第17話 一斉摘発
陽が落ちた夜ともなれば仕事を終えた人を目的にした屋台が街のあちこちに立ち並ぶ。冬ともなれば寒さで冷たくなった体を暖めてくれるスープや煮物が中心となる。
街の中心地から少し離れた場所にも一つの屋台があった。
その屋台は30代の夫婦が営む様々な野菜を特製の調味料で煮込んだ物を売っていた。
そこへ一人の若い女性が駆け込んで来た。
「いらっしゃい……なんだ、あんたかい」
駆け込んで来たのが若い女性だと気付いた屋台を営む女が呆れていた。
「ここへは来るなって言っていたはずだよ」
夫婦は、何人かの知り合いに屋台へは来ないよう言っていた。
彼らが来ることで自分たちの素性が知られる事を恐れての注意だ。
「そんな事を言っている場合じゃないんだよ」
慌てた様子でありながら若い女性が声を潜めながら夫婦に言う。
「……何があった?」
寡黙な男の店主はそれだけで何か重大な事があったと察した。
「実は、ちょっと用事があってアデラの奴と連絡を取ろうとしたんだけど、あいつの足取りが1時間前から全く捕まらない」
「なに?」
アデラ、という人物については夫婦も知っていた。
彼らはアリスターに潜伏している他国の諜報員。
春先に起こった戦争でたった4人の冒険者が戦況をひっくり返してしまったという衝撃の事実を受けて調べる為に訪れていた。
調査の結果、問題の人物についてはほとんど情報が手に入らなかったが、辺境で活躍している冒険者には対象ほどではないが強い冒険者がいる事が分かった。
そこで、改めて調査するのが彼ら諜報員の任務だった。
「他にもすぐに確認できるような奴らについては接触してみようとしたけど、一人を除いて見つからない」
見つかった一人は拠点にしている家を訪ねてみたところ普通に過ごしていた。
だが、それ以外の同業者については全く見つからない。
「どうやらあたしたちを一斉に摘発することにしたみたいだ」
「馬鹿な」
夫婦にもアリスターの防諜能力が高くないことは分かっていた。
これまでは辺境だという事で他国から気にされるような場所ではなかった為だ。外国からではここまで来るだけでも一苦労する。軍事的にも重要視されていないので調査対象になっていなかった。
現に複数の国から諜報員が訪れても今まで自分たちの存在は露見していない。
夫婦はどこかで侮っていた。いや、夫婦だけでなく潜入していた諜報員の誰もが侮っていた。
「あたしはすぐにでもアリスターを発つつもりだよ」
「……正気かい?」
「この街の防諜能力は確かに低いよ。けど、この街には手を出してはいけない何かがあるんだ。それを知ったからこそ帝国の諜報員は全員が逃げ出したんじゃないかい?」
諜報員は、春先に起こった帝国と王国の戦争をきっかけに潜入を開始した。
だが、ある時を境に帝国の諜報員が姿を消してしまった。
同じように潜伏していた諜報員は首を傾げていた。理由が気になって調べたりもしたが、それらしい答えを見つけることはできなかった。
それでも『何か』があったのは確かだ。
若い女の勘は、自分に『何か』が迫っていると告げていた。
「あんたの恋人はどうするんだい?」
若い女は街へ潜伏するに当たって田舎の村から仕事を求めてやって来たという設定で過ごしながら情報を集めていた。その過程で役人の一人と知り合い、恋人として情報を提供してもらっていた。
屋台の女将から見て本当に仲睦まじそうだった。
「悪いけど、あいつとは仕事上の付き合いでしかないの」
若い女は情報を集め終わって国から帰還するように言われれば男との付き合いもキッパリと断ち切って国へ帰る予定でいた。
女にとって恋人も情報を集めやすくする存在でしかない。
「そうかい」
だが、女将から見れば女が役人の男に対して本気だったのはバレバレだった。
それでも任務と男を天秤に掛けた結果、若い女は任務を選んだ。
