第9話 宴会
「今日は立場など関係ない。使用人であっても大いに騒いで楽しんでくれたまえ。では――乾杯!」
『乾杯』
祖父の音頭に従って宴会場にいた全員が持っていたコップを掲げる。
大人たちには酒が注がれ、未成年の子供たちにはジュースが注がれていた。ちなみに俺は風呂場で飲んだ酒で限界が訪れてしまったためジュースを頂いている。恥ずかしい。
周囲にはたくさんの料理が置かれたテーブルがあり、各々が好きな料理を食べられるようになっていた。
「おう、飲んでるか!?」
顔を赤くしながら近付いて来たのはフレディさんだ。
フレディさんも酒はあまり強い方ではないらしく、半分ほど飲んだだけで顔が赤くなっている。
「いえ、俺は酒に強くないのでジュースです……」
「おいおい冒険者がそんなんでどうする?」
ジュースがまだ入っているにもかかわらず酔っているのか俺の持っているコップに近くのテーブルに置いてあった瓶を掴んで酒を注ごうとしていた。
咄嗟にコップを隠してガードする。
「止めて下さい。これ以上飲んだら本当に倒れてしまいます」
「お、おう……」
殺気を出しながら言うと納得してくれたみたいだ。
今は平気な顔をしていられるが、風呂場を出た後が大変だった。数十分の間トイレに籠ることになり、クラクラする頭を必死に耐えていた。ようやく出てくることができたのだから美味しい食事ぐらいゆっくりと楽しみたい。
「それよりもお前に礼が言いたかったんだ」
「礼?」
「今回の旅行だが、冒険者の分まで金を出すなんて奮発し過ぎだ。それと言うのも自分の孫が冒険者だからだろ。俺たちが一生に一度食えるかどうか分からない飯を食えるのも孫のお前さんが冒険者だからだ。だから、ありがとな」
それだけ言うと満足したのか私兵のいる方へと近付いて行く。
絡まれた兵士は酔ったフレディさんのことを嫌そうに見ていたが、離れてくれないと自分も酒を飲み始めていた。
フレディさんの言っていたことは事実だが、俺が意図したわけではない。
そのためお礼を言われても素直に受け止めることができなかった。
「シルビアたちは……伯母さんたちに囲まれているな」
彼女たちを気に入った伯母2人が談笑しており、触れようとするのを母が阻止していた。喧嘩のようなことをしているものの険悪な様子ではない。あそこは、しばらく放置で問題ないだろう。
俺は、あそこに加わりたくない。
何気なく宴会場に視線を彷徨わせていると1人の女性が目に入った。
その女性は、アリスターから付いて来たアルケイン家の使用人の1人で、シルビアたちの姿を見て申し訳なさそうにしていた。
「どうしました?」
「あ、マルスさん……」
「彼女たちのことなら気にしてなくていいですよ」
「けど、私も同じような立場ですから」
「でも名乗り出るつもりがないのなら気にしない方がいいですよアリアンナさん」
アリアンナさんは、1年近く前から兄と付き合っている女性だ。
2人ともアルケイン商会という繋がりが自分たちにあることを知らずに付き合い、最近になってその事実を知ったために戸惑っていた。しかも、似たような立場であるシルビアたちが可愛がられている姿を見れば戸惑ってしまう。なにせ彼女はアルケイン家に仕える使用人の立場だ。シルビアたちとは少し事情が違う。
「あら、浮気?」
その言葉に2人とも思わず振り向いてしまう。
俺は誰かが近付いて来たことには気付いていたが予期していなかった質問に驚いてしまい、アリアンナさんは声を掛けてきた相手に驚いてしまった。
そこには60代の肩あたりまで揃えた金髪の女性がいた。
「お、大奥様!?」
「あら、さっき主人が言ったように今日は使用人とかの立場を気にする必要はないわよ。私が近くにいるからと言って緊張する必要はないわよ」
「はい!」
注意されてもアリアンナさんは緊張したままだ。
なにせ自分が仕えている屋敷で一番力を持っている人物が目の前にいるのだから仕方ない。
「あなたがマルスね」
「初めまして。冒険者の――」
そこまで言ったところで気付いた。
彼女に対して冒険者と名乗ることは適切ではない。
「あなたの孫のマルスです。お祖母さん」
彼女こそ俺の祖父であるアーロンの妻――ミシェーラさんだ。
「あなたにはしっかりとお礼を言いたいと思っていたの。2日目の日に魔物を一掃してくれてありがとう。あなたのような孫がいてくれて私は誇らしいわ」
「いえ、護衛として当然のことをしたまでです」
「それでもよ」
そう言って優しく微笑んでいた。
祖父母はいないと思っていただけにそういう顔をされるとどういう反応していいのかが分からない。
「それで、あなたがもう1人の孫の嫁になるアリアンナね」
「いえ、まだ嫁になると決まったわけでは……」
「大丈夫よ。縁戚関係になったからと言って何かが変わるわけでもない。今まで通りに仕事をしてもいいし、相手は騎士なんだから家庭に入ってもいいのよ」
「はぁ……」
急に将来のことを言われてアリアンナさんは困っているみたいだ。
というか何でアリアンナさんのことを知っているんだ?
