第25話 神樹
翌朝、朝食を終えると神樹へ向かう。
朝食の最中に長老の遣いを名乗る人物が現れて神樹見学の許可が下りた。
だが、予想外なことに神樹の前には既に長老が全員揃って待っていた。
「何か用ですか?」
「神樹は私たちエルフにとって神聖な物である。私たちにとって脅威であった魔物を討伐してくれたお礼に許可を出したが、余所者である君の事を完全に信用したわけではない。余計な事をしないように監視させてもらおう」
長老はどうにもエルフ以外との関わりをしたくないらしい。
それでも許可が貰えたことには変わりないので神樹へと近付く。
神樹の周囲には柵が設けられており、簡単に侵入できないようになっているが、1箇所だけ柵のない通れる場所があったのでそこへと向かう。
「その前に、その手をどうにかしてもらおうか?」
「手?」
歩き出した俺たちに長老が注意してきた。
「さっきも言ったように神樹は神聖な物だ。そのように男女で手を繋いだまま近付かないでもらおうか」
「「……」」
俺と手を繋いでいたシルビアとメリッサがサッと離れる。
昨日、エルフの里に帰って来てからというものの隙さえあれば俺の傍にいようとしており、今も家を出てからずっと手を繋いだままだった。
「ちょっとジャイアントモスの毒の影響で人恋しい状態になっているので大目に見てもらえませんか?」
ずっとそんな状態だった理由は毒の影響が完全に抜け切っていないせいだ。
俺1人がジャイアントモスへと駆けた直後から二人の様子がおかしくなったらしく、落ち着きなく視線を彷徨わせていたらしい。そうして人目に付かない家の中に入った瞬間、腕に抱き着いてきた。
曰く、また俺がどこかへ消えていなくなってしまうのではないかと不安に思ってしまったらしい。
アイラとイリスも理由が分かっているらしく、何も言わずに眠ることにした。
俺としても恥ずかしいので離れてほしいところなのだが、彼女たちの不安そうな表情を見ていると毅然として断ることができずにいた。
それにギリギリ消費した魔力も彼女たちが抱き着いたまま眠ってくれたおかげで半分以上回復してくれていたのでお礼も兼ねている。
「さすがに、それは……」
長老としては、やはり許可できないらしい。
仕方ないので離れてもらうことにした。
「これが神樹……」
改めて神樹の前まで近付くと、その異様な大きさが分かる。
離れた場所からだと端まで見ることができたが、目の前からだと全体を見ることができなくなっていた。
だが、感じられるのはそれだけだ。
そもそも俺たちは神気というエネルギーを感知することができない。
エルフにしてもなんとなく魔力とは違うエネルギーを感知することができるという程度の認識でいるだけで神気そのものを感じ取れているわけではないらしい。
だから目の前にある神樹からは何も感じられない。
「触れてみてもいいですか?」
「本当に触れるだけだ。少しでもおかしな事をすれば強硬手段に出る」
「信用ないな」
森の事を考えて大規模な被害が出る魔法を控えるなど気を遣ってあげたというのに信用されていない。
そんな長老を無視して神樹に触れる。
直後、暖かな風が吹き抜ける。
「なんだ?」
俺にはただ風が吹いたようにしか感じられなかった。
しかし、長老たちには風が吹き抜けた事そのものがおかしな事に思えたらしい。
「神樹の近くで風が流れるなど……」
ああ、大樹が風の流れを遮っているから風が吹き抜けることが少ないのか。
「神樹の葉が……」
やがて風に揺らされた神樹の葉が頭上から落ちて来た。
そっと手を伸ばして葉を掴み取る。
☆ ☆ ☆
『初めまして資格者』
意識が一瞬だけ途絶えた、と思った瞬間、目の前の景色が一転して真っ白な何もない空間へと移動させられていた。
目の前には少女が一人。
少女――いや、妹のクリスの姿をした相手は笑顔で俺の前にいる。
「あんたは……神樹の遣いか?」
妹がこんな所にいるはずがない。
となれば目の前にいるのは妹の偽物。
だが、妹の姿をした偽物には夢の世界で既に一度出会っているので驚かない。
『遣い? わたしは神樹そのものです』
「だが、以前に夢の世界で出会った時には『神樹の遣い』だと名乗ったぞ」
