第9話 歪魔―前―
突如、出現した4人の騎士の肉体が変質していく。
腕や足といった体の一部分の表面は魚のような硬い緑色の鱗に覆われ、顔からは生気が失われて眼窩が窪み、口が半開きのままとなって肌がカラカラに乾燥してしまう。
不死者。その中でも死んでいながら動くことのできる死体に似ている。
だが、似ているだけで決定的に違うところがある。
「まだ生きています」
シルビアが言うように変質した4人からは命がしっかりと感じ取れる。
あんな状態になっても生きていたため、不死者ではない。
「困ったなぁ……」
死んでいるのなら、楽にしてあげる意味でも破壊してしまうのが最も手っ取り早い。だが、彼らは生きていて、この場に多くいる騎士たちの仲間だ。
「さっきのように元の姿に戻すしかないのでは?」
「それしかないか」
コツは掴むことができた。同じ事をやるのは可能だ。問題になるのは魔力消費量ぐらいだ。
「さすがに十人以上なら無理だけど、4人ぐらいなら大丈夫だろ」
4人のいる方を向く。
すると……
『へぇ、それは困るね』
不気味な声が聞こえ、身を反らす。
すぐ前を奇妙な力の弾丸が通り過ぎ、奥にあった岩を貫通して穴を開ける。
『いつまでよけられるかな?』
無数の弾丸が土壁の方から放たれる。
舌打ちしながら俺へ放たれた弾丸を回避していく。
『この状況からでもできるのかな?』
できないことに気付いていながら尋ねてきている。
元の姿へ戻す為には、元の姿を強くイメージしながら変質した後の姿も強く認識していなければならない。そのためには強い集中を必要としており、別の攻撃を回避しながらできるようなことではない。
「この……!」
アイラが弾丸を斬ろうと近付いてくる。
「それに触れるな!」
命令権まで使用した言葉にアイラの動きがピタッと止まる。
弾丸に剣が触れることはなかった。
「それは人の体や岩を簡単に消し飛ばすような弾丸だぞ」
いくら全てを斬り裂く【明鏡止水】であろうと空間と共に消滅させる弾丸が相手では力を及ぼす前に崩壊してしまう。
この攻撃に対しては回避するしかない。それを相手も理解しているからこそ、回避先を予想して弾丸を打ち込む回避されることが前提の攻撃しかしてこない。
「どうにかならないの!?」
「そうしたいところなんだけど……」
不意を衝いて突撃しようと足を止める。
だが、俺の行動を予測していたように上空に出現した新たな弾丸が地面へと打ち込まれて前へ進むことができなくなる。
土壁を壊さず攻撃することができるのだから何らかの力によって空間を跳躍している。なら、何もない空間に出現させることも可能だ。幸いなのは、弾丸という性質を持たせているせいか俺からある程度は離れた場所である必要があることだ。さすがに眼前に出現させられれば回避するのは難しい。
敵が知性をつけ始めている。こちらの行動を予測して、妨害することに徹するなど本能に忠実な魔物には不可能な行動だ。
「あの騎士たちの処遇はそっちでどうにかしろ」
「どうにかしろ、って言われても……」
跳び上がったシャルと呼ばれた女騎士だった化け物がアイラへと襲い掛かる。
元が善良な騎士だったと知ってアイラが斬ることを躊躇し、剣を振るタイミングが遅れてしまう。
「――【世界】」
だが、時間を停止してしまえばそんなのは関係ない。
「ありがとう」
礼を言うアイラだったが、返している余裕がない。
「やっぱり時間停止中でも攻撃できるのか」
アイラが離れたことを確認してから【世界】を解除する。
時間を停止させている間も弾丸が止むことはなかった。
『お兄ちゃんはボクと遊ぼうか。その間、お姉ちゃんたちはボクの歪魔をどうにかした方がいいよ』
歪魔。そう呼ばれた4体の化け物が周囲にいる人間へ牙を剥いていた。
☆ ☆ ☆
アイラへと襲い掛かったシャルへシルビアが短剣で斬り掛かる。
