第8話 虎人族との模擬戦
荒野に対峙するイリスとスパイク。
両者の間にある距離は10メートルほど。
スパイクは自分の拳を武器に戦う拳闘士らしく、両腕にはガントレットが装備されていた。
腰を落として拳を構える。
「……おい」
訝し気にスパイクが目の前に立つイリスを見る。
正面に立つイリスは両腕を組んで立っているだけだ。
イリスの武器が腰に差した聖剣である事は知り合いだったスパイクは当然のように知っているし、初めて見る者でも動き易さを重視した格好をしているのだから誰もが剣士だと思う。
これから戦いをするなら剣を構える。少なくとも剣を抜く必要がある。
「ハンデ。これぐらいの事をしないと一瞬でケリが付く」
「……そうかよ。自分の判断を後悔するなよ!」
力強く踏み込みイリスの前まで一瞬で移動したスパイクが拳を振り抜く。
その瞬間になってもイリスは剣を抜いていないどころか組んだ両腕を解いてすらいない。
野次馬根性を発揮して模擬戦を見ていた冒険者のほとんどがスパイクの拳に殴り飛ばされて潰れてしまう光景を幻想した。
イシュガリア公国を拠点に活動しているスパイクの実力は有名だったらしく、模擬戦を見ていた誰もがスパイクの勝利を疑っていない。
野次馬根性を発揮しているのは、スパイクと同じように剣や槍などによる物理的な攻撃を得意としている冒険者ばかり。拳で殴って魔物を倒す事で有名な冒険者であるスパイクはそういった若者から慕われており、模擬戦の話があった時に近くにいた者の多くが優秀な魔法使いではなかった。
もしも、この場に優秀な魔法使いがいれば別の結果が予想できていた。
――ガン!
スパイクの拳が何か硬い物に阻まれてイリスに届かなかった。
「氷、だと?」
自分の拳の前に突如として現れた物体を前にしてスパイクが呟いた。
彼が呟いたようにイリスが魔法で作り出した氷の壁がスパイクの拳を阻んでいた。
「私を攻撃したいなら少なくともそれぐらいは壊せるようにならないと」
「調子に乗るなよ」
両手の拳を打ち付ける。
「……っ!」
氷の壁はビクともしていなかった。
「ヒビすら入らないのかよ」
何度も、何度も氷の壁に拳を打ち付けて行く。
全く予想していなかった光景に野次馬根性を発揮していた冒険者たちも固唾を呑んで見守っていた。
――ピシッ!
氷の壁に拳を打ち付ける音だけが響き渡る空間に聞こえて来た小さな音。
スパイクの拳がようやく氷の壁にヒビを入れることに成功していた。
それは、小さなヒビ――拳と同じくらいの小さなヒビだった。
「ははっ……」
乾いた小さな笑い声がスパイクの口から漏れる。
自分の攻撃力に絶対的な自信を持っていたのに何度も殴り続けて得られた成果が拳と同等サイズのヒビだけ。
今のままでは氷の壁を突破することすらできない。
「いいんですか?」
「何が?」
静かに俺の傍に寄って来たシルビアが耳元で尋ねて来る。
「あの氷には結構な魔力が使われていますよね?」
魔法使いではないが、迷宮魔法は使えるし、イリスやメリッサと何度も模擬戦をしているシルビアには氷の壁にどれほどの魔力が使われているのか認識することができていた。
もしも、氷の壁が精製される前にイリスが体内で練り込んでいた魔力量を優秀な魔法使いが見ていたなら驚きから倒れていたところだ。
そんな魔力量を使うような魔法を使っていいのか?
