第19話 這い寄る灰の蛇
俺は右、エルマーは左。それぞれ反対方向へと走り出す。
大蛇の能力については合流した時に簡単ではあるが説明している。
とにかく眼光を受けてはいけない。迷宮主のステータスなら一瞬で石化することはないだろうが、完全に防ぐことができないかもしれない。迷宮主の敗北は、全員の敗北を招くことになる。
石化能力を持つ蛇――灰蛇が頭を左右に振る。
自身を中心に円を描くように走る俺たちに対してどちらへ攻撃すればいいのか分からず困惑し、偶然だが俺と目が合う。
「……っ!?」
灰蛇の体がビクッと震える。
「どうやら俺の事を知っているみたいだな」
ただし、知識として知っているのではない。本能から俺を恐れて無意識のうちに反応してしまった。
体をグルッと回して後ろにいるエルマーへと向ける。
標的をエルマーに定めると走るエルマーを視界に捉えながら這い寄り、石化の眼光を放つ。しかし、走る冒険者を捉えることができずエルマーが走りすぎた場所を石化させてしまう。
石化した草から生命力が吸い取られる。だが、草から得られる生命力は微々たるものでしかない。
「でかした!」
俺に対して背を向けている灰蛇。神剣を引き抜いて一気に駆ける。
「はい!」
エルマーも足を止めて灰蛇のいる方へと走る。
一度見たおかげで、眼光が放たれるタイミングは掴んだ。しっかりと灰蛇の目を見て、眼光が放たれる瞬間を捉えることができれば回避は難しくない。
「え……?」
突然、エルマーが転ぶ。
前に倒れながら自分の足があった場所を見れば、草の生えた地面が石化しているのが分かった。
普通に草を踏みしめながら走っていたが、石化した草は疾走を妨げる障害物となっていた。
「エルマー!!」
さっき眼光を放った時だ。エルマーへ攻撃すると同時に、自分へ向かって来ることを予想して進路上に石化した草を罠として用意していた。
這い寄るのを止め、倒れたエルマーへ顔をしっかりと向ける。
灰蛇の目が光る。
瞬間、エルマーと灰蛇の間に人の体も覆い隠せてしまえる大きな盾が飛んできて突き刺さる。
結果、石化の眼光がエルマーではなく盾に当たる。
俺とエルマー、灰蛇の視線までもが盾の飛んできた方へと向けられる。
そこには投擲したばかりの体勢で立つジェムがいた。
「なにやってる。さっさと仕留めろ」
すぐに自分の攻撃を邪魔された事に怒った灰蛇が眼光を飛ばす。
しかし、ジェムのいる場所は射程外。遥か手前の地面に当たるとその場にある草を石化させる。
灰蛇の意識が完全にジェムへ向けられる。
つまり、エルマーの事を完全に忘れている。自分の攻撃が射程圏内にエルマーがいる、ということは手段次第ではエルマーにも攻撃が可能だということに考えが及んでいない。
「【土棘】」
地面から飛び出した土の棘が灰蛇の体を貫く。
それなりに距離は離れていたが、迷宮主になったことで魔法の実力が向上したエルマーにとっては射程圏内だった。
体の至る所を串刺しにする。中でも頭部を固定する為に上周辺はきつく締められている。
さらに灰蛇の右前方に弧を描くように土壁が出現する。
「それにしても【迷宮魔法】っていうのは便利ですね。それまで適性がなくて使えなかった魔法まで使えるようになるんですから」
土壁に次々と石化の眼光が当たる。けれども、土で作られた壁が石化したところで効果は薄く、土壁を造る為にエルマーが消費した魔力は微々たるものでしかないため、魔力の奪取も効果が薄い。
土壁に隠れながら後ろまで回ると、手にしたナイフで背を抉る。
大きく開いた背へ手を突っ込み、引き抜かれた手には拳ほどの大きさのある魔石が握られていた。
魔石を体内から引き抜かれた灰蛇が地面に倒れる。
「どうやら話に聞いていたほど強くはないようですね」
エルマーがやったように体表を切って魔石を取り出すには接近している必要がある。
