第6話 妖精郷
どこまでも広がっているように見える森。
「けっこう広い森ね」
目の前の光景を見てアイラが呟いた。
「そうか。お前には森しか見えていないのか」
「え、森以外の何だって言うの?」
アイラの質問に答える代わりに【召喚】でサファイアイーグルを喚び出す。召喚されると指示を受けるまでもなく、主の意を汲んで上空へと飛び立つ。
迷宮の魔物とは【迷宮同調】によって感覚を共有することができる。サファイアイーグルが目にした光景が視界に表示される。
「あれ? これって……」
アイラも気付いたようだ。
俺や魔力に敏感なメリッサ、特殊な感覚を持つノエルは次元を越えた直後から気付いていた。
感覚を同調したことでシルビアとイリスも正確に把握した。
「何かあるのは気付いていましたが……」
「もしかして……」
何かに気付いたようでイリスが声を荒げる。
「ここは妖精郷なの!?」
「なんだ、それ?」
「信じられない! 冒険者だっていうのに妖精郷を知らないの?」
妖精郷。
普段は人が全く寄り付かない場所へも足を踏み入れることのある場所へも赴く必要がある冒険者。中には人のいない場所へ赴き、そのまま帰って来ないことも珍しくない。
だが、時には死んだと思われていた者が忘れた頃に戻ってくることがあった。姿を消していた者は消えていた間の記憶が曖昧で、どこにいたのか判明することはなかった。
ただし、戻って来た者の体には詳細の分からない鱗粉が付着していた。その鱗粉は貴重な薬の材料となり、美しい色をしていた事から自然と『妖精粉』と呼ばれるようになり、どこか妖精のいる場所にいたと信じられた。
その妖精のいる場所が『妖精郷』。
冒険者なら一度は耳にしたことがある場所の名前らしい。
「そういえばアリスターに来てからは滅多に聞いていなかったな」
「クラーシェルでは有名な話なのか?」
「国内なら北部の方が妖精郷に行っていたと思われる人は多かった」
南部にあるアリスター地方にまで話が伝わっていなかったのかもしれない。
そんな話をミエルに案内されている最中にイリスから教わる。有名な話ではあるが、冒険者の間だけの話で一般には知られていない。どちらかと言えば妖精郷へ迷い込まないようにする為の注意事項のようなものだった。
「なるほど。それで妖精粉は貴重だったのですね」
「メリッサは知っていたのか?」
「妖精郷については知りませんでした。ですが、調薬の関係から貴重な素材について調べているうちに妖精粉の名前は聞いたことがあります」
「必要があったら取り寄せてもよかったのに」
値が張ったとしても必要経費だ。
「いえ、妖精粉が必要な状況ではなかったので」
入手は非常に難しい。それに貴重ではあったが、用途が限られていたことから必要性がなかったために取り寄せることもしなかった。
「問題がないならそれでいい」
気にするべきは、ここが妖精郷かもしれないという事実の方だ。
「イリスは、どうしてここが妖精郷だと思ったんだ」
「これ」
ハンカチを差し出してくる。
白いハンカチにはキラキラと輝く鱗粉が包まれていた。
「これが妖精粉か?」
俺の問いにイリスが頷く。
「私も実物を見たのは数年振り。それでも見間違いようがない」
「どこで拾ったんだ?」
「次元の歪みを通ってすぐの地面」
地面に生える草の中に輝きがあることを知ったイリス。屈んで採取してみると草が輝いているのではなく、草に輝く鱗粉が付着していることに気付いた。
輝く鱗粉。以前に見た時は遠くからだったため確証はなかったが、メリッサによって妖精粉だと証明された。
「もうアタイたちの素性については気付いているんだろ」
ミエルの問いに頷く。
魔力の質が人間に寄せているものの明らかに人間とは違う。
そこに『妖精粉』などという物を見せられれば、一つの結論に行き着く。
「妖精、なんだな」
「正解」
答え合わせをミエルが肯定する。
すると、彼女の背から蝶の羽に似た形をした薄く透明な羽が現れる。濃密な魔力が羽の形をしており、そこに実体はない。
妖精。
その存在は伝承などにのみ存在し、濃密な魔力が人に似た形に凝縮されることで生まれる。魔力の体であるため斬り落としても腕は再生し、人間では不可能なレベルでの身体能力の強化が可能となっている。
Sランク冒険者も混じった相手の挑戦を受けられた理由も妖精であることが大きい。
「その妖精が、どうして門番なんてしていたんだ?」
伝承に登場する妖精は人を惑わせ、悪戯することはあっても率先して敵対することはないはずだ。
「もちろんそんなことをしていたのにも理由はある。この世界に迷い込んでしまったのならともかく、安易に人を招き入れる真似はしたくなかったんだ」
「あたしたちはこうして入っているけどいいの?」
「アンタたちは強者だから問題ない」
ミエルたち門番は相手が妖精郷へ足を踏み入れるに値するだけの力を持っているのかテストする為にいた。彼女たちの悲願を成就するには、少なくとも門番以上の力を持っている必要があった。
そして、そのテストにアイラが合格した。
「ここに迷い込む人間はいるのか?」
「詳しい条件は分からない。けど、『場所』と『時間』、それから人間の『資質』といった条件が満たされると迷い込んでしまうらしい」
迷い込んで次元を越えた影響なのか妖精郷にいる間の意識は曖昧で、力尽きないよう妖精が世話をしても覚えていない。
妖精の役割は、迷い込んだ人々を元の世界へと帰すこと。門番をしていた時の実力を思えば力で解決してしまった方が簡単だが、妖精は元来の性格から実力行使に出ることを嫌う。
「それで、何があった?」
今回は遺跡のように次元の歪みが発生した。
ただし、向こう側にいるはずの妖精が門番をしていたことや好戦的になっていることから意図的なものだと考えられる。もちろん意図したのは妖精たちだ。
「門番なんて面倒な真似をしてまで実力者を呼ぶ必要があったんだ?」
門番を倒せなければ向こう側へ行くことができない。
そうなれば自然と強い人を呼んで、門番をどうにかしてもらおうとする。
ミエルの目的は『誰も通さないこと』ではなく、『強者だけを通す』ことにあり決闘は選別の為の儀式だった。
「それはオババから説明させてもらう」
案内で先を歩いていたミエルが足を止める。
辿り着いたのは、巨大な樹が中央に聳え立つ広場のような場所で、巨大な樹の周囲には家が建てられている。長閑な様子で、家から人が出てくると知り合いを見つけて話し掛けており、荷物を両手で抱えた人が大きな建物の中へと入って行く。
そこで生活している誰もが人間のようにしか見えない。しかし、注意を向けてみれば人ではないことが分かった。
「ここにいるの、全員が妖精なのか」
「そう。迷い込んだ人間がたまにいることはあるけど、今はここに人間はいない」
案内されたのは、妖精が住む世界――妖精郷。
「ついて来て。オババの所に案内する」
「その前に一つだけ聞いてもいいか?」
「なに?」
「あそこにあるのは何だ?」
妖精郷の中心に聳え立つ巨大な樹。
同じ物を以前に見たことがある。それも本に載っている絵などではなく、現実に存在する物だ。
「神樹のこと? あれは全ての妖精を見守ってくれている神様みたいな存在だ」




