第1話 冬眠中
年も明けた1月の下旬。
「お兄様! いつまで引き籠っているつもりですか?」
血の繋がった妹であるクリスが注意して来た。
彼女の言いたい事は分かっている。
「……ダメ?」
「そろそろ働いた方がいいと思います」
年末前にはきちんと屋敷へと帰って来て自宅でやらなければならないアレコレを片付けた。
年末にはささやかながら身内を招いて屋敷でパーティーを開いて年が明ける瞬間を皆で騒いで楽しみ、2日間はのんびりとした時間を全員が過ごしていた。
だが、休みも終われば忙しい日々が戻って来る。
母は実家のアルケイン商会が営んでいる店の手伝いで忙しく働いており、母が抜けた穴を埋めるようにシルビアとその母であるオリビアさんが屋敷の中で行われている家事の全てを引き受けてくれている。妹のリアーナちゃんも拙いながら一生懸命に手伝っている。
個人で酒屋を経営しているメリッサの両親も休んだのは新年の初日だけで精力的に働いている。メリッサも手伝いで出掛けているので屋敷にいない。
アイラは鍛錬の為に迷宮へ出掛けたり、個人で受けられる依頼を引き受けたりして冒険者として活動している。
女性陣は忙しく働いている。
それに比べて……
「お兄様は外国から戻って来てから仕事をしていますか?」
俺は全く仕事をしていなかった。
「それぐらいにしてあげてクリス」
「イリスお姉様……」
「マルスは去年だけで色々な事がありすぎたの」
春には戦争に参加して敵国の軍隊を殲滅して、エルフの里で巨大な魔物を討伐することになった。
夏には海で再び巨大魔物を討伐することになり、帝国まで赴いて迷宮攻略の競争をすることになった。
秋には巨大魔物を討伐して資金を稼いで帝都で開催されたオークションに参加して怪盗を捕らえることになった。その後は、アンデッド騒動の解決。
「……せめて冬ぐらいは何事もなく過ごさせてください」
そういう訳で暖炉の前にソファを移動させて寝ている。寒い時期にぬくぬくと温まっていると眠くなってしまう。
こんな姿を見ているシルビアは屋敷の掃除をしながら見守っている。彼女も同じ立場なんだけど、精力的に働いてくれるのでその辺は申し訳なく思う。
「私もお兄様が大変だったのは分かります。けど、仕事はしなくても大丈夫なんですか?」
「お金なら問題ない」
迷宮のおかげで、それこそ遊んで暮らしても問題ないだけの金を手に入れることができるようになった。
ただ、それをやってしまうと人間的にダメになってしまうような気がするので自重することにしているだけである。
だから――冬ぐらいは仕事をしなくても問題ない。
「冒険者とはこういうものなんですか?」
「全員が冬の間は休んでいる訳じゃない。けど、冒険者の仕事って大部分が魔物の討伐なんかになるから街の外での活動が中心になる。誰だって雪が積もって寒い中で仕事をしたくないでしょ」
クリスの質問にイリスが答えている。
冒険者としての活動なら俺よりもイリスの方が長いので詳しい。
「自由なのが冒険者。仕事をしなくても冬を過ごせるだけの貯蓄があるのなら休んでいても誰に咎められる訳でもない。その代わり、何かあった時には全て自己責任だけど」
だから冬に備えて秋には精力的に働く冒険者が多いらしい。
俺は、そういう忙しい時期というのを経験せずに高ランク冒険者になってしまったので実感がない。
「それに寒くなって外に出たくないのは人間だけじゃなくて魔物も一緒。洞窟の奥の方とかに隠れて寒さを凌いでいるせいで欲しい素材があっても見つけるのに苦労するせいで手に入れるのが凄く大変」
そういう事情があって冒険者も多くが休業状態だった。
それでも依頼がない訳ではないので冒険者ギルドは営業しているし、依頼を引き受ける冒険者もいる。
「でも、去年はお兄様もしっかりと働いていましたよ」
「本当?」
「はい。冒険者ギルドに行って不足している素材があったら、迷宮へ行ってその日の内にきちんと狩って来ました」
「……マルス?」
イリスの訝しむような視線に耐えられず眼を合わせていられなくなってしまう。