だが、大蛇の時は石化能力を完全に封じる必要があったため魔石のあった場所を覆うように凍らせてしまった。さすがに氷を避けて器用に解体するのは難しく、魔石を破壊する以外の手段をすぐに思いつかなかった。
「それは石化する手段が限られていたからだ」
頭部にある目にさえ気を付けていればよかった。
「それで、大丈夫なんだろうな?」
「心配になって尋ねるぐらいなら助ければよかったじゃないですか」
「あれぐらいの危機は自分で対処するべきだ。その結果、石化することになったとしても冒険者なら仕方ない」
俺なら事前に地面が石化していることに気付いていれば無視できるほどの力で踏みしめ、転倒して眼光が飛んでくるまでの一瞬の間に別の場所へ【転移】で跳んでいた。
一人でもできることはいくらでもあった。
ただ、エルマーの場合は迷宮主になってから日が浅いため咄嗟の機転が利かなかった。
「そう言いつつも、本当に石化していたらイリスさんに頼んで助けてくれたんですよね」
「まあ、な」
元に戻す手段があるのに躊躇する理由はない。
「とりあえず助けてくれたジェムに感謝するんだな」
「あ、そうでした!」
盾を投げた直後に蹲ったジェム。
「大丈夫!? どこか怪我でもした?」
戦闘に割り込んだため負傷を心配するのは間違いではない。
「あ……」
ただし、近付いただけで俺はジェムの状態に気付いてしまった。
「き、気持ち悪い」
「え……」
「ただの飲み過ぎだ」
エルマーの危機を察知して盾を投げたものの、そこで限界が訪れて吐き気に耐えられなくなってしまった。
ジェムは酒を飲めないわけではないが、酒豪というほどではないため飲み過ぎれば嘔吐に襲われる。
「どこか怪我したりは……」
「ない。風に当たりに来たら、ヤバそうな雰囲気だったから」
咄嗟に防御するため盾を投げた。
とはいえ、完全な偶然というわけではない。
「たまたま近くにいたけど、なんだかこっちの方でヤバそうな雰囲気がしたから来ちまったんだよ」
体調の悪さもあって本来なら危機からは遠ざかるべきだった。
ところが、今までからは考えられないほど危機に対して近付かなければならない思いに突き動かされてしまった。
「それが主と眷属の間にある絆だ」
眷属は主を守る為に身を盾にする。
主も庇護下にある眷属を助けようと動く。
それが迷宮主と迷宮眷属の関係だ。
「お前は無意識の内にエルマーの危機を感じて、こっちまで来ていたんだよ」
迷宮主の経験なら俺の方が豊富だ。
「その割には残りの二人が来ませんよ」
「そんなことはないみたいだぞ」
駐留している場所の中心からジリーとディアが駆けてくる。
「あの二人、本当に酒を飲んでいたんだよな?」
「はい」
二人とも足元がしっかりしている。
たまたま近くにいたジェムには遅れてしまったものの戦力的には酒を飲んで騒いでいたはずの二人の方が役に立つ。
「マルスさんの方は来ないんですか?」
「……俺の事を信頼してくれているんだよ」
こっちは誰も来る様子がない。
試しに念話を送ってみると回答が得られた。
『状況は把握していた。私たちの助けが必要な相手じゃなかったから、そっちに行かなかっただけ』
イリスが簡潔な回答と共に宴会へ戻ってしまう。
……信頼してくれた、と思うことにしよう。
「どうやら騒ぎに気付いたのは眷属だけじゃないみたいだな」
さすがに兵士全員が宴会に参加していたわけではない。責任者であるゼラトさんを始めとした複数の騎士と見張り当番の兵士は酒を飲まずに周囲の警戒を続けていた。冒険者の中にも自主的に警戒している者がいる。
戦闘に気付いた兵士がこちらへ近付いてくる。
「大丈夫だった?」
駆け付けたディアがエルマーの体を確認する。
大きな怪我はないが、転がるなどしたため服が汚れていたので何かがあったのは一目で分かる。
「うん……?」
エルマーの体調を確認しながら、ディアが何かに気付いて声を出した。
「なんか……向こうの方が静かじゃない?」