第18話 枢機卿
護衛二日目。
本来なら昨日に引き続き王城の地図を作成しておきたかったのだが、別行動はせずに全員でノエルの傍に張り付いていた。
そんな事をしているのも護衛としての顔見せをする必要があったからだ。
大神殿の中では10人以上の巫女が中央にある女神像に向かって祈りを捧げている。
女神ティシュア。
この地に元々いた女神で、迫害された獣人を迎え入れて人が生きて行ける場所は小さな空間しかなかったため、人が住むことの出来ない他の場所を人が住めるよう恵みの雨をもたらして自然豊かな場所へと作り変えたと言われている。
巫女が祈りを捧げることによってメンフィス王国の土地は豊かさを保つことができると言われている。
巫女たちの横を通り抜けて大神殿の奥にある執務室へと入る。
ティシュア教の中でも幹部クラスの者だけに与えられる私室。
「おはようございます、枢機卿」
「これは『巫女』様、本日はどのようなご用事で」
ノエルが対峙しているのはティシュア教会で枢機卿を務めるアッテムという名前の老人。
大神殿はティシュア教会の総本山でもあるので枢機卿である彼は大神殿を拠点に活動に色々と活動している。昨日は急な訪問だったこともあって会うことができなかった。
だが、獣王と同様に枢機卿からも護衛の許可を貰う必要がある。
「これからわたしの護衛に就いてもらうことになった方たちの紹介に来ました」
「それは……」
「枢機卿も知ってのようにわたしの死が神託によって告げられました」
「……巫女という立場にある者なら神託を受け入れるべきです」
枢機卿というティシュア教のトップにいる者としては絶対の効力を持っている神託が外れる事など認められるはずがない。
それでも薄情な人だと思ってしまう。
ノエルに聞いたところ、神託によって巫女に選ばれた彼女を大神殿の中で最も気に掛けてくれていたのがアッテムだった。親元を離れて暮らさなければならなかったノエルにとっては3人目の父親に等しい存在だった。
しかし、家族のように思っていたのはノエルだけ。
アッテムが親しくしてくれていたのは、あくまでもノエルが巫女だったから。
今、アッテムと会ったばかりの俺には義理とはいえ親娘のような関係にあったとは思えない。
「わたしは、まだ死ぬつもりはありません」
「仕方のない子ですね。イシュガリア公国との関係もあります。護衛の件は引き受けなければならないでしょう」
それだけ言って興味を失くしてしまったのか手元の書類へと目を落としてしまった。
こちらも、そのような失礼な態度を取る相手に礼を尽くすつもりはないので執務室を後にする。
「『巫女』様」
「マルセーヌ」
執務室を出たところで猫耳を頭に生やした少女と遭遇した。
年齢は俺たちと同じか少し上ぐらい。猫を思わせるようなキリッとした視線が鋭いものの浮かべた笑顔が彼女の雰囲気を柔らかくしていた。
「今日はどうされました?」
「はい。枢機卿と今後のことで打ち合わせがありましたので呼ばれていたのです」
「……そう、ですか!」
ノエルの表情が凍り付く。
その事に気付かないまま……気付かないフリをしながらマルセーヌと呼ばれた少女が続ける。
「はい。次の『巫女』には私が選出されるものと思います」
「……頑張ってください」
力ないエール。
それが今のノエルの精一杯だった。
「『聖女』様も今後とも『巫女』との親交をお願いします」
「ええ、考慮しておきます」
マルセーヌの中では既に自分が次の『巫女』に選ばれるのは確定事項みたいだ。
「では、失礼します」
マルセーヌが執務室の中へ姿を消す。
「大丈夫か?」
ノエルの表情は誰が見てもはっきり分かるほど暗くなっていた。
一応、ミシュリナさんが背中を擦りながら回復魔法を掛けているけど、あまり様子は芳しくない。
「ごめんなさい」
「仕方ないさ」
誰もノエルが生き残る事を望んでいなかった。
枢機卿もマルセーヌも次の『巫女』にしか興味がなかった。
「シルビア」
「はい」
名前を呼ぶとシルビアが姿を消す。
行き先は執務室の中だ。
「枢機卿、どうでした?」
「マルセーヌですか。ええ、何も問題がありません。昨日の内に貴女の父上とは話をして来ました」
「……では!」
「はい。貴女が次の『巫女』になるのは決定しました」
シルビアが見聞きした内容が頭の中に流れ込んでくる。
けど、おかしい。
新たな『巫女』は神託によって神から告げられる。誰が次の『巫女』になるのか枢機卿と言えど決定権はないはずだ。
「神託の内容など関係がありません。どんな神託が降ったかなど私なら簡単に操作ができます」
「そこで、私が次の『巫女』に選ばれるよう教会から神託を降すんですね」
彼らは神託の内容を操作して偽の神託を流布するつもりでいた。
たしかに神託を受け取る巫女を管理している教会なら本物のように見せかけた偽物の神託を降すことも可能だろう。
当然、そんな事が露見すればタダでは済まない。
「貴女の父上からは個人的な寄付金を頂きました。恩に報いるのは聖職者として当然の事ですよ」
賄賂を受け取って便宜を図るつもりでいる。
「まったく……あのような平民上がりの『巫女』には困ったものです。貴族との繋がりがないから寄付金を集めることができない。元平民というだけで貴族から嫌われているせいで思うように寄付金が集まらない。あのような下賤な者にはさっさと退場してもらった方がいいでしょう」
これ以上は聞いていられない。
幸い、昨日の密談の件があったのでシルビアにも音を記録する魔法道具を持たせてあるので今の会話は一部始終を録音済みだ。
証拠も手に入ったのでシルビアを戻す。
今の会話は俺と眷属しか聞いていない。
とてもではないが、ノエルには聞かせられない。
「そう、ですか……枢機卿はわたしの事をそのように考えていたんですね」
「ノエル!?」
「しかも昨日忙しかった理由は密談の為でしたか」
その言葉はアッテム枢機卿とマルセーヌのやり取りを聞いていたとしか思えない呟きだった。
「聞こえていたのか?」
ノエルが頷く。
「あなたたちの能力は神の遺産によって手にした物です。『巫女』であるわたしがこれだけ近くにいるんですから、あなたたちの力に干渉して念話のやり取りを傍受することも可能です」
「失敗したな……」
しかもミシュリナさんたちにも聞かれていたらしく、彼らの会話に眉を顰めていた。
「残念ですけど、教会が降した偽の神託通りに彼女が『巫女』になった場合には今後の対応も決めないといけないみたいです」
「はい。神の言葉をあのように金儲けとしか捉えられない者に聖職者が務まるはずがありません」
とはいえ、国同士のやり取りだ。
個人同士がどう思っていたところで簡単に切れるような関係でもない。
「本当に敵しかいない国だな」
王城ならともかく本拠地として活動して来た大神殿になら協力してくれる味方がいてくれるかもしれないと考えていた。
けど、その考えは甘かったみたいだ。
枢機卿以外の人物はまだ分からないが、既にトップが味方ではないことが分かった。もしかしたら味方になってくれる人物がいるかもしれないが、相手が枢機卿ともなれば寝返ってしまう可能性の方が高そうだ。
「こっちは任せたぞ」
「はい。ノエルはわたしたちが守ります」
悪意に満ちた大神殿の中で信用できるのは自分たちだけだと思って動いた方がいい。
ノエルの護衛を任せて王城へと向かう。