第29話 祖母(仮)と母
ルイーズ視点です
朝の内にアリスター近くにある迷宮へと転移して来たアタシはアリスターへと赴いた。
本当ならそのままメリッサの空間魔法で王都まで送ってもらうのが一番早いんだろうけど、王都に帰れば仕事がたくさん積み込まれている。
仕事があるのはいい事だ。
けど、逃げ出したいと思ってしまうのは仕方ない事だとも思う。
そういうわけで現実逃避という名の休暇をもう1日だけ楽しむことにする。
具体的な予定はアリスターの観光だ。
とはいえ、冒険者をしていた頃に何度か来たことがあるし、冒険者ギルドに顔を出したり、街の土産屋なんか見ていたりしている内に時間はあっという間に過ぎてしまう。
そして、今マルスたちの住んでいる屋敷で夕食を食べ、のんびりとしていたところにメリッサの母親がワインを片手にアタシの正面に座った。
彼女だけじゃない。
二人の女性がアタシの横に座った。
「どういうつもりだい?」
「子供たちがいないこの場で貴女には是非ともお礼を言っておきたかったのです」
「お礼?」
両隣に座った女性――夕食の時にマルスとシルビアの母親だと紹介された二人がアタシたちの前にグラスを置いて行く。
メリッサの母親はグラスが行き渡るのを確認するとワインを注いでいく。
「店で扱っているワインの中でも上物です。是非とも味わってください」
「アタシにはお礼を言われるような心当たりはないんだけどね」
ワインを一口飲む。
口の中に広がる芳醇な味わいから本当に上物であることが窺える。
そして、そんな上等な物を飲ませてくれることから本当にお礼を言いたいのだという事も理解できた。
「貴女には私が娘の傍にいられない時に色々と気を遣ってくれたと娘から聞いています」
「ああ、そういうことかい」
王都で知り合いの紹介で初めて会ったメリッサの事はよく覚えている。
10歳という若い、というよりも幼い年齢で大人顔負けの話をしていた。
その事から興味を覚えて色々と事情を聞く内に協力したくなった。
メリッサの方も事情を話せばアタシが協力してくれる人物だと判断してくれたのか少しずつだが話してくれるようになり、いつしか本当の孫のように感じられるようになっていた。
だが、そこまでだ。
アタシの方はそういう風に感じられるようになっていてもメリッサの方にも一線を引いたような様子があった。現に王都を離れてアリスターへ行くことになった時にも詳しい事情を話さずに「辺境へ行く事になった」と簡単な挨拶で済まされた。
「あの娘はあの娘なりに貴方に感謝をしています。ですが、あのような性格ですから正直に自分の気持ちを打ち明けることができないのです」
「アタシもそれは分かるよ」
「親として情けない話です。本来ならあの頃の年齢なら親である私が真っ先に頼られる存在でなければならないのですが、私たち両親はあの娘に傍にいることができず一人で頑張らせる事になってしまいました」
詳しい事情は聞いていない。
けれどもメリッサが故郷を取り戻す為に大金を必要としていて色々と動いていた事は知っていた。
「アタシもギルドマスターっていう立場があったからあの娘一人の為にしてあげられる事はほとんどなかったよ。あの娘には魔法使いとしての才能があるみたいだったから本当はアタシが引き取って優秀な魔法使いに育てたかったんだけどね」
しかし、目的があるメリッサを本格的に育てる事は難しかった。
だからこそ挨拶に訪れた姿を見た瞬間に驚いた。
魔法を熟知している者なら誰もがある程度は持っている相手の魔力を感知する能力。
その能力がメリッサの持つ魔力量が以前の100倍と言ってもいいぐらいに上昇していた。普通の魔法使いなら、その大きすぎる魔力量のせいで正確な値を把握できないどころか大きいことすら把握することができないほどだ。
普通なら短期間でのここまでの成長はあり得ない。
あり得ない成長に驚きながらも聞くことができず、今回同行したことで理由がはっきりと分かった。
「メリッサだけに限った話じゃない。ギルドマスターの立場から言わせてもらうけど、あの娘たち4人の力ははっきり言って異常だよ」
「……やはり、そうですか」
シルビアの母親がアタシの評価に唸る。
さすがに自分の娘が異常だと言われて受け入れられる母親はいない。
