第20話 樹上の戦い
「よかった……目を醒ました……」
地面に倒れた俺の顔を覗き込んでいたイリスが俺の胸に倒れ込んでくる。
「おい、どうした!?」
咄嗟に上半身を起こしてイリスの肩を掴む。
「大丈夫……」
意識はあるみたいだが、顔面蒼白で体調が優れない事は明らかだった。
「これは、魔力が枯渇しているみたいだね」
「俺を治療する為に魔力を使い果たしたのか」
収納リングから魔力ポーションを取り出して飲ませる。
イリスの持つ回復スキル――天癒。
使用時に所有していた魔力の全てを消費してしまう代わりに消費量に応じた回復を対象に施すスキル。
イリスが自分の持てるほとんどの魔力を俺の為に使ってくれたおかげで、何らかの方法で夢の世界に捕らえられる状態異常から回復することができた。
その代わりにイリスが魔力枯渇に陥って倒れていた。
「ありがとう。もう、大丈夫」
「無理はするなよ」
回復はしたが、魔力枯渇に陥った影響から意識が朦朧としている。
「状況を教えてくれるか?」
俺の方の体調は万全、とは言い難いものの動き回るのに問題はない。
「あたしも起きたばっかりだから最初から分かっているわけじゃないのよね」
夢から醒めて起きているのはアイラだけ。
倒れこんで来たイリスの向こうにはシルビアとメリッサが俺と同じように寝かされている。
最初から眠らずに起きていたのはイリスだけみたいだ。
「まったく……この結界は何なんだい?」
すぐ傍にはルイーズさんもいる。
ルイーズさんが言ったように俺たちは蒼く輝く光の壁に守られている。
壁の外からは上空から寄せてきた突風が叩き付けられているが、光の壁はものともしない。
「イリスのスキルです」
「ああ、この娘が急に倒れたアンタたちを1箇所に集めてスキルを使う姿を見ていたから、この娘が作った結界だっていうのは分かっているよ」
迷宮結界。
迷宮の壁と同様に非破壊特性を持つ結界を生み出すスキル。
どんな攻撃を受けているのか迷宮結界に阻まれて定かではないが、破壊する為には少なくとも都市を一撃で破壊できるほどの威力がある攻撃を一点に集中させる必要がある。それほどの威力があるとは思えない。
状況から判断するにイリスが助けてくれたのだろうが、説明できるほどの余裕はなさそうだ。
『僕の方から説明させてもらうよ』
いや、もう一人だけ状況を正確に把握している者がいた。
迷宮核だ。
『上空には巨大蛾がいて、毒を含んだ鱗粉を巨大蜘蛛が倒れて気が抜けていたところに振り撒いたんだ。毒を受けた君たちは気付いたら眠っている状況で唯一眠ることがなかったイリスが長年の経験から咄嗟に毒を防いで無事だったルイーズさんの傍に全員を避難させてとりあえず身を守れるよう迷宮結界で守るように僕がアドバイスした』
『助かる』
迷宮核の言葉が聞こえないルイーズさんには分からないだろうけど、俺とアイラには大凡の事情が分かった。
一人だけ無事だったために辛い思いをさせてしまったらしい。
彼女だけが無事だった理由も分かっている。
迷宮守護。
体に異常が起こった時に弾き、守ってくれる。どれだけ強力な状態異常を起こすスキルや魔法であったとしてもイリスには全ての状態異常が通用しない。万全の状態を維持することができるスキル。
イリスのスキルによって一人だけ無事で、全員を守ってくれ、俺まで状態異常から回復してくれた。
『その後で、天癒を使うようにアドバイスしたけど、天癒で治療することができるのはイリスの魔力量だと一人だけになる可能性が高かった。だから何かあってはいけない主の治療を優先させるように言ったんだ』
『いや、助かった』
俺だけは万が一の事があってはいけない。
それでも眷属を見捨てていいというわけではない。
『迷宮結界の効果時間は?』
『あと20秒ぐらい』
迷宮結界は発動時に消費した魔力量によって効果時間が違う。
すぐに天癒を使わなくてはならない事を考えて魔力量を抑えたのだろう。
「ルイーズさんお願いがあります」
「なんだい?」
