第5話 メンフィス王国への船旅
イシュガリア公国の東端にある港町を出港した船。
その船を使って俺たちパーティメンバー4人とミシュリナさん、クラウディアさんの二人と一緒にメンフィス王国へと向かっていた。
目的地までは海路で3日、陸路の4日だ。
「見渡す限りの海、か……」
向かう先に陸地は見えない。
空を飛んでの移動ができる俺だが、当然のように飛んでいられるのは魔力が持続して魔法を使用し続けていられる間だけ。途中で魔力が尽きた時には海のど真ん中に落ちることになる。
それに目的地を知らない俺では目印になる物が何もない海では迷子になる。
以前にサボナを訪れた時は陸地が見える範囲でしか移動していなかったので、海に来るのは初めてではないが初めて目にする光景だった。
「……ん?」
船の甲板で海を眺めながら散歩をしているとミシュリナさんが手摺に掴まって海を眺めていた。
手摺を掴む手はきつく握られている。
「大丈夫ですか?」
「貴方ですか」
溜息と共にミシュリナさんの体から力が抜ける。
「焦っても仕方ないですよ」
「焦っていたのでしょうか……いいえ、焦っていました。一刻も早く彼女の下に駆け付けて助けてあげたい」
相手は死の危険に晒されている。
神託を信じるなら彼女が亡くなるのは1週間以上も先の話。まだ猶予はあるはずだ。
だが、俺たちはその神託を覆す為にメンフィス王国へと向かっている。
盲目的に神託を信用する訳にはいかない。
「他の皆さんはどうしていますか?」
「急な出発だったのでシルビアには荷物の整理などを頼んでいます。メリッサは本から、イリスは船員からメンフィス王国の情報を集めて貰っています」
俺たちは今から行くメンフィス王国についても知っている事が少ない。
遠方にあるためイリスですら訪れたことがなく、メリッサも幼い頃に読んだ書物からの知識ぐらいしかなかった。
現地で何かが起こった時に備えて情報を集めて貰っている。
「貴方たちには感謝しています」
「急に何を……」
「神殿の巡礼を終えてウィンキアへ戻って来た私が手にしたのは親友からの死を知らせる為の手紙でした。私はどうにか彼女の力になりたかった。けれど、戦闘能力を持たない私では彼女の力になることができない――」
悔しさから再びギュッと手摺を掴む。
「人にはできる事とできない事、得意な事や不得意な事があります。あなたは人を癒すことが得意ですけど、さすがに死者を生き返らせるようなことはできないんですよね」
コクンと頷く。
そんな事ができるなら以前の事件の時にもっと自分の力を有効活用していたはずだ。だが、彼女にできたのは不死者と土地を浄化した事だけ。
「自分が無力であるという事実を突き付けられる度に『私の力は何の為にあるのか?』という想いに駆られます」
「ま、分からなくもないですね」
主として迷宮を運営する。
とはいえ、実態はほとんど迷宮核に任せっきりで俺は細かい運営には携わっていない。
そういう状況を直視すると『もっと適した人物がいたのでは?』という想いを抱いてしまうことがある。
その悩みを迷宮核に打ち明けたことはある。
迷宮核から返って来た答えはシンプルだった。
――僕は君で良かったと思っている。今の状況を見れば分かるよ。
迷宮核には迷宮核なりの基準があるらしく、それ以上の答えは教えてくれなかった。しかし、俺が主である事には反対しなかった。
「あなたにはあなたのできる事がありますよ」
「たとえば?」
「子供たちの笑顔に応えるとか」
思い起こされるのは2日前の光景。
巫女の護衛に関して色々な話を聞いた後で屋敷を出発しようとしたところで妹たちが突撃を掛けて来た。ミシュリナさんの放つ神聖な雰囲気に我慢できずに突撃して来てしまった。
突然集まって来た子供たちに応えて握手をし、聖女として女の子たちに色々な話を聞かせていた。
急いでいたのではないか?