「アンタたちが知っているのか分からないけど、原因は男だね」
もちろんマルスに篭絡されたとかそういうわけではなく、マルスから何らかの恩恵を受けたことによって彼女たちのステータスが増強されている。
そうでなければ説明が付かない。
そうして迷宮へ戻って来た事から分かった事がある。
「マルスが迷宮で手に入れた物が何なのか知っているかい?」
母親に聞くものの彼女の表情は優れない。
「恥ずかしい話ですけど、あの子が持っている力が異常だという事は分かっていても具体的なところは私も教えられていないのです。私もミッシェルさんの事を強く言えない母親失格です」
ミレーヌが語ってくれるアリスターに来たばかりの頃の話。
父親の失態によって背負わされた借金を返済する為に潜った迷宮で初日から何かがあった。それまでは父親から鍛えられたおかげで小さな村の兵士になれる程度の力しかなかったことから迷宮で何かがあった事は確かだ。
さて、何を手に入れれば仲間も強化できるようになるのか。
「……貴女は息子の力の原因を知ってどうするつもりですか?」
マルスの力の要因について考えるアタシを不安に思ったミレーヌが睨み付けるようにアタシの事を見て来る。
その目には、息子を守ろうという母親の決意があった。
「なんだい。母親失格なんて言っていた割に母親としての自覚はあるみたいだね」
「私は大変な時に息子を守れませんでした。だから、これからは私が息子を守らなければならないんです」
決意は立派だ。
だが、過保護は良くない。
「アンタは気付いていないフリをしているみたいだけど、あの子が既に母親から守られるだけの子供ではない事に気付いているはずだよ」
「たしかにあの子が手に入れた力は脅威ですが……」
「そういう事じゃないよ。あの子は既に自分が守るべき存在を見つけているんだ」
言うまでもなくメリッサたち4人の事だ。
ミレーヌに対してだけではなく、この場にいる母親3人に向かって言う。
「何十年も前にアタシも経験しているから分かるけど、自分の手から子供が巣立って行く瞬間っていうのは寂しいものだ。だけど、子供はいつしか母親の手を離れて誰かと寄り添い合うものだ。母親のアンタたちにできる事は、その姿を見送る事だけだよ」
アタシも息子が自分の手を離れた瞬間は寂しかった。
だから彼女たちの気持ちは分かる。
ただ、マルスの立場が特殊だから一言だけ注意しておかなければならない。
「アンタは息子が4人もの女の子を連れて来た事をどう思ってる?」
「……正直言って最初は戸惑いました」
アタシでも息子が複数の女の子を連れてきたら戸惑う。
一夫多妻が禁止されているわけではないから連れて来る事自体は問題ではないけど、一人で複数の女性を囲うにはそれなりの資金が必要になる。そのため貴族や大商人以外では複数の女性を囲うような事はしない。
それでもマルスには4人を養うだけの覚悟があるようだった。
冒険者でそれだけの覚悟をするには大成功を収める必要がある。
実際、実力があってギルドマスターの立場から見ても将来性は有望だから大成功を収めるのは間違いないだろうけど、あの子たちは駆け出しもいいところだ。
まだ、大成功を収めたわけではない。
「けれど、みんないい娘ですし、何よりも息子の事を信頼しています。私の事も本当の母親のようにも思ってくれていますから私も母親としてあの娘たちを受け入れたいと思います」
「それでいいさ。母親として巣立った子供にできる事があるとしたら帰って来られる場所を守る事ぐらいだよ」
「帰って来られる場所……」
あの娘たちの場合、この屋敷がソレに該当するだろうね。
故郷というのは時として色々な場所に赴くことになる冒険者にとって必要不可欠な存在だ。故郷があるだけで『帰る』という目標が残る。
「アタシはメリッサやイリスの事を知って祖母のようにあろうとしながら本当に信頼されることがなかったかもしれない。だから母親であるアンタたちにはあの娘たちが帰って来る場所を守っていて欲しいのさ」
アタシにできる事はほとんどない。
だからこそ母親である彼女たちに託すしかない。
あの子たちの力は異常だ。このままだと今回のように意図せずに面倒な出来事に巻き込まれる事になるのは目に見えている。どうにか平穏無事に過ごせる事を祈るしかない。