第2話 果ての世界
「何もない空間だったから気付かなかったけど、ここはイシュガリア公国の北部にある村みたい」
「来たことがあるのか?」
「10年以上も前に」
俺たちと行動を共にする前、イリスは育ての親とも言える人たちとパーティを組んで冒険者をしていた。
故郷であるクラーシェルを拠点にしながら依頼を受けあちこちへ移動し、そこで別の依頼を受け拠点へ戻る生活を送っていた。
ドードーの村も立ち寄った村の一つだった。
「これが、村?」
目の前にあるのは発展した街。大きさもあり、街を囲うように外壁がある。村を守る為の簡素な壁とは違う。
「私が来た時は確かに村だった。凶暴な魔物が現れたら近くの街へ行って冒険者に頼るような力のない村」
それが小さな村の宿命だった。
辺境に作られた村に常駐してくれる力のある冒険者などいるはずもなく、街へ駆けつけて助けてもらうしかない。
ただし、冒険者に依頼するには大金が必要となる。ギリギリまで迷った末に助けを求める前に魔物の力で滅ぼされてしまった村はいくつもある。
イリスもその時に偶然だが近くの街にいた。報酬はCランクの冒険者ですら受けるような金額ではなかった。だが、功績を欲してイリスは人助けで村を襲っていた魔物を倒すことにした。
そういったことで名を売り、評価されることがランクを上げる最も確実な方法である。
「それが今は街にまで発展していたみたい」
「10年で大きくするなんて……何かきっかけがないと不可能だぞ」
街の門を押すと奥へ大きく開く。
ドードーの街は門から真っ直ぐ伸びた道がある。それも村にある均されただけの道ではなく、きちんと舗装された街の道だ。それだけでも『街』と評価するには十分だ。
ここもイリスによれば決定的に違うらしい。以前は農場を営む小さな村で、中心には集会所となる広場があったが、そこへ辿り着くまでの道は砂利道だった。
「それにしても人の気配がないな」
街へと意識を向けてみるが、街があるだけで人の反応を捉えることができない。
試しに近くにあった民家の扉を開けて中を覗いてみる。
「飲みかけのカップ。それに料理の準備でもしていたのかな」
キッチンには食材が用意されていた。
ただし、カップに入っていたであろう飲み物は蒸発して跡が残っているだけであり、食材は萎れてしまっている。かなりの時間が経過していることは簡単に予想することができる。
「とくに怪しいところはないな」
「誰かがいればいいんですけど、人の気配がないですね」
「……いた」
シルビアの【探知】では誰も捉えることはできなかった。
だが、庭に面した窓に近付いていたアイラが人の姿を目にした。
「……人?」
同じように庭を見たが、そこにいたのは幽霊のように向こう側が透けて見えるほど半透明な体をした人の形をした『何か』だった。
シルビアの方へ顔を向けてみるが、首を横に振るだけだった。
人の気配が全くしない。それどころか『ある』という気配すら希薄で、視覚に頼る以外の方法が見つからない。
幽霊のような人は、こちらに背を向けているが背格好は大人の女性だ。
「なるほど。どうやら子供を守った母親みたい」
女性の正面に回り込んだイリスが言う。
同じように正面へ移動すると、女性の腕の中に5歳ぐらいの男の子が抱えられるようにいるのが分かる。
何かがあった。母親として庭にいた子供を守ろうとしたが、結局は子供まで巻き込まれて同じ状態になってしまった。
「方向からして街の中心で何かがあったのでしょう」
メリッサが目を女性が背を向けていた方へ向ける。
固まっている女性の眼前に手を翳して振ってみるが、女性が反応してくれることは全くない。
「何かがあったのは間違いない。けど、中心部へ行かないと何も分からないみたいだな」
全員が頷く。
同時にサッと俺を守るように囲む。不可思議な空間を探索する時の陣形だが、俺の【世界】が欠かせない状況では離れるわけにはいかない。
動きは制限されてしまうが仕方ない。
☆ ☆ ☆
「やっぱり誰もいませんね」
露店の前で呟くシルビア。
しかし、彼女の前にある露店では果物を売っていた大柄な男性が空に向かって手を翳した状態で半透明な体になっていた。
ここに到着するまでに何人もの人間がそのようになっているのを見ている。
「外から気配を察した時は、人の気配を全く感じませんでしたけど、どうやら街にいた全員から気配が薄れていたせいで感じ取ることができなかったみたいです」
建物の中にいる人も例外なく時間が停止したように動けなくなっていた。
中には危機を察知して親に地下室へと押し込まれた子供もいたが、その子も例外なく停止させられていた。
「あった」
街の中心部へと辿り着いたイリスが見つけた物。
それは、真っ白な大きな扉。
「見た事のある奴だな」
「見た目は完全に私たちの迷宮の最下層にある物と同じでしょう」
街の中心にある広場に設置された扉。
後ろには噴水があり、強い光から守る為に手を翳して目を細めているが、談笑していたはずであろう奥様たちの姿がある。
明らかに普段の光景とは異なる。
「調べるならこの扉だな」
「待って」
手を伸ばしたところでアイラに呼び止められる。
「扉の向こうに何があるのか分からないんだから、あんたが開けるのはさすがにマズイでしょ。こういう時こそあたしたちが動かないと」
俺の前に出たアイラが扉を押し開ける。
「あ……」
体を滑り込ませられるぐらいの広さまで開いたところでアイラの手が止まる。
扉の向こうには6つの首を持つ龍がおり、扉が開けられたことに気付いてこちらへと顔を向ける。
「あはは……」
アイラの口から乾いた笑いが漏れる。
両者の瞳が交差する。目と目を合わせただけで、ドラゴンが強力だと判断することができる。
そして、それはドラゴンも同じだ。瞳に敵意を漲らせると6つの首全てが口に魔力を集中させてブレスを生み出す。
「閉じろっ!」
「……っ!!」
アイラが咄嗟に開きかけていた扉を閉じる。
完全に閉じられる直前にブレスが放たれたようだが、扉を隔てたこちら側には一切の影響がない。
「大丈夫か?」
「なんだったの、今の……?」
怪我はないようで突然の攻撃に驚いているだけみたいだ。
「ヒュドラ。神話の中にしか登場しないような魔物で、私たちでも命懸けで戦わないと手に負えないような相手」
「知っているのか?」
「知っている……? 私たちには【鑑定】がある」
【迷宮魔法:鑑定】――迷宮内で使用した際には魔物や物、ありとあらゆる存在に対して情報を読み取ることができるようになる。ただし、迷宮外で使用した際には迷宮から持ち出された物や関係者のみしか対象にすることができない。
今いる場所は迷宮ではない。その証拠に街にある物や半透明な人に対して使用しても何の情報も読み取ることができない。
しかし、イリスは扉が開けられた数秒の間にヒュドラを【鑑定】の対象にすることができた。
「考えられる可能性は二つ。一つはヒュドラが迷宮の力で生み出された魔物だったから。まあ、ヒュドラなんてレベルの魔物は迷宮の力でも使わないと生み出されないだろうから納得できるけど……」
おそらく理由はどちらも正しい。
「この扉の向こうが迷宮だったから使えた。そうでしょう?」
広場の反対側へと視線を向ける。
半透明な人々の放つ希薄な気配に紛れてしまったのか姿を認識したことで相手の気配を捉えることができるようになった。
「こっちで人の動きがある……てっきり誰か適応できたのか思ったが、お前たちだったのか」
「ゼオン……!」
眷属の全員を引き連れたゼオンがいた。