第8話 雷獣の噂
馬車の旅を始めてから3日。
何事もなく順調な旅だったのだが、ポツポツと雨が当たり始めた。
「今日はこの先にある街で休むことにします」
「賛成」
馬車の御者を務めているクラウディアさん。彼女は付き人として様々な技能に通じているらしく、こうして色々な所へ赴くミシュリナさんの為に馬車を動かすこともできるようになっていた。
馬車での移動は楽かと思っていたが、冒険者として走ってあちこちへ移動することに慣れてしまったので座りっぱなしというのはどうにも性に合わない。
街で休められるのは助かる。
「おや?」
町の門が見えて来た所でクラウディアさんが首を傾げていた。
「どうしました?」
「いえ、門が固く閉じられているようなので不思議に思ったんです」
「本当だ」
馬車の中から顔を出して町の様子を確かめる。
町は外周を高い壁で囲われており、出入口である門は固く閉ざされていた。
あれでは誰も出入りすることができない。
「前に来た時はあそこまで物々しい警戒ではなかったのですけど」
「とりあえず行ってみましょう」
近付いてみると物々しい雰囲気は門だけではなかった。
町の兵士と思しき人たちの手によって嵐に備えて壁が補強されていた。
「おい、急げよ!」
「もうじきやって来る!」
慌てた様子で作業が行われており、何かに怯えているようだ。
「……ッ! ヴァートンヘ何用だ!?」
作業をしていた兵士の一人が近付く馬車に気付いた。
まだ距離があったので二人の同僚を連れて馬車に近付いて来た。
「王都への旅を急いでいる者なのですが、雨が降って来たようですので街で休ませていただけたらと思ったのですが……」
兵士の相手をするのは御者をしているクラウディアさんだ。
女性が御者をしているとあって兵士が少し困惑していた。
「何かあったのですか?」
兵士の様子は明らかに普通ではない。
「すまない。こちらも少し苛立っていた」
普通ではない状況に兵士が頭を下げて来た。
「街で休むことは可能だ。しかし、あなたたちも運がない」
「どういう事ですか?」
「今のヴァートンは天候が荒れ狂っているんだ」
「そう言えば……」
御者台に座ったままクラウディアさんが空を見上げる。
直後、稲光と共に轟音が聞こえて来る。
「……近い?」
稲光が見えてから3秒と経たずに雷鳴が聞こえて来た。
おそらく1キロも離れていない場所に雷が落ちたと思われる。
雷鳴に驚いて馬車を曳いていた馬が暴れている。
「鎮静」
ミシュリナさんが馬車の中から精神を落ち着かせる回復魔法を馬に使って驚いている馬を宥めている。
「クッ、時間がない。すまないが、詳しい事情を説明している時間がない。街へ入るなら早くしてくれ」
何か緊急事態にも関わらず兵士が閉ざされていた門を馬車が通れるだけ開けてくれる。慌ててはいたものの兵士の対応は基本的に親切だった。
馬車が街の中に入って行く。
すぐに門が閉じられて兵士たちはすぐに補強作業へ戻っていた。
「何があったんでしょうか?」
「分かりません。ですが、私たちは他国の事情に関わらない方がいいでしょう」
『聖女』であるミシュリナさんが他国の事情に率先して関わってしまうと内政干渉を疑われてしまう。
それが人助けになる事だったとしても彼女は国の事を想えば退くしかない。
「とりあえず宿へ向かってみることにしましょう」
門の前から続いている大通りを進む。
「閑散としていますね」
少し前までは営業をしていただろう店も慌てて軒先にあった物を店内にしまって店じまいの準備を始めていた。中には既に店じまいを終えた店もあり、戸が下ろされていた。
できれば観光でもしたいところだったが、こんな状況では観光などできない。
仕方なく馬車を宿屋の前まで進ませる。