「アリアンナさんが兄の彼女だってよく知っていましたね」
「さっき女湯で私の娘たちが騒いでいる中、私も一緒にいたんだけど、その時にミレーヌが長男の彼女を知っているっていう話になってね」
「え……」
兄からは特に母には知られないようにと言われていた。
兄も家ではアリアンナさんのことは話題にしないよう注意をしていたり、休日が重なった時にデートする時も母の目が届かない場所でしていたりしていたらしい。
というのも最初は恥ずかしいからという理由だったが、シルビアたちを可愛がる母の話を聞いてアリアンナさんが少し委縮してしまったらしい。彼女たちに比べて自分は平凡だから、と遠慮してしまっていた。
それなのに知られてしまっていた。
「あなたもこの機会に話をしてきたら、どう?」
「無理です」
アリアンナさんの視線の先には伯母たちと談笑するアイラとメリッサの姿があった。
「あれ、シルビアさんの姿が見当たりませんね」
会場内を探すもののシルビアの姿は見当たらない。
だが、すぐに会場の扉を開けて戻って来ると伯母たちのいる方へと向かって行った。
「たぶんトイレか何かでしょう」
シルビアが戻って来ると今度はアイラが会場を出て行った。
「それで、あなたは私の孫とどういった関係なの?」
「彼女ではあります。その……彼には街で柄の悪い冒険者に絡まれていたところを助けてもらいました」
兄は街の治安を守る騎士として当然の仕事をしただけだと言っていた。
しかし、偶然助けたアリアンナさんに一目惚れしてしまったらしく、しばらくは友人として過ごしている内に告白してしまったらしい。
「どうやら私の孫は2人ともかっこいいらしいわね」
兄とアリアンナさんの馴れ初めを聞いて祖母は上機嫌になっていた。
「さて、それじゃあ行きましょうか」
祖母が俺の手を掴んで叔母たちのいる方へと連れて行こうとしていた。
「せっかく孫と孫の嫁がいるんだから楽しく話でも聞かせてちょうだい」
「い、いや……」
全力で抵抗すれば逃げることは可能だが、相手は高齢の祖母だ。そんな人を相手に全力など出せるはずがなく、伯母たちのいる場所へと連れて行かれる。
そこではシルビアとメリッサが叔母から色々と質問攻めに会って疲れた表情をしていた。ここには疲れを取る為の旅行に来ているんだけどな。
「あなたは加わる勇気がないならそこで見ていなさい」
何か言いたそうな表情をしているアリアンナさんに取り敢えず頷いておく。
勇気もないのに自分よりも立場が上の人間を相手に渡り合えるはずもない。
「マルスを連れて来たわよ」
「ありがとう母さん。さて、あなたたちの旦那も来たことだし、馴れ初めでも聞かせてもらいましょうか」
「いいわね」
ミランダさんの提案に興味を示したミーシャさんが乗った。
その話題には同じ女として興味を示さずにはいられなかったのか彼女たちの娘も聞きたそうにしていた。そんな表情を向けられてはシルビアに断ることなどできるはずもなかった。
「ええと――」
仕方なくシルビアが王都で出会った時の出来事を迷宮に関することを省いて語り始める。話を聞いていた人たちは、シルビアの話を聞きながら「大変だったね」と慰めていた。
語り終える頃にはアイラも戻って来たので、今度はアイラの話を酒の肴にして騒ぎ始めていた。代わりに今度はメリッサが宴会場を後にする。
その間、俺は女性の中心に置かれて羞恥心から顔を赤くしていた。
こういうことになりそうだったから彼女たちを連れて来たくなかったんだよ。
従姉や伯母だけでなく、祖母まで俺たちの馴れ初めをニヤニヤしながら聞いていた。まあ、親に紹介されて結婚までした彼女たちにとっては格好の標的となる話題だったんだろう。
「ごめんなさい。ちょっとトイレ……」
そう言って、戻って来たメリッサと入れ替わりに宴会場を後にするしか俺にはできなかった。メリッサとの馴れ初めまで聞いていられる余裕はない。