第17話 結合歪魔
巨体を誇る歪魔が握りしめた右手を地面に立つアイラに向かって振り下ろす。
両者の対格差は圧倒的。膨れ上がった相手が上から叩き落せば、それだけで相手を潰すことができる。
しかし、歪魔の攻撃は失敗に終わる。腕の軌道を見切ったアイラが回避する。
それだけで終わらず、振り下ろされた腕の上を駆け抜けていく。
歪魔の肉体は素体となった人間を元にして造られている。そのため肉体まで歪められていない状態の腕は走るのに適していない柔らかさがある。だが、歪魔の肉体の表面には空間の歪みがある。ダメージが反射されないよう最低限の力だけで駆け抜けると頭を飛び越えて後ろへと回り込む。
「このサイズになっても全身を覆うのは変わっていない」
飛び降りながら背中を斬ったが、空間の歪みに阻まれて歪魔にダメージは与えられない。
怯んだ様子すら見せず歪魔がアイラへと手を伸ばす。
アイラの振り上げた剣が空間の歪みと衝突し、剣と手を弾き飛ばす。
「え……」
距離を取るべく後ろへ跳ぼうとしたアイラだったが、剣が引っ張られるせいで後ろへ跳ぶことができなくなってしまった。
掴まれている。
アイラの剣が弾かれた歪魔の手とは別の、弾かれた手の手首辺りから生えた腕によって掴まれている。
「そっか。何人も固まっているなら見えていない手を生やすことだってできるか」
離れるのではなく、剣を掴んでいる手を斬るべく力を込める。
剣を掴む手から血が流れるものの歪魔は剣を手放さない。
「わっ」
剣を掴んでアイラの体を放り投げる。
「【輝光断絶】」
放り投げた方とは反対からメリッサが光の刃を放つ。
空間を切断することのできる刃は空間の歪みをも両断する。
――グワァァァ
歪魔が吠える。アイラを飛ばしたのとは反対の手を向け、空間を歪曲させる力を増大させる。歪んだ空間と衝突した瞬間は押していた光の刃だったが、今は歪魔の手の表面を切り裂いたところで止まっている。
「強いですね。先ほどは簡単に両断することのできた【輝光断絶】を防いでしまいますか……ですが、貴方個人が持つ力の総量は変わっていないように思えます」
一つの体に複数の命が混ざっているせいで気配が分かり難い。それでもメリッサには魔力量に違いはないように思えた。
挑発された。
理性のほとんどを失っている状態であっても、なんとなく理解することのできた歪魔が光の刃を受け止めている空間の力を強める。
斬。
次の瞬間、歪魔が感じたのは自分の体が異様に軽くなったこと。
「なるほど。全身を護っていた力を一点に集中させた。だからメリッサの魔法も受け止めることができた……ううん、そうしないと生き残ることができなかったのかな」
歪魔の右側面にあったいくつもの腕がアイラによって斬り落とされている。
空間の歪みなど全くなく、簡単に斬ることができた。
「そんな戦い方していると隙だらけよ。ま、メリッサほどの魔法使いを相手にしたからなんでしょうけどね」
アイラに気付いた歪魔が顔を向ける。
「だから――」
次の瞬間、メリッサの斬撃によって歪魔の体が細切れにされる。
「私の攻撃はギリギリ受け止められていたのです。そんな状態で気を緩ませれば、こうなるのは当然です」
バラバラになって地面に倒れた歪魔の体は、細かくなったことで存在を維持することができなくなってボロボロと崩壊を始める。
使用できる空間の歪みの力は以前と変わらない。ただし、肉体が巨大化したことで全身を覆っていた時は壁が薄くなっている。代わりに肉体が強靭になるよう存在を歪めていたが、それもアイラやメリッサの攻撃を前にすると意味がなかった。
☆ ☆ ☆
「終わったか」
合流すると複数の人間を掛け合わせて作られた歪魔を倒したところだった。
「問題なかったか?」
【迷宮同調】で戦闘の記録を確認することはできる。
それでも仲間の口から無事だと聞きたかった。
「はい。二人とも怪我していません」
「あたしたちがあんなのを相手に負けるはずないじゃない」
たしかにメリッサなら何らかの攻略方法を見つけてくれると信じていたし心配はしていなかった。
だが、この短時間で異常な進化を遂げた歪魔と戦うのは初めてだ。
どうしても心配してしまう。
「無事ならいいんだ」
安堵しているとメリッサが尋ねてくる。
「これからどうしますか?」
「問題の根本を解決するしかないだろ」
歪魔の出現、兵士や騎士の拉致。
どちらも明確な意思の下で行われている。
「トリオンが色々と工夫を始めている。これ以上の知恵をつけて手がつけられなくなる前に倒すしかないだろ」
まだ準備は完全ではない。だが、少しでも早く片付けてしまった方がいいのも事実で、準備が不完全であっても向かうしかない。
そうしているとシルビアとイリスも合流し……
『やれやれ……あの歪魔を造るのにそれなりの労力が必要だったんだけどね』
響き渡る声。
『む? どうやら本当にアタイの位置がわかるみたいだね』
6人全員が一点を見つめていればトリオンにも分かる。
その場所は土壁の内側にいるトリオンの声を外側に届け、場所を誤魔化す為に拡散させている起点となっている場所だった。あちこちから発せられているように聞こえるが、視界の中で起点と言える場所はそこだった。
「なら、誤魔化す必要はもうないね」
姿を隠したままだが、それでも声から位置を誤魔化すような真似は止めた。
「本当ならもう少し素材を収集したかったところなんだけどね」
「もう近くには誰もいないぞ」
近くから兵士たちの避難は完了している。
「そんなことはわかっているよ。もちろん素材が不足していることだって理解しているよ」
だから――
「手に入れる為に領土を広げることにしよう」
土壁からガタガタと音が聞こえ、あっという間に崩れ落ちてしまう。
強力な力を加えられたことで耐えられなくなったのではない。いや、ある意味では正しい。内側から発生した空間を歪ませる力によって土壁の内側が消され、形を維持できなくなった部分が崩れ始めた。
そして、崩れ落ちた岩の破片は消え、巨大な土壁は残骸も含めて跡形もなく消え去っていた。
「全員……俺たちもメルストまで戻るぞ!」
指示を出すと脱兎のごとく走る。
目の前で何が起こったのかは明らかだ。
「ねぇ、あたしたちなら平気なんじゃない?」
今までは土壁の内側にしかなかった空間の歪みが拡大している。
たしかに【世界】がある俺たちは空間が歪んでいても平気でいられる。
「ばか。俺たちが無事でも他の人たちが無事じゃないだろ」
駆ける先には撤退中の部隊がいる。
彼らは空間の歪みに巻き込まれれば気付く暇すらなく消えてしまうし、事前に危険が迫っていることを察知する術がない。
安全だと思っている場所まで離れたせいか撤退に余裕が見られる。
「拡大のペースはそれほどではないみたいだけど、危険を知らせてあげないと俺たちがトリオンを倒すより先に消えることになるぞ。それでもいいのか?」
「いや、あたしも彼らを見捨てようとは思わないかな」
「そういうことだ」