第4話 神酒若返り
マリーさんの後ろに立った使用人。
見た目の年齢はマリーさんとほとんど変わらず、髪の色が同じ事から姉だと紹介されれば勘違いしてしまいそうな年齢の人物。
しかし、実際のところはリオの母親だった。
とても1児の母親だとは信じられない。
「ネリア様、やはりおふざけが過ぎます」
「そうでしょうか? 私としては、これが正装ですからお客様を迎えるならこの格好で迎えるべきだと判断したまでです」
使用人服を見せびらかすように体を回すネリアさん。
ちょっと話に付いて行けない。
「……どういう事ですか?」
「ネリア様は以前からカトレア様のご実家が所有していたこの別宅を管理する使用人として働いていたのです。毒に倒れられた後は使用人としての仕事も控えてくれていたのですけど……」
毒が治った途端に働き始めてしまった。
皇帝になろうという人物の母親が使用人などしていていいのだろうか?
「まずは、お礼を言わせて下さい」
ネリアさんが姿勢を正して頭を下げて来る。
その姿はきちんとした教育を受けて来たらしく美しかった。
「貴方方の提供してくれた薬のおかげで私は一命を取り留める事ができました」
「いえ、色々と対価は貰いましたので対等な取引です」
「対等……果たして本当に対等な取引だったのでしょうか?」
ネリアさんの視線が俺たちではなく、カトレアさんへ向けられる。
視線を向けられたカトレアさんが観念したように告白する。
「幼い頃からネリア様には敵いませんね」
「お嬢様を教育して来たのは私です。いえ、今では歴とした息子の嫁――奥様ですね」
「止めて下さい」
テーブルの上に置かれた紅茶を一口飲む。
「私たちは自分たちが本当に必要としていた物を提供して貰いました。それに対して私たちが提供した物は僅かばかりの金銭と今回のオークションに参加する為の伝手ぐらいです。恩を返せたとは思っておりません」
俺としては大した物を提供したつもりではなかったが、カトレアさんにとってはそうではなかったらしい。
「ならば私からも命を救って貰った対価に差し出せる物があるのなら何でも言って下さい」
「ネリア様!」
立ち上がってネリアさんを止めに入るカトレアさんだったが、ネリアさんが首を横に振って座るよう促す。
隣に座ったマリーさんに支えられながらソファに座る。
「私は、あのままだと生まれて来る孫を抱く事もできない体でした」
服用しなければ効果のない毒とはいえ、毒に冒された体で抵抗力の弱い赤ん坊に近付くわけにはいかない。
「ですが、貴方たちの提供してくれた薬のおかげで孫を無事に抱く事ができます。それに、こうして若返らせてくれたおかげですし、女として何かしらの礼をしなければならないと思っております」
「ちょっと待って下さい」
お礼を言うネリアさんを止める。
若返り?
神酒にそんな効果があったとは記憶していない。
『私にも覚えはありません』
あの後、道具箱の中で死蔵させている物について一緒に効果を確認したメリッサも否定している。
自分に何ができて、何ができないのか把握しておくのは大切な事だ。
しっかりと効果を確認していたので間違いない。
『僕も覚えがないよ』
迷宮核も否定している。
これは今後の為にも確認しておかなければならない。
「若返り、というのはどういう事でしょうか?」
「元々ネリア様は40歳とは思えないほど若々しい姿をした人でした。ですが、毒に冒されると日に日に年相応に老いて行くような感じで、死期が近付いているみたいで見ていられませんでした」
その時の姿を幻想したのかマリーさんが膝の上に置いた手を握りしめている。
「ですが、神酒を飲んで回復した瞬間、以前よりも若々しい姿となっていました。私たちは神酒の効果で若返ったと思っていたのですが、違うのですか?」
カトレアさんやマリーさんは神酒を所有しているわけではなく、ネリアさんの体を癒す為に神酒も使い切ってしまったので再度【鑑定】を行う事もできなかったため効果を確認することはできなかった。
「正直に言います。神酒に若返りなんて効果はありません」
「ですが……」
もう一度、ネリアさんの姿を見てみる。
どう見てもカトレアさんと同年代。下手をすれば俺たちと同年齢だと言い張る事もできるほどの若々しさだ。
「見た目だけではなく体力なども若い頃と変わらないほどに戻っております」
だからこそ若返っている事は疑いようがない。
誰もが首を傾げていた。
万病を癒す力のある神酒。
飲むだけで若返る事ができるのなら世の権力者が手を尽くしてでも手に入れたいと思っても仕方ない。
『あ、分かった』
そんな事が知られれば危険な事が起こりそうなので永久に封印しようと考えていたところで迷宮核が何かを思い付いた。
『たしか彼女は「デボアの毒」で全身を苦しめられていたんだよね』
『そういう風に聞いている』
『神酒はどんな難病でも癒してしまう奇跡の薬だよ。その時、「デボアの毒」なんていう強力な毒に苦しまされていた体を癒す為に体中の細胞が生まれ変わったように新しくなったんだ』
生まれ変わったように……?
