第7話 歪む存在
泡立つように膨らむ体。
「ちぃ……!」
このままにはしておけない。
イリスの手から放たれた氷柱が膨張するバルトロへと向かう。
「あ、ばか……」
止めようとしたが間に合わなかった。
飛んで行った氷柱は10メートル進んだ場所で歪んで消えてしまった。
「【世界】がないとああなる。それは俺たちの放った魔法だって変わらないんだ」
「じゃあ、どうするの!?」
「直接ぶっ叩く」
膨張するバルトロへと近付いて神剣を叩き付ける。
「……っ!?」
しかし、ぶよぶよと膨れ続ける肉に当たる直前で刃が見えない力によって受け止められてしまった。
イリスも別の場所へと攻撃を加える。だが、同じように見えない力によって防がれてしまう。
魔法やスキルによる障壁を即座に疑う。
「いや、神剣に限ってそれはありえない」
あらゆる物を切断することのできる神剣。障壁があろうとまとめて切り裂ける……はずなのだが、切り裂ける様子が全くない。自分が何に受け止められているのか理解することができない。
イリスも同じ気持ちだ。
剣を叩き付けているおかげで、その場所からの膨張は抑えられている。だが、それ以外の場所からの膨張は今も続いており、近くにいる俺たちへと迫っている。
『少しよろしいですか?』
「メリッサ!?」
届いたメリッサからの念話。
通常、突然声が頭の中に響くと戸惑い危険な状態に陥る可能性があるため話し掛けるのは避けるようにしている。それでも話し掛けてきたということは相応の理由があるからだ。
「そっちでも何かあったのか?」
『いえ、こちらでは何もありません。【迷宮同調】のおかげでそちらの状況は把握しています』
「だったら救援に来い」
『そうしたい気持ちはありますが、その中に入ることができません』
言っている最中に思い出した。周囲は【世界】がなければ生きていられないほど歪んだ空間となっている。メリッサたちなら数秒は耐えられるかもしれないが、間に合わなかった場合は悲惨な結末を迎えることとなる。無理をしてでも入って来いとは言えない。
「じゃあ、こっちから迎えに行く。近くまで来い」
後ろへ跳んでバルトロから離れる。
直後、首の後ろから膨張していた肉が形を変え、先端の尖った尾となってこちらへ飛んでくる。
神剣で斬り払うと尾の先端を切断することができた。
「こっちには防御がないみたいだな」
突き刺すことができないと判断した化け物が尾を引っ込める。
「さて――」
最初の位置関係から眷属と合流する為にはバルトロのいる場所の向こう側へ行かなければならない。
横を駆け抜けようと考えていると、バルトロの体に更なる変化が現れる。
体の左側面に蟹のような鋏を持つ腕が生え、右側面には大猿のような毛に覆われた太い腕が生える。下半身は馬のような蹄を持つ足へと変わる。
相対している俺が自分の横を駆け抜けようとしていることを察して肉体を適した形へと変化させた。
「簡単には通してくれそうにないな」
後ろを見れば斬り飛ばした尾の先端もいつの間にか再生している。
「合流は中止だ。二人で奴を倒すぞ」
「了解」
最後に肉塊の上部から人の頭が生える。その顔はバルトロのものだったが、表情は苦悶に満ちていた。今の彼にバルトロの精神がどれだけ残っているのか分からない。それでも顔を見れば苦しみが見ている者に伝わってくる。
「だから離れるように言ったんだ」
バルトロが鋏を突き出しながら突っ込んでくる。
尾を斬り飛ばした時と同様に剣を叩き付ける。
「……っ!?」
しかし、今度は尾と違って見えない力によって防がれてしまう。
『失礼しました。どうやら空間が歪められているようです』
「そういうことは先に言え!」
どのような力によるものなのかは定かでない。今のバルトロからは知性が感じられない。緻密な計算が必要となる【空間魔法】による力でないことは間違いないだろうが、空間そのものを歪めることによってこちらの攻撃を防いでいる。
俺とイリスの視界を借りて状況を把握したメリッサの分析だ。おそらく間違いはない。
『それからシルビアさんからです』
「なんだ!?」
歪められた空間の向こうから鋏が迫る。
体を後ろへ反らして回避しながらシルビアへ問いかける。
『歪んでいます』
「それはメリッサから聞いた!」
『いえ、空間ではありません。目の前にいる敵の存在そのものが、です』
「ま、普通ではないよな」
イリスが斬り掛かろうとする。
しかし、バルトロだった化け物が同時に猿の腕を振り下ろそうとしていたため攻撃を止めて横へ跳ぶ。普段なら防御と共に腕を攻撃していた。だが、空間を歪められたことによる防御があっては止められないかもしれない。
咄嗟に俺も地面へ叩き付けられようとする腕から逃れる為に跳んでしまう。
「あ、しまった……!」
跳んでから気付いてしまった。叩き付けられた腕は俺とイリスの間へ叩き付けられようとしていた。効率的に回避するなら、お互いに叩き落された腕とは反対方向へ跳ぶことになる。
つまり、俺とイリスが離れることとなる。
これが普通の空間でなら何も問題はなかったが、今は離れることが許されない空間にいる。
「間に、合えッ――――!」
とにかく離れないよう【跳躍】を使用する。
どうにか有効範囲内にいる間にイリスの近くまで移動する。
「ふぎゅ……っ」
「……つっ!」
移動先はイリスが跳んでいる先。
見える場所への転移を可能にする【跳躍】だが、空間を移動した際の向きは移動する前の状態となる。そのため移動後はイリスに対して背を向けた状態となる。急な出現にイリスも対処することができない。
結果、お互いの体がぶつかることとなる。
「走るぞ」
痛みに耐えている間もバルトロが腰の後ろに新たに生やした後脚を生やしたことで四足歩行となって迫ってくる。もはや下半身は完全に馬そのものだ。
もう離れないようイリスを抱えて走る。
「……って、これだと攻撃できない」
「どうせ10メートルは二人で戦闘をするには狭すぎる」
迫るバルトロの体はボコボコと肉塊が浮かび上がり、新たな肉体を生み出そうとしている。このまま放置すれば厄介な存在となるのは間違いない。
「あいつは『歪んでいる』ってシルビアが言っていた」
「だから?」
「だったら正してやればいいんだよ」
逃げる速度を徐々に緩めていく。
そして、バルトロの攻撃が届く距離まで迫ったところで上へ跳ぶ。
攻撃するつもりでいたバルトロは自分の頭上へ跳んだ相手への反応が遅れ、頭を上へ向けるだけだった。
「やれ」
空中に生成したイリスの氷柱が眼下にいるバルトロへと迫る。
十数本の氷柱がバルトロへと殺到するものの歪んだ空間によって当たることなく弾かれてしまう。
空間の歪みは全身を覆うように存在しており、複数の場所へ放たれた全ての氷柱を弾くことに成功していた。
「ああ、それでいい」
バルトロの背に着地する。後脚が生成されたことで馬の上に乗るみたいで着地しやすくなった。
足裏には奇妙な感覚がある。これが歪んだ空間の上にいる、ということなのだろう。
「攻撃を弾いたり、受け止めたりすることはできるみたいだけど、着地した俺を吹き飛ばすことはできないみたいだな」
文字通り壁の役割しか果たさないのだろう。強い力を与えれば反発した力に弾き飛ばされてしまうことになるが、触れているだけなら何の支障もない。
「――消えろ!」
全力の【世界】が俺を中心に放たれる。