第20話 混浴
「ふぅ~」
入浴時間終了後ということで従業員から別の浴場へと案内された。
普段利用している大浴場は、入浴時間終了後のこれから清掃に入るということでサービスの対象にはなっていなかった。
お祖父さんからは『ゆっくりさせたい』という要望が通っていたため数人が入れる小さな浴場へ従業員は案内してくれた。
「こちらでお寛ぎください」
「ありがとうございます」
従業員が脱衣場を後にしたので服を脱いで浴室へと向かう。
「お、おお……!」
そこは塀に囲われた外で、空には月が見えていた。所謂露天風呂というやつで大浴場に比べたら小さいが岩で作られた浴槽があった。
冬空ということで寒いのを我慢しながら温泉に入る。
気持ちいい……
『寝ちゃいそうだね』
「疲れてはいないけど、やっぱり温泉に入ると気が緩むよ」
完全に気が抜けていた。
グリーソン一家の壊滅によって襲撃を警戒する必要がなくなり、警戒に当たらせていたサンドラットも全て迷宮に戻している。
「気持ちいいですね」
「これもパフェと同じくらいの贅沢よね」
「露天風呂もいいですね」
……ん?
突然聞こえて来た女性の声に眠りそうになっていた意識を覚醒させる。
というか誰の声なのかははっきりしている。
「お前たち、何をしているんだよ!」
いつの間にか温泉に入って来ていたシルビア、アイラ、メリッサに向かって怒鳴る。
温泉ということで全員何も身に付けていない。タオルすらないよ。
「わたしたちも温泉に入りに来ただけですが?」
シルビアが「何を当たり前のことを?」とでも言いたげに首を傾げている。
「あたしたちも温泉に入っていいかってアーロンさんに聞いたら二つ返事で了承してくれたわよ」
そりゃ、パーティメンバーだから了承するだろうさ。
このサービスは、グリーソン一家の襲撃に対処してくれたお礼に頂いているサービスだ。襲撃には全員で対処しているから彼女たちにだって入浴する権利はある。
けど、男女が一緒に入るのは問題だろ。
「問題ありません。この温泉は、家族だけで入浴をしたい方にのみ貸し出されている温泉で家族全員が一緒に入浴しても問題がないように混浴でもいいとのことです」
混浴してもいい温泉でしたか。
クソッ、逃げ道を塞がれた。
「というか、どうしてこの話を知っているんだ?」
この温泉に入ることは女性陣には伝えていない。
『それは、全ての話を聞いていた僕が教えたからさ』
「テメェ」
犯人は迷宮核だった。
『せっかく男女で温泉に来ているんだから、混浴ぐらいしないと。3人には個人で楽しめる温泉に入れることは僕の方から伝えさせてもらったよ』
温泉の1つを貸し切れるとなれば乱入してくる可能性があった。
それを避ける為にも温泉に入れることを彼女たちに教えずにいたというのに迷宮核に裏切られてしまった。
そして、この状況になって俺が最も恐れていることは――
「わたしだけ戦闘に参加できなくてストレスが溜まっています。一緒に温泉に入るぐらいいいじゃないですか」
シルビアの暴走だ。
肩が触れ合うぐらいの距離までいつの間にか近付いて来たシルビアが吐息を感じられるほど顔を近付けて赤い顔をしながら言ってきた。
最初は温泉の熱で顔が赤いのかと思ったが違う。
こいつ、酒を飲んでいる!
「おい、シルビアの奴どれだけ酒を飲んでいるんだ」
酒に弱い俺だが、母は酒に強いので晩酌に付き合っている内にシルビアも楽しんで酒を飲むようになった。
そのため、ちょっとの量で酔うことはない。
「あんたが悪いのよ。シルビアがストレスを抱えているのは分かっているのに報告の為にアーロンさんたちと一緒に夕食を食べてシルビアに構わないからやけ酒をしちゃったのよ」
「夕食の間だけで1人でワインを3本も空けていました」
それは、さすがに飲み過ぎだ!
