第22話 儀式前
ノエルが最初に会った時に着ていた巫女服に身を包んで登場する。さらに今日は本番という事もあって千早と呼ばれる丈がやや長めの羽織を羽織っており、扇子と鈴を持っていた。
今いるのは大神殿の中に用意された『巫女』の控室。
舞が行われるのは大神殿前に造られた特設ステージ。
大神殿の中にある祈りを捧げる為の場所は一般人にも開放されているが、こういう神事は多くの人が見えるよう屋外で催されることになっている。
舞を行うまで時間がある。
だが、神託に対して何か手を打つには時間が足りなかった。
豊穣の舞を行わなければならない時間が差し迫って来る。
それは、同時にノエルの寿命が尽きる時間が迫っていることを意味していた。
「みなさん、これまでありがとうございました」
「……何を言っているの!?」
別れの挨拶のような言葉にミシュリナさんが怒っている。
「貴女はこれから先も生きるんです。絶対に諦めないで!」
言われたノエルはゆっくりと首を横に振っている。
「わたしも最初は希望がありました。もしかしたら舞が上手く行って神獣の脅威が拭い去られて豊かな国になるんじゃないかって」
豊穣の舞とは、1年の豊作を祈願する為の舞。
神獣が暴れ回っているせいで豊作どころではない人々にとって最後に残された希望が『巫女』の豊穣の舞。
だが、今言える事は豊穣の舞は確実に失敗する。
舞そのものは成功するだろう。
しかし、舞を奉納した事で神獣の脅威が去る訳ではない。
「いいか?」
控室に獣王が入って来る。
「はい」
応対するのはシルビアだ。
「経過報告に来た」
「こちらへどうぞ」
テーブルの前にあるイスに座ると紅茶が出された。
「ありがとう」
どこか疲れた様子の獣王が紅茶を飲んで表情を緩ませていた。
「美味しいな」
「お疲れのようだったので疲労回復効果のある茶葉を使わせていただきました」
それだけ言って部屋の隅へと移動する。
メイドである彼女の役割は歓待するところまでで終わっている。
ここから先の対応は俺たちの役割だ。
「それで、どうでした?」
「結論から言わせてもらおう。犯人を捕まえる事は叶わなかった」
獣王に調べて貰っていたのは地下牢にあった魔法陣に細工をした者。
儀式もあって忙しいにも関わらず、少ない人数をどうにか調査の為に動員して調べ続けさせていた。
「まず、地下牢に食事を運んでいた兵士を尋問した。その結果、兵士がとある貴族に買収されていたのが分かった」
「なんだ、分かっているんじゃないですか」
「兵士を買収していたのはレムタール侯爵だ」
名前を言われても貴族事情にまで詳しい訳ではない俺たちでは分からない。
「そんな……相手はレムタール侯爵ですよ。何かの間違いでは」
だが、ミシュリナさんたち『聖女』組は相手が誰なのか知っているらしい。
「間違いではない。奴には魔法陣について知っていてもおかしくない知識がある。それに奴の娘は、先代の『巫女』が亡くなる直前において最も次代の『巫女』に相応しいと言われていた人物だ。他の貴族家の娘に取られるのならまだしも平民の娘に取られると知って最後まで反対していた人物だ」
「ノエルを失脚させて今度こそ自分の娘を『巫女』にさせるつもりですか?」
「それも難しい。奴の娘は既に結婚して子供も儲けている。歴代の『巫女』の例から言って『巫女』になった後で母親になるのは認められているが、既に子を儲けている者が『巫女』に選ばれることはなかった」
「そうですか」
だが、恨んでいたというなら動機はありそうだ。
「あの……」
獣王とミシュリナさんの間でのみ話が進んでいるので割って入る。
「そのレムタール侯爵というのは何者ですか」
「ああ、申し訳ない」
頭を下げて来る獣王。
「レムタール侯爵はメンフィス王国で外交のトップを担っている人物だ」
「外交官なのでイシュガリア公国にも何度か訪れた事があって『聖女』である私とも面識があったという訳です」
