第31話 【世界】の改竄-前-
道具箱から新たな魔力回復薬を取り出し飲み始める。
「私なら起きています」
「……同じく」
少し前から意識を覚ましていたメリッサとイリス。
気配で分かっていたが、こうして無事な姿を見ると安心する。
「ところで、何本目ですか?」
俺が飲んでいる魔力回復薬の瓶を見ながらメリッサが尋ねてくる。
「8本目、かな?」
「そんなに飲んでどうするのですか? 回復薬は飲めば飲むほど効果が薄れていくのですよ」
多量の薬を一度に服用すれば効果は薄まってしまう。
既に8本目の回復薬だが、実際に回復したのは4本分にも満たない量だろう。それでも全く飲まないよりは気休め程度に助かっている。
「お前も起きて飲めるようになったなら1本ぐらいは飲んでおいた方がいいんじゃないか?」
二人にも回復薬を投げ渡す。
と言っても、渡したのはメリッサが調合した強力な回復薬だ。
「そんなに飲むぐらいなら上級の回復薬を飲んだ方がいいんじゃないか?」
兄が疑問を口にする。
貴重な素材を使用し、特別な製法を必要とする上級回復薬なら1本で大きく回復することができる。
ただし、それは一般的な冒険者が飲んだ場合の話だ。
「これは市場に出回っている上級回復薬を超える効果を持つ回復薬ですよ」
「そうなのか? それにしては……」
水のように遠慮することなく飲み続けている。
「……まあ、今の状況で俺たちまで魔力切れで倒れてしまうのは問題ですから」
二人が気絶した状況だ。
いくら騎士団に守られた場所とはいえ、安全が絶対に保障されているわけではない。万が一に備えて対応できるようにしておいた方がいい。
それに、これからやらなければならないことがある。
「私は十分に休ませてもらったので大丈夫です」
「同じく」
「じゃあ移動しようか」
☆ ☆ ☆
移動した先は魔物のいる森の中。
と言っても森の入口が見える程度の距離しか離れておらず、森へ入っただけの場所だ。
「こんなところで何をするつもりなんだ?」
兄が疑問を口にする。
同行者には兄とゼラトさんもいる。アリスター家からの証人も必要になるため信頼できる二人に同行してもらった。おそらく二人には貴重な情報が知られている。
「二人とも俺の切り札とも言えるスキルの力に気付いていますね」
兄は時間の停止した世界を体験している。気付いた時には全く異なる場所にいたことから予想していてもおかしくない。
ゼラトさんは【世界】の結界の外から時間の停止した世界を見ている。大蛇や灰蛇の動きだけでなく、眼光まで止まる光景を目にしていれば【世界】の持つ効果に気付いてもおかしくない。
「時間を停止する。そんな能力だな」
「その通りです……いいえ、その通りでした」
「でした?」
おそらく柱が3本だった頃は時間停止までしかできなかった。
そして、柱の数が4本に増えたことで停止していられる時間が伸び、結界の範囲も広くなったことで強化されたものだとばかり思っていた。
だが、それでは完全ではない。
「時間停止なんて【世界】にとって一部でしかなかったんです」
メリッサの【世界記録】を見て気付いた。
【世界記録】は魔法攻撃に特化しているが、【世界】を弱体化させたスキルなはずだ。
その時、兎の魔物が跳ねながらこちらへ近付いてくる。
少し前まで森を支配していた大蛇が完全にいなくなったことで狩りに出掛けた魔物が獲物として狙いを定めた。
アイラが俺を守ろうと魔物の前に立ちふさがる。
「いい。ちょうど訓練相手が欲しかったところだ」
遠くにいた頃は愛くるしい顔をしていた魔物だったが、近付いた瞬間に捕食するため鋭い牙を見せて襲い掛かって来る。
飛び掛かって来る魔物に手を向け、デコピンするように弾く。
「消えろ」
念じながら弾くと、離れていたにもかかわらず兎の魔物が姿を消してしまう。
「ど、どこへ行ったんだ!?」
「どこにもいないぞ!?」
兄とゼラトさんは慌てている。
眷属は落ち着いている。彼女たちも見失ったのは間違いないが、こういう時はシルビアに頼るようにしているため4人の視線が向けられる。
だが、見られたシルビアは首を横に振るだけだった。
どこにも魔物の存在を感知することができない。
「あっちだ」
上を指差しながら言う。
「空?」
「……どこにもいないけど?」
空を見上げたアイラとノエルが探すが、魔物の姿を見つけることはできない。
そもそも空へ飛ばしたわけではない。
「もっと違う意味だ」
「まさか……」
メリッサは気付いたみたいで、俺のやったことを察して顔を青褪めさせていた。
「向こうへ送ったのですか?」
「そうだ」
向こう――迷宮の最下層の向こう側にある世界のことだ。
今頃、兎の魔物は何もない空間で戸惑っていることだろう。
「これが【世界】の本質とも言える能力――世界を書き換える能力だ」
「まさか……消したのか?」
向こう側の世界を知らないゼラトさんが警戒する。
こちら側だけの事象で考えれば魔物を消したようにしか見えない。
そんな能力を個人で保有しているなど恐怖でしかないだろう。
「いえ、さすがにそこまで無制限な能力ではないですよ」
今は送るのが精一杯だ。
「ゼオンがやっていたのと同じような能力だろうな」
4本目の柱が出現した時に得られるスキルは、向こう側の世界を充実させるスキルなのだろう。
【自在】を保有するゼオンは、こちら側に存在する街を向こう側へ自在に移動させてみせた。
そして、俺の【世界】はこちら側に存在する事象を書き換えることができる。ただし、書き換えられた事象はすぐに向こう側の世界に書き加えなければならない。
本当に、こちらで消した物を向こう側に出現させているだけだ。
「いったい、こんな力を与えて何がさせたいんだ?」
そもそも迷宮主の力そのものが異端だ。
誰か与えた存在がいるはずだが、何年も使い続けているというのに誰も明確な答えを持ち合わせていなかった。迷宮核にしても推論しか持っておらず、歴代の迷宮主たちも答えに辿り着くことはなかった。
「ま、今は利用させてもらうことにするか」
ゼオンの目的も向こう側の世界にある。
だから、ほどほどで抑えておかないといけない。
「【世界】――!!」
森の中に点在している魔力の溜まり場。
現在いる位置から離れている場所を除いて、向こう側の世界へと送る。
「……っ!」
「大丈夫ですか?」
急激な魔力の消耗によって倒れそうになったところをシルビアが支えてくれる。
「問題ない。それよりも成功したみたいだな」
森に大量の魔物がいたのは奥の方に魔物を生み出す魔力溜まりが点在していたためだ。
「これで、森を突っ切る道の付近に魔物が近寄ってくることはなくなりました」
まだ多くの魔物が森の中に残っている。
だが、残っている魔物を討伐してしまえば新たに生み出される魔物は今よりも格段に少なくなる。
「おい、これ見てみろよ」
迷宮の魔力が異様に増えている。
タイミングを考えて向こう側に魔力溜まりを送ったことに理由があるのだろう。
「そっちを推察するのは後日だな」
これで森の安全は確保された。
これで【世界】と【自在】に与えられた本当に目的がはっきりしました。