「もうすぐ、この結界が消えてなくなります。そうしたらアイラと協力して動けない3人を連れて里まで戻って下さい」
「アンタはどうするつもりだい?」
「安全に退避できるだけの時間を稼ぎます」
「なに……?」
戸惑うルイーズさんを置いてドーム状に覆われた結界の天井を跳び上がって擦り抜ける。
迷宮結界は、ありとあらゆる攻撃から守ると同時に展開中は中から出ることができないようになっているのでルイーズさんだけは消えてからでなければ脱出ができないようになっている。ただし、そんな効果も主や眷属には関係ない。俺たちだけは結界をない物としてすり抜けることができる。
『何が、「安全に退避できるだけの時間を稼ぎます」だい?』
樹の幹を蹴って跳び上がり、反対側にあった木をさらに蹴って跳び上がると大樹の上に躍り出て飛行で浮く。
『君は単純に自分の眷属を傷付けられた相手を殴りたいだけだろ』
「分かるか?」
『それなりに長い付き合いだし、眷属を傷付けられてそういう顔をしている主を何人も見てきたからね』
さすがは何千年と生きてきただけある。
「なるほど。迷宮結界に叩き付けられていたのは、風の刃だったのか」
樹の上に出たことでジャイアントモスが何をしているのか分かった。
大きな羽を動かして生み出された風の刃が地面を斬り飛ばしていた。
「しかし、ジャイアントスパイダーもデカいせいでキモかったけど、蛾の姿で10メートルもあるとさらにキモイな」
俺の言葉が聞こえて気を悪くしたわけではないのだろうが、ジャイアントモスが俺に気付いた。
さて、どうするか?
俺としては殴ってやりたいが、毒の鱗粉を振り撒くような体に直接触れるのは危険だ。
そんな事を考えている内にキラキラとした物が流れて来る。
「無駄だ」
おそらく毒なのだろうが、既に毒は効かない。
迷宮魔法によってイリスの持つ迷宮守護を発動させてもらった。
全ての迷宮魔法に適性を持つ俺は、迷宮内にいる魔物と眷属のスキルや魔法を発動させることができる。
それでも眠ってしまったのは、迷宮魔法で迷宮守護を発動させていなかったからだ。スキルとして迷宮守護を持っているイリスは自動で状態異常を無効化させることができるが、俺は迷宮守護を自分で発動させなければ無効化することができない。
「この辺も俺の慢心だな」
最初から毒を振り撒くジャイアントモスの事を警戒していれば魔力の消費を気にすることなく迷宮守護を常に使用していた。
自分たちのステータスの高さを過信してしまった。
「それも通用しない」
毒が通用しないと見るや否や風の刃を飛ばしてくるが、硬化させた腕を振るうと風の刃に触れて誰もいない地面へと落ちて行く。
「風弾」
風を圧縮させて作り出した弾丸がジャイアントモスへと飛んで行く。
しかし、ジャイアントモスが少し体を動かすだけで回避されてしまう。
「迷いの森の特性を忘れていたな」
迷宮守護を使っていても森の影響を受けて感覚を狂わされてしまうらしい。
それを忘れていたのは俺だ。そもそも迷宮守護で迷いの森に適応することができるならイリスが迷うことはない。迷いの森の特性は、状態異常とは違う。
狙いを付ける必要があるような攻撃は回避されてしまう。
「ちょっとぐらいならいいだろ――風槌」
腕を振り下ろすと固められた風が空から落とされる。
「――!」
それを感じ取ったのかジャイアントモスが後ろへ下がると地面から生えていた樹が何十本と圧し潰される。
自分の下で繰り広げられた光景に驚くジャイアントモス。
「避けるなよ。避けたら殴れないだろ」
連続で腕を振り下ろす。
天から落ちて来る風の一撃にジャイアントモスが全力で逃げ出す。
「なに?」
追撃の手を止める。
俺から逃げていたジャイアントモスの姿が透明になって消える。
「毒、風、それに透明化の能力まで持っていたのか」
追うのは難しくないが、今は優先させるべきことがある。
『逃がしてよかったのかい?』
「今は二人の治療の為に魔力を残しておきたい。それに奴はどう足掻いたところで逃げられないんだから落とし前は付けさせてもらうさ」
『怖いね』