「おい、シルビア」
「なんですか?」
顔は赤いが口調ははっきりしているし、体調を悪くしている様子もない。
俺とは違って本当に羨ましいよ。
そうじゃなくて。
「いいじゃないですか。たまには甘えさせてくださいよ」
お酒に酔ったシルビアはとうとう俺の前に座って背中を完全に俺の胸に預けてしまった。
そうなるとシルビアの柔らかい体の感触がダイレクトに全身に伝わって来る。
ここは、借りている温泉。我慢するしかない。
「どうしたんですか?」
コトと首を傾げるシルビア。
酔って幼児退行しているのか普段と違って仕草が幼い。
「いや、あのね……」
どうにも言い淀む。
その様子を見てニコニコしているアイラとメリッサ。
「とにかく、もう出ようか」
シルビアを退けて温泉から出る。
温泉の熱以外にも耐えられずに結局ゆっくりできなかった。
☆ ☆ ☆
「すいません。馬車に乗せてもらえませんか?」
「構わないが、どうした?」
翌日、アリスターへと帰る馬車の護衛をしながら街道を歩いていたが、先頭を走る馬車に乗っていたお祖父さんやアーロンさんに断ってから馬車に乗せさせてもらう。
行きと違って女性陣には聞かれたくない今後の打ち合わせがあるので先頭の馬車は男性陣だけで使用していた。
「随分と疲れているみたいだが、やっぱりグリーソン一家を壊滅させた強行軍は疲れていたみたいだな」
「そっちじゃないんです」
本当にグリーソン一家の壊滅は片手間で済ませられた。
だから襲撃が原因ではない。
「実は――昨日、襲撃があったんです」
「なに!?」
ウェルスさんとダリルさんが立ち上がって周囲を警戒する。
ああ、『襲撃があった』という言葉だとグリーソン一家の生き残りが報復の為にやってきたと勘違いさせてしまうのか。
「安心して下さい。グリーソン一家の襲撃ではありません」
「では――」
「襲撃者の名前はシルビア、アイラ、メリッサです」
「それって……」
パーティメンバーの3人だ。
その名前で3人は察してくれたらしい。
温泉から出て部屋に戻って来ると当然のように無人の部屋でさっさと眠ることにした。しばらくすると彼女たちも帰って来た気配があったが、気にしないことにして寝ることにした。
しかし、寝ていられない事態が発生した。
彼女たちは部屋に入った瞬間にメリッサが結界魔法で部屋の全てを覆ってしまい空気以外の出入りを封じてしまった。俺が倉庫内から誰も出られないようにした方法を自分なりに真似て俺の逃走を封じた。
「な、何のつもりだ!?」
もちろん眠っていられるような状況ではなかったためベッドから起き上がって部屋の中にいた女性陣を警戒する。
なんというか女性陣の目が虚ろだ。
咄嗟に鑑定を使用して原因が分かった。
「酔っている……」
状態:酩酊が追加されている。
「こんな獣だらけの部屋にいられるか!」
結界が施されているものの壊せば逃れられなくはない。体当たりで破壊するべく壁に向かって走るが――
「逃がしません!」
酔ったシルビアが立ちはだかる。
仕方なく足を止めてしまうとアイラに背中から羽交い絞めにされ、後ろにあったベッドに投げ飛ばされる。
「いやいや、さすがに酔い過ぎじゃないか!」
全員成人しているので普段から酒を飲んで酔うことはあるが、ここまで酷くなったことはない。
『酷いな。彼女たちは単純に酔っているだけだよ。主がいなくなって寂しそうにしていたから宝箱に貯蔵されていたキツイお酒をプレゼントしたんだよ』
「犯人はお前か!」
迷宮核がプレゼントした酒のせいで普段以上に酔っている。
宝箱の中に貯蔵されていた酒だと!?
一体、何千年ものの酒なんだ!?
『じゃ、ここからは覗いたりしないから頑張ってね』
「ちょっと待て!」
普段とは違って気を利かせて迷宮核との接続が切れた。
結界が張られているせいで、どれだけ声を出しても隣の部屋に俺の声が届くことはないので救援も望めない。
結局、襲われたことをお祖父さんたちに説明する。
「それは、なんとも……」
「ご愁傷様」
ウェルスさんとダリルさんが同情してくれる。
「まさか、お前がこんな人間だったとはな」
「どういうことですか?」
「さっきまでお前の異常な人間性について話し合っていたんだ」
「異常な人間性?」
お祖父さんの言葉に首を傾げせざるを得ない。
自分で言っておいてなんだが、迷宮主であること以外は普通だと考えている。
「お前は『敵』と見做した相手には容赦しないだろう」
「それは、そうですよ」
敵を放置すれば、今は大丈夫かもしれないがいずれ俺たちの敵になるかもしれない。そんな危険性のある相手を放置などできない。少なくとも今の俺には母親や兄妹だけでなく、3人の女性も守らなければならない。
「普通は数十人の構成員がいる組織を相手にするなら躊躇するものだ。だが、お前はグリーソン一家が相手だと分かった瞬間に壊滅させる決心をしたな」
「ええ、向こうから命を狙ってきたので今後の安全の為にも必要な措置でした」
「そこだ。お前は必要とあれば相手を殺すことに躊躇しない」
そう言えば初めて人を殺した迷宮の隠し部屋でも何も感じなかった。村長たちへの復讐も自業自得だと気にしていない。今後の安寧の為に必要だからやった。
そこに対して疑問を持ったこともないし、今もおかしいとは感じない。
しかし、そんな俺の行動に対してシルビアたちは何も反対をしないどころか率先して付いて来てくれる。それは少しおかしい。
「だが、そんなお前も私たちと同じだったというわけだ」
「同じ?」
「「妻には頭が上がらない」」
ウェルスさんとダリルさんの声が重なった。
納得した。
「果たして強大な力を持ち、そのような力を行使することに一切の疑問を持たない者が本当に私の孫なのか疑問に思っていたが、お前は『女には勝てない』という人間らしい一面をしっかりと持っているじゃないか」
「そんなことで納得されたくなかったです……」
恥ずかしくて顔を覆った俺のことをウェルスさんとダリルさんが慰めてくれる。
「そもそも俺の相手は3人ですよ。勝てるはずがないじゃないですか」
「だったら、どうして人数を増やしたんだい?」
「最初はそんなつもりじゃなかったんです。ただのパーティメンバーだったんです……」
こんな事態を避けるなら最初を絶対に回避するべきだった。
もう後には退けなくなってしまっているので後悔したところで無意味だ。
「お義父さん。私は無条件で彼の味方をしたくなりました」
「俺も……」
「まあ、何かあったら気軽に相談しに来るといい。祖父としてだけでなく人生の先輩として相談に乗ってあげよう」
「ありがとうございます。護衛に戻りますね」
馬車の扉を開けて飛び降りる。
「私たちは妻が1人だけでよかったですね」
「彼ほどの力があっても3人が相手では勝てないんですから」
「頑張れ、としか言いようがないな」
馬車の中からそんな声が聞こえてくる。
後に聞いた話だと商会の主なのに奥さんが1人しかおらず愛人もいないのは、世間体を気にしてのものではなく単純に奥さんが怖かったかららしい。
この人たちで本当にアルケイン商会は大丈夫なんだろうか?