第7話 男湯
「ふぅ~」
湯に浸かると口から息が零れる。
迷宮主になって異常なステータスを手に入れたが、やはり数日間の馬車での旅は色々と疲労を蓄積させていたらしい。
俺の家族は、俺以外は女性なので今浴場には俺しかいない。
そこへ近付いてくる気配を感じた。
「失礼する」
入って来たのは祖父だ。
「おじいさん」
「どうだ? ここの湯は?」
「ええ、疲れが吹き飛んで行くようですし、心が落ち着きます」
「そうか、そうか」
何か面白かったのか穏やかに笑い出した。
いや、実際に落ち着くのは本当だ。温泉の湯そのものもそうだが、壁にも落ち着いた風景画が描かれており、客を寛がせる為の施しがいくつも見られた。
「気に入ってくれたようなら何よりだよ」
新たな人物が浴場に入って来た。
その人は、黒髪にくすんだ茶色い瞳をしており、目元が垂れ下がっていたせいでのほほんとしたイメージを抱かせる40代ぐらいの男性だ。
「初めましてアルケイン商会現当主のウェルスだ」
「あ、初めまして冒険者のマルスです」
どうにも商会の当主とは思えない穏やかな人物だ。
「もっと気楽にしてくれていいよ。ここまで来てしまえば懇意にしている冒険者と商会の当主という立場ではなく、甥と伯父として話をしようじゃないか」
そうだよな。伯母の旦那さんということは、この人は俺の伯父みたいな感じになるのか。
彼は、母の姉――長女の旦那さんで現在はアルケイン商会の当主として運営に携わっている。聞いた話では元々は、商人として優秀な人だったらしいのだが、そこを祖父がスカウトしたことで縁ができたらしい。
「まったく……義兄さんは、これでもやり手の商会主なんだよ」
もう1人入って来た人物がいる。
背の高い金髪の男性なのだが、鍛えられているわけでもないので細く長い体をした男性だ。
広い浴槽に4人の男が湯に浸かる。
「僕の名前はダリル。血の繋がりはないけど、君の伯父になるみたいだね」
ダリルさんは、次女の旦那さんで俺と同じぐらいの齢の頃からアルケイン商会で働いており、元々は別の街にある商会主の次男だったらしい。次男なので、幼い頃から教育はされており、優秀だったためゆくゆくは自分の娘を結婚させることを目的に祖父が引き込んだみたいだ。
「今回はこのような旅行に招待していただいてありがとうございます。費用の方もそうですけど、この宿に泊まるのってただお金を払えばいいというわけではないですよね」
高級旅館と知られる『雅亭』。
基本的に旅人などの一見のお客様は宿泊をお断りするようにしており、貴族や商人の中でも信用の置ける者しか宿泊することができない。
今回、宿泊することができたのもアルケイン商会という辺境にある大きな商会の当主から招待されたからである。
「気にしなくていい。今頃、私たちの妻たちが久しぶりに自分の娘、妹と楽しく過ごしているはずだ」
現在、シルビアたち女性陣は壁1枚隔てた先にある場所で俺と同じように湯船に浸かっている。
そして、祖父たちが入って来たということは彼らの家族も同じように浴場に入っている可能性が高い。
そういえば……?
「フレディさんとか護衛の人たちはどうしたんですかね?」
「ああ、他の連中なら『冒険者である自分たちが依頼人と一緒に湯に浸かるのは失礼に値するから後でゆっくりと入らせてもらう』と言っていたから今は入って来ない」
それって同じ冒険者である俺が一緒に入っているのはマズくないか?
「君は大丈夫だよ。さっきも言ったように今は『伯父と甥』の関係なんだから冒険者としてのマナーなんて気にする必要がないよ」
「そうですか……」
ウェルスさんからそう言ってもらえて安心した。
すると、俺の様子を見ていたダリルさんが小さく笑い出した。
「すまない。シルバーファングのような凶暴な魔物を倒すほどの冒険者だからどのような人物なのかと警戒していたのだが、君は至って普通の15歳の少年だね」
「そうですか?」
「冒険者としてマナーを色々と気にしているみたいだし、それだけの力がありながら力を誇示したり、驕ったりするようなことがない。それは君の美徳だよ」
俺としては自分では本当に駆け出しだと思っているから先輩から色々と学ぼうと謙虚にしている。
それがダリルさんには、そのように見えたらしい。
「君にはお礼を言っておきたかったんだ。君が納品してくれたシルバーファングの素材はアルケイン商会に予想以上の利益をもたらしてくれた。あらためて礼を言うよ」
「いえ、きちんと対価をもらって売り払いましたから気にしないで下さい。それに肉の方は半分ぐらいしかお渡しできなかったんですけど」
シルバーファングはかなりの巨体だったため肉が多めに手に入ったが、それでも自分たちで半分ほど手に取ってしまうほど美味しかった。
「たしかに肉や牙、毛皮といった素材によって得た利益は大きい。しかし、それ以上にシルバーファングすら倒せる冒険者と繋がりを得ることができた商会というのが大きい。商売において信用は大切だ。アルケイン商会では、このような商品すらも扱うことができます、と知らしめられるのは商売で優位に立つには重要なことだよ」
よほど嬉しかったのかシルバーファングがどのように売れて行ったのか語って行くウェルスさん。
大切な取引だったため当主であるウェルスさん自ら商談に臨んだみたいだ。