つまり、強力な毒に耐え続けていたネリアさんだからこそ若返りという効果まで付いて来た。
迷宮核の推論を教えてあげるとネリアさんが喜んでいた。
「私の苦労は無駄ではなかったのですね」
デボアの毒は、1年間苦しみながらゆっくりと死へ向かって行くという凶悪な毒だ。3カ月間も耐えるだけでも凄い。
「この体なら息子たちに仕える事もできます」
「使用人に戻るつもりですか!?」
「いえ、どうせだから孫たちの乳母にでもなろうかと」
皇帝の子供ともなれば忙しくて親が育てるわけにはいかない。
乳母が必要になる。
平民の考えとしては、下手に無関係な人に育てられるよりも祖母でもあるネリアさんに育てられた方がいいかもしれない。
「ええと……私としては育ててもらった恩に報いる為にも余生をゆっくりと過ごして欲しいと思っていたのですが……」
「何を言っているの。私から生き甲斐を奪うような真似をしないで。貴族の家に生まれたけど、当主が戯れに産ませた使用人の娘。一応、貴族の娘だったけど、そんな生まれの私だから政略結婚に使われる事もなく、帝城へ使用人と出されて、私も母と同じように皇帝陛下に戯れに一夜だけ共にした」
その時に授かったのがリオだった。
けれども帝城で仕える使用人が皇帝の子供の身籠ったなどに問題になる。
結局、帝城で働く事ができなくなったネリアさんは自分の子供という事もあって先代皇帝の紹介でカトレアさんの実家の近くで育てる事になった。
その後は、実家の支援も受ける事なく、一人で働きながらリオを育てた。
大変だったものの充実した日々だったと語る。
「それに、恩を返すと言うのならできる事があるでしょう」
「……幼い頃に言っていたあれは本気だったのですか」
カトレアさんは呆れたような視線をネリアさんに向けていた。
そのネリアさんは期待に満ちた瞳をマリーさんに向けている。
「な、なんですか?」
「私は父親とも数える程度しか顔を合わせていない。母も私が働けるようになる前に過労で倒れてしまったわ。両親との想い出がほとんどなかった私は夫と何人もの子供に囲まれる家庭を夢見ていたけど、そんな夢も叶わなかったわ」
皇帝の子供を連れた人と結婚してくれるような相手には出会えなかった。
それにリオを育てるだけで本当に忙しかった。
「ネリア様は既に婚約者としてリオ様と一緒にいた幼い私に常々孫は10人以上見せて欲しいと言っていました。当時は子供ながらにさすがに無理だと言っていたのですが……」
現在の状況を考えると無理ではなくなった。
「お嫁さんが8人もいるんだから10人以上は余裕よね。だって、もう2人は生まれて来る事が決まっているんだから」
そういう意味でマリーさんに期待していた。
期待されているマリーさんとしてもどう応えればいいのか困っている。
どうにも似たような状況を見た覚えがある。
俺の母も同じように孫を期待していた。
母親と言うのは孫を所望しなければならないのか。
「私の夢を叶える為には、どうしても数年は時間が必要でした。ですから、その猶予を与えてくれた貴方たちには本当に感謝しています」
使用人としてキリッとした表情になったネリアさんが頭を下げて来る。
本当に心の底から感謝しているみたいなので受け入れるしかない。そして、ネリアさんの協力が必要な時があったなら遠慮なく頼らせて貰う事にしよう。