あまりに強い力を使ってしまうと目立ってしまう。
「これぐらいなら大丈夫だろ。それよりも今後にある程度の個人行動が許される為なら必要な事だ」
「わたしも自由行動は必要だと思いますけど……」
イシュガリア公国で話を聞く前までなら、ちょっと手伝いをするぐらいでいいと思っていた。
だけど、それで後手に回ってしまうと手遅れになってしまう可能性があった。
パーティメンバーの全員が理解しており、イリスもSランク冒険者以上の力を見せつけることで自由行動の権利を得ようとしていた。
「分かった? あなたの攻撃じゃあ、氷壁を砕くことすらできないの」
「そんな事はないさ」
至近距離から何度も殴って氷の壁を破壊しようとしていたスパイクが離れる。
「へぇ」
体内で練り上げた魔力が両腕に纏わり付くように集中する。
魔力を利用することで一撃の威力を上げようとしている。
「ハッ!」
気合と共に放たれた拳。
イリスの氷壁が粉々に砕かれる。
「とはいえ、これぐらいの花は持たせてあげないとな」
そうでないとSランク冒険者としてのメンツがもたない。
実際のところは、強化されたスパイクの拳で砕かれたのではなく、花を持たせる為にわざと氷壁の厚さを少しばかり薄くしたイリスのおかげで砕くことができたに過ぎない。
実際にそのまま殴った場合には全体に及ぶほど大きなヒビが入るぐらいで粉々にするほどの力はなかった。
「どうだ!」
そんなことにも気付いていないスパイクが声を上げる。
だが、次の瞬間には首筋から感じる冷気に言葉を失ってしまう。
「これで負けを認める?」
スパイクの首にはイリスの剣が添えられていた。
感じる冷たさは金属の刃が当たられていることによるものだけではなく、冷気を刃に纏わせたことで死への恐怖感が増幅されていることも影響していた。
「……参った」
この状況で負けを認められないほど往生際が悪いという訳でもなかった。
降参宣言を聞いてイリスも剣を収める。
「勝った」
「よくやったな」
俺の前まで戻って来ると模擬戦をしていた時のような鋭い気配は収められて笑顔になっていた。
思わず頭を撫でで褒めてしまう。
「一応、俺たちの実力は見せたつもりですがどうでした?」
「あ、ああ……」
俺たちの近くで模擬戦を見ていたギルバートさん。
まさか、自国の抱える最強の冒険者があそこまで手も足も出せずに敗北するとは思っておらず何も言えずにいた。
「イリスの提案した作戦を了承してもらえますか?」
「そうだな。Sランク冒険者を簡単にあしらえるほどの実力者がいるパーティなら問題ない、のかもしれない……」
さすがに5人で軍勢を相手にさせるという作戦なので簡単に了承することができない。
とはいえ、そこまで難しくはない。
「相手はアンデッド化した民間人です。そこまで異様な力を持っている訳ではないですから大丈夫ですよ」
アンデッドの強さは、生前の強さに影響を及ぼされる。
もしも、アンデッドになったのが強力な魔法使いだったならリッチのような厄介な存在になっていたのかもしれないが、海岸近くの小さな村で生活していた村人がアンデッドになったとしても本能のままに動き回るだけのゾンビがいいところだ。
スパイクでも10人程度なら無傷で討伐することができるはずだ。
「分かった。君たちの単独行動を了承しよう」
最高責任者からの了承が得られた。
これで自由に動いても問題ないはずだ。
「ただし、連絡役は付けさせてもらう」
「いいですけど……」
最低限付いて来られるだけの実力者でなければ困る。
そんな実力者は、スパイクと同じく纏められるはずだ。
「問題ない。君たちに同行させるのはミシュリナだ」
「いいんですか?」
イシュガリア公国において『聖女』がどれほど重要な存在なのか正確なところは分かっていない。少なくとも危険地帯に放り込めるほど代えの効く存在ではないはずだ。
「私も君たちが単独行動をしようとしている理由ぐらいは見当が付いている」
それでイシュガリア公国からも優秀な者を派遣したい。
だが、国としてはそんな余剰戦力があるなら当初の作戦通りに南側の軍勢に回るべきだという言葉が強く、ギルバートさんでも反対できなかった。
そこで自由行動の許されているミシュリナさんが派遣されることになった。
「よろしくお願いします」
話を聞いていたミシュリナさんは同行することに反論はないらしい。
「これから行くのは危険地帯ですよ」
少なくとも数百人規模のアンデッドが行進する場所。
しかも討伐に向かうのはたった5人の冒険者。
「大丈夫でしょう。この国にいる冒険者全員を相手にしても問題ないほどの力を所有している貴方たち5人の傍ほど安全な場所はありません」
「そういう事なら……」
ミシュリナさんの同行を了承する。
下手に実力があっても俺たちの素性について知らない人が派遣されるよりもずっといいので反論もない。