シャルの手前で歪んだ空間によって攻撃が止められてしまう。初めて体験する空間の歪みに対してシルビアは短剣を握る手に力を込める。
「離れて下さい。それは物理的な力でどうにかなるものではありません」
「そう、みたい」
メリッサの忠告に離れようとする。
だが、忠告は遅かった。鋭い爪が生え、肥大化した手が掬い上げるように振るわれ……シルビアの体をすり抜ける。
【壁抜け】。このスキルがあるおかげで、彼女はあらゆる攻撃を回避することに成功してきた。
化け物が空振った自分の手を見つめる。たしかに当てられたと思った攻撃がすり抜けてしまえば疑うのは仕方ない。
シルビアの手から数十本というナイフが放たれる。どのナイフも異なる場所を狙って放たれており、空間の歪みが発生していない場所を確認する目的があった。だが、全てのナイフが頑丈な壁に当たったかのように弾かれてしまった。
歪魔を護るように展開された空間の歪み。
歪魔を倒す為には、この空間の歪みを越えて攻撃する必要がある。
「マルスさんは妨害されており、イリスさんは負傷したポーリッドさんの負傷でこちらに加われる状態ではありません。私の指示に従ってもらいますが、よろしいですか?」
「いいんじゃない」
シルビアに反対する意思はなく、アイラとノエルも概ね同意していた。
「私はどうすればよろしいですか?」
「『聖女』なのですから負傷者の治療を手伝ってください」
ミシュリナには治療を担当するよう指示をする。『聖女』には直接的な攻撃力がない。浄化による不死者への攻撃手段はあるが、歪魔は不死者ではない。
「さて――」
メリッサは迷っていた。
相手が悪意のない人間だというのなら助けてあげたい。マルスの【世界】なら歪んだ存在を修正することができる。しかし、妨害されているせいで助けを求めることはできない。
同じようなことができる者がもう一人いる。
『私がやらなかったと思う?』
ポーリッドの失われた腕を再生しながらイリスが念話でメリッサに応じる。
イリスの使う【回帰】なら元に戻せるかもしれない。
『バルトロを相手にもう試している』
戦闘中に試していたが、バルトロを元に戻すことはできなかった。
『歪魔は存在が大元から歪められている。言うなら、あの化け物の姿が元の姿』
マルスは【世界】を使用するにあたって『元に戻す』という言葉を利用していたが、それは正しくない。【世界】は存在そのものを書き換えている。どのように書き換えるかも彼の自由となっている。
現状では元に戻す手段はない。
こうして迷っている時間も勿体なかった。
2体の歪魔が近くにいた騎士たちへと襲い掛かっている。騎士たちでは歪んだ空間に対して対処することができず、次々と倒されていった。力が不足していることが最大の理由だったが、仲間が素体となっている光景を見ているせいで攻撃を躊躇っていた。
「騎士たちよ、何をやっている……!」
不甲斐ない騎士の姿に憤ったポーリッドが声を荒げる。
「ですが、相手はゲインなんですよ」
「それがどうした!!」
「え……」
「騎士になった時から国に殉じる覚悟はできていたはずだ。ここには『聖女』様もおられる。いつまで無様な姿を晒しているつもりだ!」
それは苦戦している騎士だけを指した言葉ではなかった。
歪魔と化してしまった騎士に無様な姿を晒させるな、という意味が強かった。
敵に奪われ、化け物となった姿を晒すぐらいなら安らかにさせたい。
「……はい!」
騎士の剣を握る力が強くなった。
どれだけ力を込めたところで空間の歪みを越えることはできないが、相手を倒そうという気概は見せることができる。
「よろしいのですね?」
その意思は、しっかりとメリッサたちへ伝わった。
「シルビアさんとノエルさん、アイラさんでそれぞれ1体ずつ敵の足止めをして下さい。そこから先は私がどうにかします」