「なるほど」
それなりに偉い地位にいる人物だと言うのは分かった。
「その人を捕まえる事はできないんですか?」
俺の質問に獣王が首を横に振る。
「残念ながら時間がない」
最初は兵士の尋問も証拠が何もないという事で手心が加えられた状態で進められて行った。
しかし、昨日の昼過ぎになって期限まで時間がなくなってしまったということで肉体に訴えかける強硬手段に出た。
「兵士を拷問するのはマズくないですか?」
「奴には囚人の監視も任務として含まれていた。それがあのような状態になるまで本人も気付かなかった時点で罪だ。何かを知っていても知っていなくても罰せられる事には変わりない」
だから拷問も辞さない。
しかし、強硬手段に出たおかげで今日になる前には重要な情報を吐いてくれた。
「無理矢理吐かせた情報では証拠としての力は弱い。証拠を得る為に侯爵の屋敷に押し入りたいところだが、その程度の力すらない。どうにかレムタール侯爵を連行する方法がないか検討してみたのだが……」
結局はこんな時間になってしまった。
既に何らかの方法で事前に手を打つのは無理みたいだ。
「レムタール侯爵は何をしたんですか?」
「兵士はレムタール侯爵から金を渡されて数日間地下牢の職務から離れていたらしい。その後、レムタール侯爵からは地下牢の改修作業を行っていただけだ、と言われて兵士も了承した」
既に賄賂として金も受け取ってしまっているので気になったとしても追及しようとはしなかった。
その兵士はとある貴族の親類で縁故を頼って城の兵士に就職したが、ギャンブルに金をつぎ込んでしまうせいもあって兵士とはいえ城勤めということもあり一般人よりも多くの給料を貰っているにも関わらず金に困っていた。そこで、大変な仕事を任されるという事でさらに給料の高い地下牢の監視任務に就いていた。
それでも膨らみ続ける借金を返済する為に賄賂にまで手を出してしまった。
「奴が行ったのは犯罪だ。相手が囚人とはいえ害を齎す人物を招き入れて犯罪に加担してしまったのだから犯罪奴隷として罪を償ってもらう事になった」
「ご愁傷様」
一時の金の為に人生そのものを捨ててしまった。
獣王の怒りを見る限り解放される事はないと考えた方がいい。
「侯爵も侯爵だ。このような悪事に手を出しやがって」
「私は今でも信じられません」
ミシュリナさんの目から懐疑的な感情が窺えた。
「だが、レムタール侯爵には地下牢にあった魔法陣について何らかの知識があってもおかしくない」
「どうしてですか?」
「レムタール家は、建国時――大昔の神獣が暴れていた時から王家に尽くしてくれていた貴族家だ。あの家ほど歴史のある家なら神獣を喚び出す手段の一つや二つが伝わっていてもおかしくない」
「そうですか」
何か確信がある訳ではない。
兵士から得られた情報。さらに侯爵家の歴史。
それらを考慮するとレムタール侯爵が怪しい。
だが、捕らえる為に必要な物が不足している。
「仕方ありません。次善策で行く事にしましょう」
本当は何も事を起こさずに済ませる方が良かった。
しかし、魔法陣の起動を阻止できない状態では手の打ちようがない。
「何か策があるのか?」
「簡単ですよ。召喚魔法が行われる前に手を打つのが難しいなら行われた後で対抗すればいい」
豊穣の舞を行わなければならないのは確定事項。
問題は、豊穣の舞が行った場合失敗してしまい、舞によって生み出されたエネルギーが神獣を喚び出す為のエネルギーとして使われてしまうという点。
「方法については既にこちらで打ち合わせ済みです。そちらはレムタール侯爵をどうにかする方法を考えておいて下さい」
「分かった。どのような事情があろうとも奴が行ったのは国に災いを齎し、この国に欠かせない『巫女』を窮地に追い遣った――残念だが、どのような事をしようとも許すつもりはない」