から姿を現した海蛇が真っ赤に光らせた二つの眼を向けて来ながら尋ねて来ます。
距離があるにも関わらず頭に響いて来るように届く声。
雷獣様も使っていた念話ですね。
雷獣様は威厳のある低い声でしたが、海蛇様は女性なのか高い声です。
「魔物を畏れているようでは冒険者は務まりません」
魔物の討伐ばかりが冒険者の仕事という訳ではありませんが、一般的に知られているのは凶悪な魔物の討伐ですね。
『貴様は、本気で私を討伐するつもりでいるのか?』
「そのつもりです」
『クククッ……』
海蛇様から笑い声が伝わって来ます。
空中にいるため見下ろすような形になってしまい不快にさせてしまったのかと思いましたが、どうやら面白くて笑っているみたいです。
『召喚魔法などという不快な魔法で数千年振りに喚び出されてみれば「港を襲え」などという命令が下される。私たちは存在しているだけで人々の生活に影響を与えてしまう。だから、異界へ逃げ込んだというのに私の意に反して使われる日々。うんざりしていたが、私の力を正しく認識しながら本気で討伐しようという少女が現れてくれた。これほど、嬉しい日はない』
「海蛇様は人間を襲いたくないのですか?」
魔物はほとんどが人間を襲うもの。
例外として調教された魔物や雷獣様みたいな魔物がいるから全ての魔物が好んで人を襲うという訳ではない事を知っています。
『ああ、私は元々海で静かに過ごせていればよかった。だが、突如として発生した魔力異常のせいでこのような体になってしまい、自分の力が制御できなくなって人に迷惑を掛けてしまうようになってしまった。このような状態は私の望んだ事ではない』
雷獣様も似たような事を言っていました。
それに海蛇様の声には申し訳なさそうな想いが込められていました。
『だからこそ異界で過ごす事を選択した。召喚魔法で無理矢理縛られているとはいえ、人に迷惑を掛けている今の状況を許容できない……』
クッ、と悔しそうな声を上げながら海蛇様が魔力を迸らせます。
すると海中から水の竜巻のような物が発生します。鯨も使っていたようなスキルです。
海蛇様の望んでいない攻撃を魔力障壁で受け止めると沖合へと叩き付けます。
『助かった』
「海蛇様に与えられた命令は……」
『港湾都市を海の底へと沈めろ、というものだ』
「そんな……!」
望んでもいないのにそんな事をさせられる海蛇様が不憫です。
たとえ人は避難させることができたとしても都市は海の底に沈んでしまう事になります。そうなれば、今日まで普通に暮らしていた人たちは全てを喪うことになります。
「……どうにか逃れる方法はありませんか?」
『無理だ。私たちほど高位の魔物なら召喚魔法の命令など無視できそうなものだが、どういう訳か私を縛り付けて逃れられそうにない』
その秘密はあの魔法陣にありそうです。
城の地下牢に描かれた魔法陣は神獣のような高位の魔物を喚び出す事に特化した物でした。なら、魔法による命令も神獣に対して強い力を発揮できるようにされていると考えてもおかしくありません。
『せめてもの救いは其方の存在だ』
「私、ですか?」
『そうだ。お前たちの事はテンペストタイガーから聞いている。「先日、召喚された時に面白い奴らに遭遇した」……たしかに面白い奴だ。私を本当に討伐できるだけの力を秘めている。だから、これ以上人々に迷惑を掛ける前に討伐して欲しい』
「それがどういう意味なのか理解していますか?」
魔物にとって討伐は死を意味している。
それを海蛇様は受け入れています。
『構わない』
覚悟を決めた様子の海蛇様。
ですが、私は海蛇様の覚悟を裏切らなければなりません。
「申し訳ございませんが、海蛇様の覚悟は裏切らなければなりません」