第34話 ライディヒアの葉
「金貨55枚」
「金貨56枚」
「70枚!」
壮年の男性が次々と落札価額を釣り上げて行く。
ただの薬草にそこまで懸けるとは思ってもみなかった。
「ど、どうして……?」
「分からない」
あたしの疑問をよそに競りが続いて行く。
イリスもどうして貴族がそこまで手に入れようとしているのか分からないみたいで首を傾げていた。
「私たちが使おうとしている用途以外に使い道があるのかもしれませんね」
メリッサの言う可能性ぐらいしか考えられない。
収納リングから本を取り出す。
この本は、調合を教えてくれたマリウスさんがメリッサに譲ってくれた調合に関する辞典みたいな物だった。
メリッサが必死に時点の中からライディヒアの葉を使った秘薬を探している。
「お嬢さんたち、不思議かな?」
あたしとイリスも隣から辞典を覗き込んでいると後ろの席にいた男性が話し掛けて来た。
男性は、30代前半ぐらいの貴族らしく身形の整った服装をしており、女性のあたしたちを前にニコニコとした笑みを浮かべていた。
今のメリッサは貴族令嬢に見えなくもないから興味本位でオークションを訪れた令嬢が薬草を必死に競り落とそうとしている姿に護衛や執事と一緒に驚いている、とでも思われているのだろう。
「はい。私たちの目にはただの薬草にしか見えませんが、なぜここまで人気なのでしょうか?」
「あの薬草は、ある薬の材料に使われていてね。一生懸命競り落とそうとしている彼らの姿を見てごらん」
貴族の男性に言われて競りに参加している連中の姿を見る。
同伴した執事に落札金額を言わせている者もいるが、自分から必死に競りに参加している者もいる。
彼らには共通した身体的特徴があった。
「禿げ……」
言い方は悪いかもしれないけど、頭髪が薄い人の姿が目立った。
「あの薬草は、頭髪を再生してくれる効果のある秘薬を作るうえで欠かせない薬草なんだ」
その秘薬は常に飲み続けなければ効果が現れないらしく、服用しなければならないほど頭髪に困っている男性は、ただでさえ流通量の少ないライディヒアの葉を買い占めざるを得ない状況になっているらしい。
とんだ大誤算だ。
「買占めを行っている貴族にしたってまとまった量を手に入れるには予約が必要になる。噂によると何年も先まで予約が一杯らしいよ」
王国から買い付けに向かっても予約のせいで手に入れる事ができないらしい。
「今回のように溜め込んでいた貴族から徴収するような状況でもなければ予約のないライディヒアの葉をすぐに手に入れる事なんて不可能だからね。少しでも早く手にしたい彼らは必死に手に入れようとしているんだよ」
「この展開は考えていませんでした……」
いつもは色々と考えるメリッサも予想できなかったみたい。
恐るべきは権力と金を手に入れた者の健康(頭髪)への執着。
「どうする?」
イリスがメリッサに相談する。
こんな事は相談するまでもない。
親指を仕留める為に首を掻っ切るように動かす。
あたしたちの間での合図だ。
「金貨200枚!」
イリスの宣言に会場が慄く。
ライディヒアの葉の落札はようやく金貨100枚を超えたところだった。
頭髪を気にする金に余裕のないあたしたちと同じ列、もしくは下の列にいる下級貴族が諦めきれずにチマチマと落札価額を上げていた。
チマチマと落札価額を上げている連中を仕留める為に落札価額を一気に2倍まで引き上げる。
金を持っている貴族連中はこれぐらいしないと退かない。
「金貨210枚!」
「は!?」
勝ったと思ったら、あたしたちよりも高い場所に座った禿げた貴族が落札価額を上げて来た。
その表情は下の席にいるあたしたちの事を嘲笑っているように見えた。
よほど自分の財力に自信があるのだろう。
「メリッサ」
「何ですか?」
「掛け金追加よ」
ドン、と金貨の詰まった袋を置く。
中には100枚詰まっている。
収納リングの中には金貨を100枚ずつ入れた袋がいくつか入っていた。
「いいんですか?」
メリッサが訊ねているのは自分だけ多く支払ってもいいのかっていう事。
あたしたちはマルスの厚意によってパーティで稼いだお金の大半を個人の資産として譲ってもらっている。それぞれ必要な物を買ったり、個人の装備品を揃えたりして出費はある。
それでも金貨100枚程度なら大した痛手ではない。
高ランク冒険者として稼ぎまくったおかげだ。
だけど、マルスの厚意に甘えているばかりでいられない。
「あの貴族に笑われたのが気に入らない」
あんな禿げたオッサンに負けるなんてあたしが許せない。
「金貨300枚!」
「310枚」
「320枚!」
「330枚」
さっきの貴族だけじゃない。
金に余裕のある禿げた貴族連中が負けずにあたしの上げる落札価額に付いて来る。
さすがは金を持っている貴族だ。
「……君たち、本当に払えるのかい?」
後ろにいる貴族がちょっと引いた様子で訊いて来る。
オークションを見学に来た貴族令嬢と付き人かと思えば頭髪薬に使える薬草を手に入れる為に大金を使っている。相手が貴族令嬢だったとしても既に気軽に出せるような金額ではない。
けれども、あたしたちの持っている総資産を考えればこれぐらいの損失は問題ない。アリスターみたいな辺境で普通に生活する分にはこんなに大金を持っていても使う機会がない。
「これぐらいなら払うのは簡単です」
メリッサが言うようにここまでは当初の予算内。
「――金貨500枚」
気付けばあたしが追加した100枚も加えた予算に追い付いてしまった。
「これも追加」
イリスがテーブルの上に金貨の詰まった袋を更に置く。
「いいの?」
「私はパーティに加わる前からAランク冒険者としてかなり稼いでいた」
初めて会った遺跡でもベテランらしく振舞っていた。
その時の事を考えれば、あたしたちの予想以上に稼いでも不思議ではない。
「むしろ今のパーティが貰い過ぎなぐらい」
パーティに入ったばかりのイリスの為にあたしたちがパーティを結成してから稼いで個人のお金として貰っていた金額を渡していた。
最初は凄く断っていたけど、あたしたちとしては公平にする為にも渡しておきたかった。
実際、イリスのベテラン冒険者としての知識に助けられているのは事実で、彼女の知識にはそれだけの価値があった。
「なら、問題ないわね」
出そうと思えばまだ出す事はできる。
けど、あまり大金を使ってしまうのもマズい。
「ぐぬぬっ……」
悔しそうな貴族の唸り声が聞こえて来る。
「どんなもんよ」
その後、金貨550枚で落札する事ができた。
悔しそうにしている禿げた貴族連中の顔を見ているだけでもスカッとする。
「君たちのお父さんは、そんなに深刻なのかな?」
貴族の男性からしてみればライディヒアの葉は、頭髪薬として使用する物という認識が強い。
あたしたちみたいな女の子が髪の薄さを気にするわけもなく、自然と父親や齢の離れた兄が使うつもりだとでも思われたんだろう。
「そんなところです」
メリッサが曖昧に肯定する。
そう言えばマルスの場合はどうなんだろう?
あたしたちは頭髪の有無なんて今さら気にしないと言えば気にしないんだけど、やっぱり無いよりは有った方がいいと思う。
使い道は違うけど、マルスの分も取っておいた方がいいかも。