第10話 猪鍋
「お待ちどうさま」
女将さんが個室へ両手に大きな鍋を抱えながら持って来た。
鍋を一度置いてから個室の隅の方にある用具入れからコンロを取り出した。このコンロは魔法道具で、側面に取り付けられた装置に魔力を流すことで火を点けることができるようになっている。
コンロと鍋をテーブルの上に置くと魔力を流して火を点ける。
鍋がグツグツと煮立ち始めた。
「これは、猪の肉を使った鍋ですか?」
「よく分かったね」
鍋を一目見たシルビアが女将さんに確認する。
「ウィンキアの北には大きな森があってね。そこを棲み処にしている猪型の魔物がかなりの数いるんだよ」
そのおかげでウィンキアでは猪肉の仕入れが盛んに行われていた。
猪型の魔物と一口に言っても種類によって強さが違う。新人冒険者でも数人が集まれば狩れる猪がいれば、ベテラン冒険者を何人も集めても犠牲を出してしまうような強さの猪もいる。
「こいつは、その中でも強い猪の肉を使った鍋だよ」
「そんな貴重な物を食べていいんですか?」
「問題ないよ。聖女が態々連れて来たっていうことは、あんたたちは今回の事件を解決する為に必要な人だよ。あたしなりに奮発させてもらっただけだよ」
女将さんが鍋の準備を終えると個室を出て行く為に立ち上がる。
「ただし、驕りじゃないよ」
「もちろん払いますよ」
貴重な肉を使っているらしいけど、俺たちに払えないほど高額という訳でもないはずだ。
シルビアが鍋の様子を確認しながら全員の小皿によそって行く。
全員に小皿が行き渡るのを確認してから汁を飲ませてもらう。
「……美味しい」
料理に詳しくない俺でも出汁に味噌が使われていることは分かる。
アリスターでも味噌が作られているので市場に出回っている。デイトン村にいた頃は輸送費の関係から高価だったので簡単に買えるような代物ではなかったが、今は安く買えるし、調理の方もシルビアが行ってくれるので色々と食べていた。
「……海藻から作った出汁に赤味噌をベースに砂糖とみりん、それに生姜が使われています」
「正解です」
シルビアの呟いた言葉をミシュリナさんが肯定した。
鍋に使われている出汁は女将さんの特製らしく、昆布から取った出汁に赤味噌を加えて生姜と一緒に煮込んだ後で砂糖とみりんを用いて味付けしたものとの事だ。
ミシュリナさんは何度も通い詰める内にレシピを教えてもらっていた。
だが、残念ながらミシュリナさんの調理スキルは低い方らしく、自分たちで調理して食べたいと思った時にはクラウディアさんに丸投げするしかないみたいだ。
「猪のお肉も美味しいですから食べて下さい」
薄くスライスした肉を口へ運んでみる。
しっかりと煮込まれた肉は喉をあっさりと通って猪肉特有の獣臭さも感じることなく食べることができた。
「どうですか?」
ニコニコと笑顔で尋ねて来るミシュリナさん。
俺に言える感想はシルビアの作ってくれる料理では感じた事のない味だとしか言えない。
「……悔しいですけど、食べただけでは猪肉にどのような下拵えをしたのか分かりません」
本当に悔しそうにしていた。
「そんなに悔しがること?」
「美味しければいい」
どのような調味料が使われているかなど気にせずにアイラとイリスが次々と鍋の中身を食べて行く。
この二人は前衛で体を動かすことが多いので食べられる時に食べておくというスタイルを貫いているので美味しい物を前にすると手が止まらなくなる。
俺も次々に肉を口へ運んで行く。
それでもシルビアはどのように調理されているのか考え込んでいた。
「そんなに気になるなら後で聞いて来ればいいのではないですか?」
「教えてくれるかな」
マイペースに鍋を食べていたメリッサから教えられた解決策に首を傾げる。
これが秘伝の調理法などなら教えてくれない可能性の方が高かった。
「大丈夫ですよ」
だが、同じようにレシピを聞いていたクラウディアさんは大丈夫だと言った。
「獣臭さが消えているのはイシュガリア公国でしか手に入らないハーブと一緒に調理しているからですし、出汁の方にも公国でしか手に入らない調味料が使われているだけですので頼めば教えてくれるとは思いますよ」
ハーブは魔物の生息地に生えているので冒険者に頼んで危険な状況で採取してもらわなければならないので少しだけ高価になっていた。
希少、というわけではなく製造方法が厳守されている調味料。
イシュガリア公国の市場に出掛ければ、お金さえ出せば簡単に手に入れられる代物なのだが、外国にまで流通させられるほどの量は得られていないので手に入れる為には公国で買い物をしなければならない。
「……後日で構わないので市場へ行って来てもいいですか?」
「別に構わないけど」
依頼が終わった後には自由時間を設けるつもりでいた。
せっかく外国にまで来たのだから観光ぐらいする時間は必要だ。
「おかわり、おかわり」
椅子を立ったアイラが笑顔で小皿とお玉を持って手を伸ばしていた。
俺も自分でよそって鍋の中身を食べようとすると手に取った肉が目に入って来たので確かめてみる……脂身の乗った猪肉。
「……太るぞ」
「ふ、太らないし……!」
ボソッと言った言葉に大げさに反応している。
思わず反応してしまった事から思い当たる節はあるみたいだ。
見れば他の眷属3人の手も止まっていた。
その視線は、脂の強い猪肉へと固定されている。
「あたしは剣を振って体を動かしているから食べた分だけ燃焼するの!」
そのまま得たカロリーを気にしないで食べ続ける。
たしかに剣士であるアイラやイリスは体を動かしている分だけカロリーは消費するのだが、体が資本なだけに体型の維持には気を遣わなければならない。
魔法使いは体内の魔力を消費すると同時にカロリーもある程度消費しているらしく太り難い体質をしている。メリッサは体重を気にするようになると大法魔法を連発しても迷惑の掛からない迷宮の深部に潜って魔力を大量に消費してカロリーも一緒に消費している。
大魔法も使えて剣を振って体を動かすことができるイリスは体重など簡単に落とすことができた。
そのため眷属の中では体重を一番気にしているのはシルビアなのだが、シルビアは普段から自分の食事に気を遣って太らないようにしている。
「まあ、それならいいんだけどな」
「そうそう」
本人が気にしないと言うなら問題ない。
だが、服を脱いだ状態を知っている身としては若干お腹回りが大きくなったような気がしないでもないので太ったように思える。
それに帝国へ行って現地の料理を楽しんでいるのでアイラの食事量が増えた気がしないでもない。
「……ま、言わない方がいいだろ」
食事を楽しんでいるアイラには聞こえなかったみたいだが、シルビアとメリッサには聞こえていたらしく苦笑している。
「以前にグロリオ様を招待した時も眷属の皆さんが似たような事を言っていましたが、気にされる必要はないと思いますけど」
「たしかに私たちから見ても皆さんお美しいですから」
気にするような体型ではないと言う聖女と侍女。
二人とも美女と呼ばれるだけの容姿をしているので、体型を気にする女性の感覚には疎いのかもしれない。
そういう俺も全く分かっていない。
「こういうのは習性みたいなものだから気にしないで」
気になりつつも体重を気にしない事にして鍋を楽しむアイラ。
「ま、いいけどな」
女将さん特製の猪鍋には体重など気にさせないだけの美味しさがある。
冬になって寒くなり始めた体を猪鍋で暖めながらまったりとした時間を過ごす。