『それはおそらく私の神気の一部から作られた紛い物だから「神樹の遣い」だと名乗ったのでしょう。私は正真正銘、神樹に宿った神気から生み出された存在です。この姿は貴方と対話をする為に近しい者の姿を借りているに過ぎません』
夢の世界では、夢の登場人物だった妹をそのまま借りていた。
そのせいか神樹そのものも俺の中にあるイメージでは妹になってしまったらしい。
「妹の姿をしている理由は分かった。それで、俺にどんな用事なんです?」
『今回の一件についてお礼が言いたかったのです』
「お礼?」
『はい。今回、森の中に生み出されてしまった3体の魔物を討伐してくれた事に関してです。あれらは私の力を受けて生み出された存在です』
やっぱり神樹が関係していたか。
しかし、妹の姿を借りているとはいえ、神樹に悪意のような物は感じられず、自らエルフの脅威となる存在を生み出したとは考えられない。
色々と聞きたい事があるが、一つ訂正しておかなければならない。
「俺たちが倒したのは2体だけで、巨大芋虫についてはエルフが討伐した事を忘れないで欲しい」
『もちろんエルフが討伐した事も評価に値します。ですが、エルフだけでは絶対に残り2体の魔物を討伐することができませんでした。あなた方が来てくれなければエルフは壊滅していたことでしょう』
その可能性は十分にあった。
だが、不安にさせてしまうだけなのでエルフには伝えないでほしいところだ。
「あの魔物は、あなたが生み出したのですか?」
俺の疑問に神樹が首を横に振る。
『いいえ、私の力を利用して生み出された魔物ではありますが、私が生み出したわけではありません』
「何がありました?」
尋ねるが、神樹は詳しいことが分からず首を横に振る。
『原因について詳しい事は分かりません。ですが、ある日森を訪れた人間が森の中に巨大な魔石を三つ置いて行きました。その魔石は、森の中に満ちる神気を吸い取り、やがて巨大な魔物へと変貌して行きました』
それが後に芋虫、蜘蛛、蛾の巨大な魔物となった。
巨大魔物が生まれた原因は神気を吸い取る魔石を誰かが置いて行ったかららしい。
「その魔石を置いて行った人物について何か分かりますか?」
『分かりません』
「何か特徴とか」
『私の感覚ではエルフか人かぐらいの違いしか分かりません』
俺たち人間とは全く違う感覚で生きているせいで個人を特定することすら困難らしい。
だが、こうして俺と対話することはできている。
『ですが、一つだけ』
「何か?」
『魔石を置いて行った人物はあなたと同じ神に関連する人物です』
は?
俺が神に関連する人物。
『私があなたを認識することができるのは、あなたが世界を浄化する為に神が作られた私と同質の力を保有している為です』
神樹と似た性質――
「迷宮か!」
『大昔には神樹にも浄化の力を司る事ができる「巫女」という存在がエルフの中にいたのですが、既に世界は浄化の力を必要としないほど浄化されました。あなたからは巫女と似た力を感じます』
つまり、犯人も大災害時に神が地上に残した物の関係者である。
それが迷宮主なのか巫女なのか、それとも全く別の者なのかは分からない。
ただ、迷いの森の中に魔石を置いて行ったという事実から悪意を持って魔物を生み出したのは間違いない。
「そいつは何がしたかったんでしょう?」
『その人物は魔物が生まれるのを見届けると外へと連れ出そうとしましたが、神気の届かない森の外では活動ができなかったらしく、魔物を森へと連れ戻して放置しました。その際に「実験は失敗だ」と言っていました』
「実験、か……」
厄介な存在だ。
実験によって何を得ようとしていたのか全く見えてこない。
もしも巨大魔物を人為的に生み出す為の実験だとしたら普通の冒険者には手の出しようがない。
「これが、神樹の遣いが言っていた『俺の力を世界が必要としている』か……」
対抗できる人物がいるとしたら俺のような迷宮主みたいな存在だ。
「ありがとうございます。おかげで事件の概要が分かりました」
魔石を置いた人物について分からなければ根本的な解決は不可能だが、その人物が関わらなければ巨大魔物が生まれる事はない。
警戒は必要だろうが、その相手についても俺たちでなければ対処は難しい。
『では、最後に私からあなたに感謝の印としてプレゼントがあります。それをどのように使うもあなたの自由です』
真っ白な空間に光が満ちた直後、俺の意識が元の場所に戻る。