実際に急いでいたのは間違いないのだが、移動には船を使う。聖女が乗るような船となれば万が一の事があってはいけないので頑強な客船が用意されることになった。
そのための準備に1日時間が必要だった。
つまり、その日だけは彼女も体が空いていた。
俺の答えを聞いたミシュリナさんは少し剥れていた。
「不満ですか?」
「そういう訳ではありません。公国にいた頃は神殿が経営していた孤児院に慰問で訪れたこともあるので、あのような事にも慣れています」
では、何が不満なのか?
「私もできるなら何かと戦える力が欲しかった。『聖女』や『巫女』の力は直接戦闘には向かないですから……こうして友の危機を知っても助けることができません」
何か励ましになれるような事が言えればよかった。
だが、彼女に何を言えばいいのか分からない。
お互いに無言のまま海を眺めていると船が揺れ始める。
「な、何!?」
隣でミシュリナさんが慌てている。
頭を落ち着かせて周囲へ意識を向ける。
「……何かが船の下にいる」
「何か?」
残念ながら俺の探知能力では正体まで分からない。
しかし、魔物がいる事までは分かる。
「ご主人様!」
揺れる船の中をシルビアが駆け抜けて来る。
バランスを崩しそうなほどの揺れなのだが、シルビアは軽やかに俺の隣に立つ。
「どういう状況だ?」
「船底付近に30体近いサハギンが集まっています」
「多いな……」
「そんな! この航路は魔物が出ることもなくて安全なはずなのに」
安全な航路だったのかもしれない。
しかし、現れてしまった以上は魔物に対処しなければならない。
「聖女様、船内へお戻り下さい」
甲板へ船員が出て来た。
逃げるように言う船員だったが、逃がすには既に遅い。
海面から飛び出して来たサハギンが甲板に現れた。
「く、くそっ……!」
船員が腰に差していた剣を抜く。
サハギンは銛を武器のように持った半魚人の魔物。
その目はギラギラしており、今にも船の乗っている者を全員食い散らしそうだ。
「どうして、ここまで気付けなかったんですか?」
「この航路は魔物が出ない安全な航路だったはずです。ですが、数日前からこの先にある海域で妙な影を見たという報告を受けていたので、すぐに逃げられるよう警戒していたのですが、問題の海域よりも手前ということで安心しておりました」
つまり、油断していたためにサハギンの接近に気付くことができなかった。
俺も剣を抜く。
「下がっていてください」
シルビアにミシュリナさんの護衛を任せて銛を向けてこちらに突撃してくるサハギンの体を両断する。
周囲に血が撒き散らされて甲板を汚す。
仲間が斬られる光景を見て船員に襲い掛かろうとしていたサハギンの標的が俺へ変わる。
「好都合だ」
船員を一人一人助けるよりも標的を俺一人に絞ってくれた方が助かる。
タイミングを合わせて同時に突撃して来た5体のサハギン。
剣を扇状に振り抜くと飛んで行った斬撃がサハギンの体を上下に分ける。
さらに様子見をしていた4体のサハギンを魔法で撃ち抜く。
あっという間に倒された先鋒部隊。
「よく、これだけの高さをジャンプできるな」
先鋒部隊が倒された直後に海面から飛び出して甲板に着地した10体のサハギン。
そして、同時に10体のサハギンの死体が転がっていた。
残っていた20体のサハギン全てが一気に甲板へ飛び出して来たが、半数が何もできない内に魔法で撃ち抜かれて絶命していた。
「船の上だと派手な魔法が使えないから面倒だな」
俺のレベルで強力な魔法を使えば余波だけで船を傷付けてしまう可能性がある。沈没するような危険を冒す訳にはいかないので船を傷付ける心配のない小さな弾丸を放つショット系の魔法と近接戦闘で終わらせるしかない。
いきなりの攻撃に慌てるサハギン。
どうにか銛を構える頃には4体のサハギンが斬られていた。
「こっちだ」
銛を向けた先に俺はない。
横から剣を振り下ろすと両断する。
「おいおい、あれだけいたサハギンがあっという間に倒されたぞ」
「何者だ?」
「聖女様が連れて来た冒険者らしい」
『なるほど』
聖女様、という言葉だけで船員から納得されてしまった。
だが、まだ剣を収める訳にはいかない。
「どうしました?」
「まだ、魔物はいます」
ここまで大きな気配を逃すはずがない。