第10話 朱い蟻-前-
「シルビアのやつ、どこ行った?」
神樹の下まで辿り着いた。しかし、シルビアの姿は周囲にない。
「まさか……」
魔力の痕跡を追ってみると神樹を登ったのが分かる。
神樹の幹に足を掛け、上へと跳び上がる。そうして失速するよりも早く、次の足を踏み出すことで落下するのを防ぐ。
数秒間の疾走。飛ぶよりも速く、立つことのできる枝がある場所まで辿り着くとシルビアの姿を探す。
「いた!」
シルビアは簡単に見つけることができた。
神樹を真っ赤に染めてしまうほど強い夕焼けの世界で、照らされながら遠くを見ている。
「何を見ている……っ!?」
視線の先を見ようとした直後、後ろから手で口を塞がれる。
首を動かして後ろを見てみるとシルビアがいた。
「アレを見てください」
シルビアに言われるまま遠くにある枝を見る。枝と言っても巨大な神樹の枝であるため幅が狭い場所でも10メートル以上ある。
足場も大地と遜色がないほどの頑丈さがある。
そんな場所に立つ人影があった。
「いや、人じゃないな」
体の大きさは人間よりも大きく、巨漢という言葉で片付けられないほどだ。
二本の足で立ち、左右に腕を持っていて形だけなら人間と変わらないが、明らかに人間ではない。
そんな存在が睨み付けるようにこちらへ目を向けてくる。
「認識されたぞ」
「はい」
最初はシルビアと目を合わせていた。しかし、俺が到着したことで意識がこちらへも完全に向けられてしまった。
時間の経過と共に陽が傾き、姿が露わになる。
頭は昆虫……それも蟻そのもので、全身が真っ赤な鱗に覆われた人の形をした存在――化け物だった。
「魔物、なのか?」
そう思わずにはいられなかった。
下にいた蟻は倒した直後に消失してしまうものの魔物が持つ瘴気に似た力を感じ取ることができた。
魔物に限らず全ての生物からは魔力や瘴気を感じ取ることができる。
しかし、目の前にいる朱い蟻からは魔力が全く感じられない。弱いだけなら納得できるが、完全に感じ取れないとなれば保有している魔力が少ないことが原因ではない。
「あれも蟻、なの?」
「ついてきたのか」
下から聞こえてきた声に頭を向ければミエルが羽を必死に動かして飛んできたところだった。
下はアイラたちがいれば十分。妖精に残された最高戦力も自由を許されるぐらいには余裕があるはずだ。そして、妖精側に見てもらえるのは助かる。
「今までに見たことは?」
「あんなのは初めて」
ミエルはこれまでに何度も蟻との戦闘を経験している。そんな彼女が見たことない、と言うのなら人型の蟻が姿を現したことは本当にないのだろう。
「ということは、あれが特殊なのか」
そして、おそらくは親玉だろう。
「「……」」
朱い蟻と目が合う。
どれだけの知性を持っているのか分からないが、たしかに瞳が遠く離れた場所にいる俺へと向けられていた。
目は宝石のように透き通った朱色をしており、目と目が合っただけでこちらの内心を見透かされたような錯覚に陥ってしまいそうな気になる。
なんだ……?
単純に力が強い、というだけではない。これまでに遭遇したことがない不気味さを放っていた。
「シルビアはどうだ?」
「……魔物、だと思います」
「どうした?」
かすかにだが体が震えている。恐怖に飲み込まれたわけではなく、理性で恐怖を必死に抑えつけようとしていた。
異様な雰囲気に思わず尋ねずにはいられなかった。
「わたしの勘が訴えかけています。アレは本当に危険なものです」
遠くから見ていた時は感じなかった。
しかし、俺の隣にいることでシルビアも蟻から意識を向けられるようになってしまった。
「やっぱりそっちか」
魔力が感じられないもう一つの理由。それは、理性によって魔力を完全に抑え込んでいる状態だ。しかし、理性よりも本能の方が優先される魔物の方が多く、力の強い魔物ほど自分の力を誇示する傾向にあるため力を隠そうとしない。
だからこそ……
「キィィィエエエエエッッッ!!」
凄まじい咆哮と共に放たれた気配が信じられなかった。