「あたしがここへ来たのは、あたしが発つことを報告する為だけじゃない。女将さんたちはどうするんだい?」
「そうだね……」
本当に全員の素性が知られていて一斉摘発が行われているのなら夫婦の身も危ない。
彼女たち夫婦もまた小さな屋台を営むフリをしながら酔っ払った客から情報を集める諜報員だった。
「あたしたち諜報員にとって最もやらかしていけない事はあたしたちの素性について知られる事だよ」
何も証拠がない内は追及されても言い逃れできる。
しかし、決定的な証拠まで残してしまえば言い逃れができなくなる。
もちろん潜伏するにあたって祖国での身分証などは廃棄しているし、祖国との定期連絡もこちらからはできないようにしている。
証拠は見つからないようにしている。
それでも一斉摘発が行われているという事は、他の同業者が何らかの失敗をしてしまい自分たちにまで危害が及んでしまっているのか、それとも自分たちも見逃してしまうような何らかの証拠を掴んだのか。
「本当に一斉摘発は行われているんだね」
「少なくとも数人とは連絡が取れなくなっている」
それも1時間ばかりの話だ。
「あんた」
「ああ」
妻の問い掛けに夫が答える。
とはいえ、潜伏するにあたって怪しまれないよう夫婦の振りをするように言われただけの間柄でしかない。もちろん夫婦に見えるよう必要な事はしていたし、知り合いになった人たちに見せていた。
「あたしたちも逃げることにするよ」
「そうか」
「知らせてくれてありがとうね」
「これぐらいで恩を返せたなんて思ってないよ」
若い女にとって女将は師匠のような存在だった。
街へ潜伏するにあたってどうすれば街に馴染むことができるのか、情報の集め方から無法者から襲われた時の護身術。女を武器にすれば情報は集め易くなるが、何も知らない相手から襲われる事が度々あった。
比較的治安のいいアリスターでも最初の頃は夜の街を探索している間に酔っ払いに何度か声を掛けられた事もある。もっとも正規の軍事訓練を受けている者に相手が女とはいえ酔っ払いが敵うはずがなく気絶させられていた。
そういった事情もあって若い女はすぐにでも逃げ出さなくてはならないのに態々女将に危機を伝えていた。
夫婦も着ていたエプロンを外して屋台の下部に入っていた旅に必要な金やナイフなどの最低限の装備を取り出す。
急遽、出て行かなくてはならなくなった時の準備はされていた。
「この街は過ごし易かったんだけどね」
迷宮が近くにあること、さらに辺境で強力な魔物が出ることもあって冒険者が多い。
自分の力に自信のある冒険者が集まると治安が悪くなりがちだが、この都市は領主の抱える騎士や兵士が頑張ってくれているのか比較的に穏やかで冒険者による悲惨な事件が起きるような事もなかった。
それに夜の街で屋台を営んでいるのに夫婦が襲われるような事もなかった。
「離れるのはちょっと惜しいよ」
「そう言って貰えると同じ街に住む者として嬉しい」
夫婦が勢いよく振り返る。
若い女も声のした方へ意識を傾けていた。
3人にとっては聞いた事のない声。しかし、情報収集するべき最重要人物として姿は知っていた。
「『蒼剣』――!」
「その二つ名は好きじゃないんだけど……ま、いっか」
何気ない動作でイリスが夫婦の肩に手を置く。
夫婦は肩に手を置かれるまで全く気付かなかった。
「え……?」
次の瞬間、夫婦とイリスの姿が消えた。
目の前にいた人物が突然いなくなるという事態に若い女が動揺している。
「安心して。すぐにあなたも同じ場所に連れて行くから」
自分の後ろからイリスの声が聞こえる。
しかし、振り向くことができなかった。
若い女にとってイリスは処刑場へと連れて行く死神そのもの。
――ああ、失敗した。
本当に助かりたいなら、恩など気にせずにさっさと逃げ出せばよかった。
――いや、もしかしたら……
一斉摘発が始まった段階で既に手遅れだったのかもしれない。