「私も久しぶりに楽しい商談をさせてもらったよ」
「そう言ってもらえてよかったです」
「よければ今度は夏に出てくる珍しい魔物を相手にしないかい? 討伐できるのはSランクパーティぐらいだから諦めようと思っていたんだけど、君たちなら討伐も不可能ではないと思っている。もちろん高値で取引させてもらうよ」
お金を必要としている冒険者なら乗っていたかもしれない商談。
しかし、俺は迷宮の増強に資金を必要としていたとしても生活にそこまでの資金は必要としていない。それに強すぎる力は恐れられる可能性がある。
「いえ、今回シルバーファングを討伐しようと思ったのはシルバーファングを放置すると街に被害が出てしまう可能性があったからです。自分の住んでいる屋敷が近くにあったことも影響して討伐することを決めました。襲われる可能性がなかった場合には冬が過ぎ去るのをまっていたと思います。なので、街に危険がないのならその魔物は放置しようかと思います」
「そうかい……」
俺の言葉を受けてウェルスさんが落ち込んでしまった。
「そこまでにしろウェルス。今ここにいるのは冒険者マルスではなく、甥のマルスだ。彼の好きなようにさせろ」
「分かりましたお義父さん」
そこまで期待していなかったのかあっさりと復活していた。
「話もまとまったところで、こんな物を用意してみたので飲んでみませんか?」
ダリルさんが浴室の入口に置いておいたトレイを持ってきた。
トレイの上には小さなグラスが4つ置かれており、既にお酒が入っていた。
「さっきラウンジで聞いたところ旅館ではこのようなサービスを行っているとのことだったので注文しておきました」
「おお、気が利くな」
祖父がお酒の入ったグラスを受け取って上機嫌になっていた。
俺もダリルさんから受け取る。1杯ぐらいなら大丈夫だろう。
「うっ……!」
しかし、致命的なことに今が入浴中だということを忘れていた。
血行のいい状態で飲酒をしたせいで酔いが体中を巡り、一気に体調不良へと陥ってしまった。結果……
「……失礼します」
浴場を出なければならない体調になってしまった。
☆ ☆ ☆
「どうやらお酒は苦手だったみたいですね」
「あまり無理はさせるな」
「申し訳ございません」
ダリルが軽い調子で答える。
こいつは、いつもこうだ。
「それよりもウェルス。お前はあの子を見てどう思った?」
「まず、気になったのは彼の体ですね」
「ほう?」
「私はAランク冒険者というものを間近で見たことがありますが、そんな人物と比べてマルス君の体はあまりに普通過ぎる」
前衛として鍛え上げられているわけでもなければ、後衛として体から溢れるほどの魔力を持っているようにも思えない。
戦闘能力のない商人だが、そのおかげで人を見る目はあるつもりだった。
どちらかと言えば商人であるダリルに近い体付きをしていた。
「だが、現にシルバーファングは討伐されている。2日目のパーティメンバーが魔物の群れを一掃していることから彼女たちが強いことは容易に想像できます。そうなると彼女たちが強いだけで指揮能力に優れているのかもしれ……」
「残念だが、それはないな」
見当違いの予想をしていた義息子の言葉を遮る。
「あの子は、パーティを組む前から強かった」
最近ではパーティでシルバーファングを討伐した話ばかり持ち上がるが、夏頃にたった1人で魔物1000体を討伐している。
そのことを考えれば弱いということはありえない。
「そうなるとスキルや装備品が強力だった可能性ですね」
たしかにそれもあり得る。
というよりもあのパーティが装備している武具は全てが超一級品と呼んでもいいほど強力な物ばかりだった。商人として長年生きてきた私には見ただけでそれが分かる。
だからこそ、あの子たちが弱いなどと考えられない。
「まだまだだな。一流の装備品なら手に入れただけで強くなれるかもしれないが、彼らが持っていた武器は全て超一級品だ。そんな強力な武器、手に入れるだけではなく使いこなせなければ本当の力を発揮してくれることはない」
そして、あの武器を使ってシルバーファングを討伐されている以上、超一級品の装備を使いこなせているのだろう。
「ですが、彼が強そうには見えませんね」
「世の中にはステータスに現れない強さというものがある。だが、私の目から見て彼の体にはそういった強さが隠されているように見えなかった」
温泉という裸にならざるを得ない状況のおかげで体を直に見ることができた。
その結果、考えていた可能性も潰えた。
もしかしたら、逆なのかもしれない。
(あの子は、まだまだ発展途上の途中で体を鍛えれば鍛えるほどステータスが伸びる?)
その場合、いったいどれほどの力を手に入れることになるのか?
「ま、優秀な冒険者と繋がりができたということでいいだろ」
「珍しいですね。いつものお義父さんなら是が非でも強さの秘密を探ろうとするのに」
「たしかに私も相手がただの冒険者だったならそうしていたかもしれんが、相手は初めてできた男の子の子孫だ」
女の子の孫よりも素直そうだった。
どうにも孫には甘い自分としては問い詰めることができそうにない。
「そうですね。私も甥っ子には強く出れそうにありません」
彼が対処しなければならない祖母や伯母のことを思うと旦那の1人として苦笑せずにはいられなかった。