家族の手前、仕事をしていない姿を見せる訳にはいかなかった。
まさか、迷宮の力を使ってズルをしていたなんて言えない。
『いや、兄の威厳とかあったし』
クリスには聞かれないよう念話でどうしていたのか伝える。
必要な素材があれば迷宮の力で生み出し、狩り終えればギルドに卸すという方法で働いているよう家族に偽装していた。後は迷宮のリゾートなどでまったりと過ごしていた。
ただし、2年目ともなるとそういった偽装すらも面倒臭くなってくる。
「俺を指名するような依頼があれば引き受けるけど、基本的に冬の間は仕事をしないことにしているんだ」
去年は途中で護衛依頼は引き受けることになった。
ああいった例外がない限りはのんびりと過ごさせてもらうつもりだ。
「私も基本的にそんな感じだったかな?」
イリスも冬の間はのんびりと過ごしていたらしい。
冬を過ごすだけの貯蓄がない冒険者は仕事をしなくてはならないが、高ランク冒険者として活動していたイリスにとってそんな危機的な状況にはなっていない。
「ただし、冒険者は体が資本だから鈍らないように鍛錬だけは欠かさないようにしているけど」
咎めるような視線が向けられる。
アイラもイリスも迷宮で体を動かして鍛錬を欠かさないようにしている。
俺もやるべきなんだろうけど……
「面倒臭い」
どうにもやる気が出ない。
「どうしてしまったんでしょうか?」
クリスが本気で心配しているのが分かる。
しかし、どうにもアリスターへ戻って来てからやる気が湧かない。
「おそらく一気に色々な事があり過ぎたんだと思う」
去年は春から本当に色々な事があった。
新年を迎えたせいで反動が来てしまったのかやる気が湧かない。
「カラリスお兄様は一生懸命働いているというのに……」
兄は騎士として治安維持の為にほとんど休みなく働いていた。
「今日は休みじゃなかった?」
朝食の時には顔を合わせた。
それから姿を見かけていなかった。
「今日はアリアンナさんとデートです」
「そうか」
最初は隠れて付き合っていた二人だったが、身内の全員にバレていると分かったので今では隠すことなく堂々と付き合っている。
「で、もう一人のお兄様は家でゴロゴロしていて恥ずかしくないのですか?」
「う……」
騎士と冒険者では違う。
そう言えればいいのだが、クリスにとっては二人とも兄であることには変わりない。
一人は休みもなく働いており、ようやく貰えた休みで彼女とデートをしている。
もう一人の兄は、毎日のように家でゴロゴロしているにも関わらず彼女の立場にいる女性たちは忙しく働いている。
どちらが怠け者に見えるのか?
「……冒険者ギルドに行ってきます」
とりあえず、どんな依頼があるのか確認するぐらいはしておいた方が良さそうだ。
「まずはアイラと合流してみるか」
彼女がどんな依頼を引き受けているのか確認して手伝いが必要そうなら手伝う。
「残念だけど、彼女は仕事じゃないわ」
「あれ? じゃあ迷宮にいるのか?」
迷宮は常に環境が一定に保たれているので冬の間でも鍛錬に影響はない。
けど、彼女の反応を確認してみたところ迷宮ではなく街中にあった。
「てっきり街の中でもできる依頼を引き受けているものだと思っていたけど」
「アイラなら用事があるとかで出掛けています」
話を聞いていたシルビアが掃除をしていた手を止めて教えてくれる。
何か用事があるらしいので依頼を受けたり、迷宮へ行って鍛錬をしたりすることはなく街にいるとだけ伝えていた。
彼女たちにだって仕事をせずに自分の為に使いたい時間は必要だ。
何をしているのか連絡して確認することは可能だが、そこまで束縛するようなつもりはない。
「……という訳で一緒に付いて来て貰えませんか?」
イリスにお願いする。
彼女も今日は迷宮で体を動かして汗を流すつもりでいたので予定を変えてもらう必要があった。
「私、必要?」
「せっかくやる気を出しているみたいだし、一人だけだと逃げ出すかもしれないから付き合ってあげて」
「まあ、いいけど」
溜息を吐きつつシルビアに言われて同行を承諾してくれた。