第25話 世界の繋がりと歪み
妖精の移住から3日。
妖精郷を再び訪れると、誰もいなくなったことで風に揺れる葉の音だけが耳に届けられる。
「静かなもんだな」
元々、妖精郷には妖精を除けば最低限の生物しかいない。しかも、神樹のおかげで生活していた場所へ近付くこともなかった。
「この状況を作り出したお前が言うのか」
どこかから飛んできたマガトが俺たちの前に着地する。
アイラとイリスが一応は剣に手を掛ける。ただ、二人ともマガトに敵意がないことが分かっているから戦う気にはなっていない。
「随分と言葉が流暢になってきたじゃないか」
「所詮は母の意思に従って戦うだけの存在だった。そんな者にとって感情など不要。だから喋る知性を手に入れても満足に言葉を紡ぐことができなかった」
だが、マガトは神樹の一部でありながら特別な個体として生み出された。時間の経過と共に感情は強くなり、神樹から独立した存在となった。
「皮肉なものだ。何も出来なくなってから自分というものを手に入れるなど」
「で、何がしたい?」
「妖精どものいる場所へ連れてけ」
「……変わってないだろ」
「オレは妖精を潰す為に生み出された。何か別の事をするにしても、まずは最初の目的を果たしてからでないとならない」
そもそも今の妖精郷には誰も住んでいない。
他には自らが母と崇める神樹と自分よりも下位の存在である貪食蟻がいるだけ。
世界を浄化して維持する樹と世界を貪る蟻。
その二つの存在だけでは、生きていても虚しいだけでしかない。
「さすがに新天地で暮らしているのに、そんなことを許せるわけがないだろ」
「クソッッッ!!」
ダァァァァァン!
拳を叩き付けた時の衝撃で地面に大きな穴が開く。
「とりあえず問題はなさそうだな」
転移で迷宮の地下97階へと戻る。
☆ ☆ ☆
「これが現在の妖精郷の状況だ」
実際に見て来た光景を空中に幻影で映し出して見せる。
迷宮に新たに生まれた神樹に最も近い場所にある小さな建物――長老であるアルバの家を眷属と一緒に訪れていた。
他に妖精側で参加者はいない。現状を説明するだけならともかく、これから先の話は他の妖精に聞かせるわけにはいかない。
「そうかい。蟻がうろついている以外はいつも通りの光景だね」
「いや、いつの間にか家もなくなっていましたけど」
妖精が生活していた家は、貪食蟻によって悉く貪り尽くされていた。
「それは構わないさ。2000年近くもあそこで生活してきた者としては思うところもあるけど、新天地で平和に暮らしているんだ。この間も言ったけど、その程度の事に文句を言うつもりはないよ」
「なら、いい」
妖精郷は貪食蟻に支配されてしまった。
許してくれる気持ちはありがたいが、俺の信条として一つだけ訂正を入れておかなければならない。
「あいつらが現れるようになったのは最近の事なんですよね」
「そうだね」
「妖精郷の状況を考える限り、もう何百年も前……もしかしたら妖精郷が生まれた時から始まっていたのかもしれないですけど、あの世界の縮退は決まっていたことです」
世界に満ちる異常を起こした魔力を浄化し、世界へと還元させる神樹。しかし、自分たちで独占しようとした後に妖精となる者たちのせいで狭い植木鉢のような世界に閉じ込められてしまった。
その世界は神樹にとって狭く、生み出す魔力の量が世界の許容量を超えてしまうことになり、世界が軋みを上げて中心――神樹に向かって縮退を始めてしまった。
神樹の役割は世界の浄化。どうしようもない状況に対して暴走した結果、妖精を滅ぼす決定を下した。妖精は神樹の影響を強く受けているだけでなく、魔力異常が起きた時の影響も強く受けている。その異常な力を使えば、世界の方にも異常を来していた。
「ただし、普通にしていればまだ数百年は余裕があったはず」
「でも……」
「まず、世界が縮退する状況に対して神樹が選んだ対策が他の世界へと余剰魔力を流すというものです」
妖精の願いを受けて別の世界と繋がったように、神樹自身の意思でも別の世界と繋がれると考えられる。
枝を伸ばすように世界が繋がる。
その時、繋がった空間に触れてしまうせいで世界を越えて妖精郷へと迷い込んでしまう人間がいる。
それが妖精郷へ迷い込んでしまう真実だろう。
異常が起こる前も、これまでと同じように枝を伸ばして魔力を流そうとした。
「世界を繋げたのが問題だったんだ。今、あの世界は非常に不安定な状態になっている」
ゼオンの手によって地上にあった都市が一瞬にして迷宮の最下層を越えた先にまで転移させられてしまった。さらに暗躍していることで大昔に魔力災害が起こった時ほどでないにしても不安定になっている。
そこへ俺たちが何度も【世界】のテストを行っている。世界の情報を書き換えてしまうスキル。生きている人間や世界全体では大きな影響はない。それでも『世界を繋げた』ことで、向こう側に大きな影響を発生させてしまった。
「俺たちのせいで妖精郷の世界が一気に縮退することになったんだ」
そのせいで神樹は力任せな作戦を決行する決断をしてしまった。
「すみません」
今回の一件は、俺やゼオンに原因があると言えなくもない。
こんなことは救世主に救いを求めていた妖精たちには言えない。だが、俺と似たような立場にいるアルバにしか教えられない。
「顔をあげてください」
「……」
「いずれは妖精郷が滅んでしまうことは早い段階で知っていたさ。色々と手を尽くしたつもりだったけど、結局は問題を根本から解決する手段は見つからないまま永い時間が経過してしまった」
悪化を続ける環境をどうにかしようとした。
しかし、相手は神によって齎された恵が反転した存在。どれだけ人間が努力したところで解決する問題ではなかった。
「元女王として貴方たちに責任を問うような真似はしませんし、このことを知った者がいたとしても責めさせたりしません」
「そう、ですか」
それだけが気掛かりだった。
一応、報酬として神樹を請求してみたものの自分に責任があるのだから、どうにかしなければならないという責任感があった。
「マルスは本当に心配性なんだから」
アイラが笑いながら背中を何度も叩いてくる。彼女なりに励まそうとしてくれていた。
「神樹の方はどうですか?」
「今のところは正常に機能しています」
「そうですか。生きていくことができれば十分です」
「それだけでありません」
妖精が妖精であるのは、過剰に受け取ってしまう神樹から生み出された神気のせいだ。
今、神樹は俺の完全な管理下にあるため過剰に生産することもない。
いずれは人間へと近付いていくはずだ。
「本当ですか!?」
「とはいえ、何世代も先の話になりますよ」
それもエルフ以上に永く生きられる妖精で何世代も経つ必要がある。
その頃には男性の妖精も自然と生まれるようになり、神樹に頼らない方法で数を増やすこともできるようになっているはずだ。
「かまいません」
「今のうちに俺の操作なしでも神樹が機能するようにしておきました」
妖精に影響が出始める頃に、俺たちは確実に生きていない。
亡くなった後も正常に機能するようにしておく必要があった。
「何から何まで世話になって申し訳ありません」
「普段通り楽にしていいですよ。こうして迷宮で生活してもらえるだけで俺にとっては得がありますから」
最後に魔法陣の描かれた紙を渡す。
これは迷宮内から外へ転移できるもので、いつか神樹の近くで生活しなくてもよくなった頃に脱出してもらう為に持っておいてもらう。
「俺が生きている間に会う機会があるのか分かりませんけど、元気で過ごしていてください」




