第21話 象徴のドラゴン
人間形態のレドラスが街の中心部に向かって走る。
向かう先にあるのは街で最も大きな建物である庁舎だ。庁舎の前まで辿り着くと軽々と壁を駆け上がり、屋上から空へと跳び上がる。
人間の体では空へ飛び立つことはできない。
だからレドラスは【人化】を解除し、人の姿を捨ててドラゴンの姿に戻る。
喧騒に包まれていた街。そんな状況にあっても上空に出現したドラゴンの威容は伝わり、何人かは争いを止めて空を見上げていた。
『聞け、我が子らよ』
上空から威厳のある声が放たれ、街の全体へ伝わる。
レドラスの口から放たれた声が直接届いているわけではなく、ツァリスの魔法によって『言葉』が民衆の耳に届いていた。
「我が子、か」
「火竜はこの島で最も長く生きている。僕たちのことを『子』と呼んでもおかしくはない。いや、熱心に火竜を信仰している一部の人間にとっては子供だと認めてくれた方が嬉しいのかな」
400年ほど前からレドラスはマウリアにいる。
マウリアの環境はエルフにとって受け入れ難いもので、他の長命種も数が少ないためレドラスが最年長だと考えて問題ない。
近くにいるアルハンドは勝手に納得していた。
少し前まで立ち上がるのも辛そうだったが、今は俺たちが何かやろうとしているのを察して近くに来ていた。
「で、これから何をするつもりなんだ?」
「見ていれば分かる」
神気の影響を受けたアルハンドには生半可な方法では逃れないと分かっていた。
だからこそ、どうやって人々をペレの呪縛から解放するつもりでいるのか気になるんだろう。
俺も本当にうまくいくのか気になって仕方ない。
『私は悲しい。辛いことがあって嘆き、悲しみ、憎んだ。その気持ちが魔物へ向いて行動を起こしてしまうのは仕方ないだろう』
声が届けられたことで全員の手が止まる。
全員へ声が行き届くよう敢えてゆっくり喋っていた。
『だが、今の姿は許せない。周りを見てみろ』
火竜に言われて人々が周囲を見る。
そこに魔物の姿などなく、普段なら仲良く談笑していてもおかしくない家族や友の姿があった。
なぜ、憎しみをぶつけてしまったのか。
そんな疑問に囚われてしまう。
『憎しみだけで動いてはならない。感情から行動を起こしてしまったとしても、感情で行動を起こすような真似をしてはいけない』
魔物への憎しみから魔物に対して行動を起こす。
憎しみから行動を起こす。そこに原因や正当性など存在せず、目につく端から喧嘩を吹っ掛けるような真似をしてしまう。
指摘されて人々は冷静さを取り戻し、手にしていた武器を落とした。
これで終わらせては一時的な対処でしかない。街にはペレが撒き散らした神気が残ったままだし、除去する術を俺たちは持たない。完全に対処するには、神気に耐えられるようにしなければならない。
『辛いことはあった。恐怖し、逃げたいと思った者がいるかもしれない』
実際には『憎しみ』だけが肥大されているため『逃げたい』などと思った者はいない。そんな風に考えるよりも、目の前にいる相手に襲い掛かる方が重要。そのように刷り込まれていた。
『だが、臆する必要はない。お前たちは守護者である私がついている。常に見守り、どんな困難からも守り続ける。こんな苦難に負けてはならない』
レドラスが翼を広げドラゴンの体を見せつける。
『私は常にこの島と共にある。人々よ、私と共に在れ』
『うおおおぉぉぉぉぉ!』
割れんばかりの雄叫びがあちこちから湧き上がる。
その後、レドラスの体が炎に包まれて上空から消える。
「行こうか」
隣にいるアルハンドに言う。
☆ ☆ ☆
庁舎の屋上。
人目につかない場所で人間の体を丸めたレドラスが沈み込んでいた。
「これが、さっきのドラゴンか?」
あまりの変わり様にアルハンドが首を傾げていた。
「いつまで落ち込んでいるつもりなんだ?」
「……あんなこと、言うつもりなかった」
「は?」
レドラスの言葉にアルハンドが困惑する。
あんなこと、というのは魔法を使って街にいる全員に届けられた言葉のことだ。
「協力するって言っただろ」
「母ちゃん……オレはもっと戦いとかを考えていたんだよ。それが、どうしてこんなことを……」
レドラスも困惑していた。
彼が事前に説明されていたのは、民衆を安心させる為にもドラゴンの姿を見せ、そこにツァリスの精神魔法でペレの影響を打ち消す、というものだった。
実際、やったことに変わりはない。
その詳しい方法をレドラスが聞いていなかっただけの話だ。
「相手は神だよ。生半可な魔法で対抗したところで勝ち目なんてあるはずがないだろ」
人間やドラゴンに使える精神魔法の中で最上位の魔法だったとしても、神の力が相手では『生半可な魔法』になってしまう。
どんな魔法も普通に使用したのでは神の力に対抗できない。
「ワタシが開発したオリジナルの魔法でね。指定した存在の姿と言葉を相手の心に深く焼き付けることができる。そんな効果を街全体へ及ぼせるよう強化したものだよ」
「それって……わたしのスキル?」
ノエルは舞を見せることでティシュア様の存在を相手に焼き付けることができる。舞を見せる必要があるため広範囲に及ぼすには向かない力だったが、その欠点を補う為にツァリスなりに改良していた。
しかも対象はティシュア様に限らない。それでレドラスの存在を街にいる全ての人に焼き付けた。
「神の力で暴走させられた人の心をどうにかするなら、同じように神の力が必要だよ。ただし縁もゆかりもない神を連れて来たところで効果は薄いだろうね」
いないなら作り出せばいい。
都合のいいことにこの場には、神ではないが崇められてきた存在がいる。
「レドラスの奴を神に見立てて崇めさせた」
そうやって人々の意識を集中させた。
そこに『守護者』という存在を強調することで、自分たちは守られている大丈夫だ、という意識を植え付けた。
不安から暴走した憎しみ。
守られていることによる安心感。
両者が衝突した時、勝利したのは安心感だった。力そのものはペレの方が強い。けれども影響だけを及ぼして姿を見せない神よりも、身近にいて『守る』と宣言した姿を見せる魔物を人々は信じた。ただ、それだけのことだった。
「神が強大な力を持っているのは、信仰なんていうのを力にしているからだ。同じことをしてやれば権能までは得られなくても、精神魔法を神に対抗できるほど効果があるようにすることができるんだよ」
今も街の人々には憎しみによる暴力衝動が起ころうとしていた。
けれども、守ってくれる存在がいるおかげで感情に身を任せて行動を起こすことが馬鹿らしく思えるようになってしまった。
レドラスの存在が柱となってペレの干渉を抑えている。
「ワタシにできるのはここまでで、根本的な解決には至っていない」
「分かっている」
事態を完全に解決するには、街からペレの神気を完全に取り除く必要がある。だが、そのためには時間に解決させるかペレを倒す必要がある。
確実なのは、ペレの討伐だ。
『――だから、やりたくなかったんだ』
屋上の反対側で熱が高まるのを感知した。
全員で声のした方を向けば予想したとおり、真っ赤な踊り子の恰好をした女神がいた。
ここにいるのも本体ではない。力を凝縮させた幻影でしかなく、凝縮させた力は人々を惑わす為に撒いた神気のおかげでたくさんある。
「本当に思い通りにならない連中だね」
7月23日(土)
異世界コレクターのコミカライズ第2巻が発売されます。
ぜひ手に取ってみてください。