これまでに立ち寄った街でもそうだったが、ミシュリナさんがいるということで俺たちが泊まる宿屋はセキュリティの万全な街で一番大きな宿屋を利用することになっていた。
今回も大通りに面した大きな宿屋を利用させてもらう。
馬車を宿屋の横にあったスペースに置いて馬には小屋で休んでもらう。
「いらっしゃい」
宿屋に入るとカウンターに立ったふくよかな女性が迎えてくれる。
頭から生えた獣耳から狸に類する何かだと思われる。
「お泊りは一人銀貨10枚だよ」
サービスの分だけ請求金額も高いが、それぐらいの金額を支払えるだけの余裕は彼女たちにもある。
「二人部屋を3部屋お願いします」
「ありがとうね」
笑顔になった女性が大銀貨を受け取っていた。
「ここのところの騒ぎのせいで天気が少しでも悪くなると食事の方にもお客が誰も来なくなっちまうからあんたたちみたいに来てくれると助かるよ」
宿屋の1階は食堂となっており、宿泊客でなくても食事ができるようになっていた。
それよりも気になる事を言っていた。
「天気が悪くなると何かあるんですか?」
門で兵士が慌てていたのも同じ理由だろう。
彼らの行動は何かの襲撃に備えているようだった。
「――雷獣さ」
女性がたっぷりと溜めてから教えてくれた。
「雷獣?」
聞いた事のない名前に首を傾げた。
ミシュリナさんとクラウディアさんも同様だ。
「あんたたち、この国の人間じゃないね」
「はい。イシュガリア公国から来ました」
クラウディアさんが答える。
俺たちの素性については一切答えなかったが、一緒に行動しているのだから勝手に同じくイシュガリア公国から来たと勘違いしてくれるだろう。
「雷獣っていうのは、この国では有名な大昔に災厄を起こした魔物さ」
「そんな魔物が……」
「雷獣は、そこにいるだけで周囲に雷雨を発生させて作物を駄目にするっていう伝説が残されていたんだよ。この辺りは王都にも食糧を卸す穀倉地帯でね。作物に影響があると困るんだよ」
王都までは馬車で約1日。
近すぎず、遠すぎず。
作物に影響があると困る、と言っているが既に出ている。今の時期は種植えをしなければならないのに少し天気が悪くなるだけで街の中へ避難しなければならないのでは種植えが進まない。
農業に頼っているヴァートンでそれは困る。
「雷獣がいたのは大昔の話で誰も覚えていなかったし、実在するとは思っていなかったのにどうして今になって現れたんだか」
「その雷獣が来るのですか?」
兵士たちが慌てて作業をしていたのは雷獣の襲来に備えてのものだろう。
少し雨が降っただけで閉店作業を始めていたことから一部の人間が知っている情報ではなく街の住人全員が知っている情報と考えた方がいい。
「間違いなく来るだろうね。あんたたちも王都へ旅をしている途中なら今日は途中まで快晴だったのを覚えているだろう?」
「そうですね」
太陽が眩しいくらいだったのに街が小さく見え出した頃から天気が急に崩れてしまった。
雷獣が影響を及ぼし始めた。
「誰か雷獣を討伐してくれないかね」
女性がボソッと呟いた。
願望にも近い独り言で頼み込んだ訳ではない。
それでも聞こえてしまった。
「そんなに困っている魔物なら倒せば懸賞金でも出ますかね」
「あ、ああ……たしか領主様から報奨金が出るはずだよ」
報奨金が出ると聞いてやる気が出て来てしまった。
しかも領主が出した報奨金となれば金額にも期待できる。
「二人とも」
「はい、分かっています」
女性から宿の鍵をミシュリナさんが受け取る。
「私たちは部屋で待っています」
「じゃ、ちょっと見て来ます」
具体的にどこへ行けば遭えるのか分からないが、さっきの兵士に聞けば雷獣の出現場所についても分かるかもしれない。
急いで街の外へ向かう。
俺たちだけなら『聖女』に関しても知らぬ存ぜぬを通せるかもしれない。