第1話 旅行提案
「温泉に行こうと思います」
夕食時。
食事の為にダイニングへ集まった屋敷に住んでいる全員が見えるように立ってこれからの予定を言う。
「温泉、ですか?」
シルビアが首を傾げていた。
彼女の中で『温泉』という言葉から屋敷にある風呂が思い浮かべられているのだろうが、規模が全く違う。まあ、屋敷に来るまでまともな浴場にも入ったことのないシルビアでは仕方ない。
「アリスターから西に進んだ場所に火山があるんだけど、そこに温泉地として有名な街があるんだ」
「フェルエスよね」
行ったことがあるのかアイラが街の名前を答えた。
「そうだ」
王都から真っ直ぐ南下すれば着ける立地もあって街までの道はきちんと舗装されている。
「というわけで温泉に行きたい人」
「「「はい!」」」
クリスとリアーナちゃんの妹2人が元気よく手を挙げるのはいい。
アイラは妹2人に混じって手を挙げるなよ。
「わたしも行きたいです」
温泉に興味を持ったシルビアも手を挙げる。
「フェルエスの話は聞いたことがありますが、実際に行ったことがないので興味がありますね」
メリッサも同行を希望。
「オリビアさんはどうしますか?」
「私も行っていいのですか!?」
「当然ですよ」
シルビアの母である彼女も家族みたいなものだ。
「なら、私だけ留守番というわけにはいかないわね」
母も同行を希望した。
「みんな、いいよな。長期の休暇が自由に取れて」
騎士である兄には長期の休暇が取れるような余裕はない。
ただし、2日ぐらいならどうにか都合が付くだろう。
「たしかに2日ぐらいならどうにかなると思うが、フェルエスまでは馬車で5日掛かる距離なんだから2日休暇を貰ったぐらいじゃ途中までしか行けないぞ」
移動に10日、温泉に2日いる予定でいる。
とてもではないが、長期の休暇を取らなければ行くことのできない予定である。
普通なら……
「移動に関しては問題ない。魔法で送り迎えすれば目的地までは一瞬で屋敷との間を移動することができる」
俺だけでもいいから目的地へと向かい、『迷宮操作:召喚』で眷属の誰かを呼べば触れている相手も一瞬で俺の傍まで移動することが可能だ。
ただし、召喚について知られるわけにはいかないので兄以外の参加者には普通に馬車で向かってもらい、後から誰かを屋敷に戻して兄だけを呼ぶ。1人ぐらい知らない人間が紛れ込んでいたとしてもバレないだろう。
「おまえは、まったく……」
「いや、非常識なことをしている自覚はあるので」
長距離を一瞬で移動することができる魔法道具は存在する。
しかし、非常に高価な物で使い捨てであるため国が管理しているその魔法道具は国の一大事に関わるような非常事態にしか使われることはない。
それぐらいの対価を支払われなければできない長距離転移を気軽に行う。
「じゃあ、全員参加ってことでいいかな?」
『はい』
こうして屋敷にいる全員の参加が決まった。
ガエリオさんたち夫婦も同じ方法でいいかな?
「ところで、なぜ突然温泉に行こうなどと?」
2人のことについて考えていたら彼らの娘であるメリッサが尋ねてきた。
「実は、単に旅行へ行こうとしているんじゃなくて護衛依頼を引き受けたんだよ。それも家族全員で温泉へ行きましょうっていう」
「それって……」
護衛の家族まで連れていく旅行があるはずがない。
護衛依頼は表向きの用件でしかない。俺たちも招待客の1人だ。
「父さんは――」
母が祖父に対して怒っていた。
たしかに依頼主は祖父だが、発案者は祖母だ。
とりあえず今回計画している旅行がただの旅行ではなく、少々面倒な旅行だということは説明しなくてはならない。特にシルビアたち3人には……。
☆ ☆ ☆
「それで、今日はどのような用件ですか?」
シルバーファングを倒してから2カ月。
年も明けて2月になったある日。
祖父であるアーロン・アルケインに呼ばれて最初に訪れた時に食事をした客室ではなく、祖父の執務室へとやって来ていた。
商会で必要としている魔物の素材や近くでは迷宮でしか手に入らない素材の納品を頼まれたりしており、前商会主と優秀な冒険者としてそれなりの関係を築けていると思っている。
「今回は護衛依頼を頼もうと思っている」
「人ですか?」
「そうだ。2週間ほど家族を連れて旅行に行こうと思うので護衛に付いてくれる冒険者を求めておる」
「どこまで行かれるんですか?」
「フェルエスという名前の街なのだが、聞き覚えはあるかな?」
「あります」
フェルエス――温泉街として有名な街だ。
「そこまでの護衛ですか?」
「だが、それは表向きの理由でしかない」
表向き、そう言われて思い当たるのは母のことだ。
「その旅行に母を誘うつもりですか?」
「ああ。私は君を通じてミレーヌと会うことができるが、妻はさすがにそのようにはいかない」
「そうですか?」
そこまで深刻に考える必要があるのか?
たしかに貴族との縁談を蹴ったことが原因で勘当された娘が20年以上経っているとはいえ戻って来たのは相手方にとっては許せないことかもしれない。
しかし、家族が少し再会するぐらいは許されてもいいのではないだろうか。
「そこで、懇意にしている冒険者を勧誘する為にその家族まで巻き込んでの歓談を行いたいと妻が言ってきた」
祖父の妻っていうことは、俺の祖母っていうことか。
会ったこともない人だから想像しにくいな。
「それにミレーヌの姉2人も久しぶりに妹と会いたいと言っている」
会ったことはないが、商会の近くにある邸宅で生活していることは聞いて知っている。
母からは祖母や伯母についての話を聞いたことはなかった。会いたいとも会いたくないとも言っていない。おそらく自分から出て行った手前、自分からは会いたいと言い出しにくいのだろう。
ならば、クリスがしたように子供である俺がなんとかするべきだ。
「その旅行の護衛依頼引き受けたいと思います」
「ありがとう。他にも専属契約を結んでいる冒険者が同行する予定になっているから安心してくれるといい」
なら、本当に俺たちは招待客みたいな感じになるな。
個人的な依頼を受けた時に専属契約を結んでいる冒険者がいることは話に聞いている。興味があったので名前を聞いてどんな人たちなのかギルドで調べてみたが、俺たちと同じBランク冒険者パーティで既に全盛期を過ぎているため専属契約を結んでのんびりと依頼をして稼いでいるとのことだ。それ以上の詳しい情報は、個人情報のため教えられないと言われた。
そうなると4人も必要ないかもしれない。個人的に受けた依頼だし、護衛の人数も十分なら俺1人だけでいいかもしれない。冬ということもあって出現する魔物の数も少なくなっている。商会主の旅行となれば安全第一に行われるはずだ。
「おっと、それから依頼の方はパーティ全員で受けてくれると助かる」
なにか顔に出ていたのか祖父に止められた。
「4人全員で、ですか?」
「そうだ。ミレーヌのこともそうだが、会ったことのない孫にも興味があるとのことだ」
なら、クリスに兄のクライスも連れていくべきだな。
「それならパーティメンバーは必要ないのでは?」
シルビアたちは祖母とは直接の関わり合いはない。
「何を言っている。彼女たちはお前の嫁だろ。姑という立場に憧れているらしい女どもが嫁に会ってみたいとのことだ。孫の嫁なら家族も同然とのことだ」
ちょっと、誰のことを言っているのか分からないです。