第24話 裏取引
レジェンスの地下には水路が迷路のように巡らされている。都市の発展に伴って地下水路も拡張された結果、地図はあるものの正確な道順を把握している者は誰もいない。
そんな場所だからこそ日陰者たちが身を隠す場所となっている。
黒いスーツを着た男性が地下水路を歩く。上質な革靴の奏でる足音が静かな空間に響き渡り、客の来訪を先に来ていた者に告げる。
「随分と体調が悪そうですね」
男が地下水路の一角を部屋のように利用していた女性に尋ねる。
「ああ。パスリルかい」
女性――老婆の姿をしたミスティが視線だけをパスリルへと向ける。
「よく、ここが分かったね」
「貴女の本当の依頼主から教えてもらいました」
貴女――紅鮮血ではなく、ミスティの個人的な依頼主。
「口が固い方だと思っていたんだけどね」
「あの方は表舞台に現れるつもりがないようです。だから別々に依頼を引き受けた私たちであっても、疲弊した貴女を心配して私に見てくるよう言ってきたのです」
パスリルとミスティは同じ相手から依頼を引き受けている。
だが、依頼の内容は同じであっても別に受けており、相手の依頼がどうなろうと知ったことではなかった。
「それにしても本当に大丈夫ですか?」
「……無理をすれば大丈夫だけど、数日は魔法を使うのも厳しいだろうね」
肉体的な問題は何もなかった。
しかし、老いた体には精神的なダメージだけであっても深刻な影響が肉体にも及んでいた。
「倉庫で何があったのかは聞きました」
パスリルは直接関与することなく、倉庫でどのような戦闘が行われたのか情報を集め、自分に捜査の手が及ぶ前に姿を眩ませた。
地下水路の可能性を考える者はいるが、広大な空間の中で特定の相手を見つけるのは至難だと相手も分かっている。
「あれは誰だったのですか?」
あれ、というのはマルスと戦っていた人物。
マルスに殺されたミスティだと思われる20代の女性の遺体は商業ギルドへと引き渡され、体が検分されることとなる。
だが、本物のミスティはパスリルの目の前にいた。
「あれは影武者だよ。レジェンスで娼婦をしていたところを偶然見つけてね。緊急時にはアタシの身代わりをするよう魔法を掛けていたんだよ」
「彼女を選んだ理由は?」
「アタシの若い頃にそっくりだったからだよ」
パスリルは以前に一度だけ見せてもらったことがある。
たしかに若い頃のミスティの特徴を掴んでいると言っていい。
「亡くなった彼女の方が美人でしたけどね」
「そうかい」
疲弊したミスティは反論しない。
もし体調が万全だった場合には怒鳴り散らして反論していたことだろう。
「影武者をアタシだと認識させる為には魔法を使う必要があったからね」
遠距離からでも魔法の発動を可能にする魔法道具をミスティは所持している。
距離に制限はあるが、彼女たちが今いる場所は戦闘のあった倉庫からそれほど離れていない場所だ。距離的な制限は問題にならなかった。
「ただし、感覚を同調させすぎた」
人を死に至らしめるほどの攻撃を影武者が受けた。
本物のミスティ自身の体にダメージはなかったが、痛みはそのままにミスティを襲うことになった。
「それで、この体たらくですか」
しばらくは活動できることができそうにない。
仮に今の状態で襲撃されれば何もできず捕まることになる。
「これでも本気で戦ったんだ」
敗北した時の保険として、死を偽装する為に影武者は利用した。
それでも全力で戦ったのは間違いなかった。
「それだけ彼らが強かったということでしょう」
死者4名、捕縛2名。
強い力を持つはずの傭兵団が為す術もなく倒された。
「アンタはこんな所にいていいのかい?」
戦闘があった倉庫にはトレイマーズ商会に雇われている証拠がいくつもあった。兵士が押し寄せてきたのだから、証拠になる品々は押収されている。
罪状は――危険物の売買。
呪剣を始めとして、トレイマーズ商会は扱い次第では都市を壊滅させる危険性のある道具をいくつも所持していた。
それらは所持しているだけで罪になる。
トレイマーズ商会の主であるトリトンは証拠を残さないよう危ない商売を慎重に行っていた。
ただし、最も信頼していた裏切られた場合は無駄に終わる。
致命的な証拠をパスリルは敢えて残しておいた。
「ええ、父は逮捕されることになるでしょう」
地下水路へ逃れる前には確認できなかったが、戦闘があった時からかなりの時間が経過しているためトレイマーズ商会の会長逮捕に踏み切っていることは簡単に予想できた。
だが、パスリルに悲壮感は全くない。
「いいのかい?」
「はい。私にトレイマーズ商会を継ぐつもりはありません」
商人の心得などを父親から教わっていた。
全ては商才のあったパスリルを次期商会主にする為。天才的な稼ぎを見せたトリトンも老いには勝てず、息子に商会を任せると悠々自適な老後を過ごすつもりで計画を立てていた。
ただし、その教育方法がパスリルを歪めた。
「父は自身がどのように商会を大きくしたのか自慢していました」
時には邪魔となる者を葬り、必要とあれば賄賂も厭わない。
トリトンを反面教師としたパスリルは嫌気が差していた。
「私は依頼を果たしました。今頃は父の失脚をきっかけに多くの混乱が広がっていることでしょう」
「結局、成功したのはアンタの方だったわけだ」
ミスティは傭兵団の力で武力による混乱を齎すつもりでいた。
ただし、それもマルスたちの訪問によって失敗に終わってしまった。
「貴女の協力は必要不可欠でしたよ」
「まさか、毒を盛ることでこんなことになるなんて思わなかったんだよ」
初日にメリッサに盛られた毒。
あれはミスティが用意し、姿を【幻影魔法】で変えてウェイトレスに渡した物だった。
そして、その指示を出したのはパスリルだ。
「貴女たち傭兵団が冒険者マルスのパーティと戦ってくれたおかげで火種は生まれました。そして、その火種は今も大きくなっている」
マルスたちは傭兵団を壊滅させたことで解決に向かっていると思って安心していた。
しかし、実際のところは別の場所で大きな炎を生み出すきっかけとなっていた。
「おめでとうございます。あの方から報酬の一部を渡す、という伝言を預かっています」
「おおっ、それはありがたいね!」
「自らの組織した傭兵団を失った人の顔ではありませんね」
ミスティは年甲斐もなくはしゃいでいた。
「あれは若い頃のアタシが楽しむ為の組織だったのさ」
メンバーも傭兵団を組織した時とは様変わりしていた。
だから思い入れのない傭兵団を使い捨てるのに躊躇はなかった。
「では、私は失礼します」
「どこへ行くんだい?」
「せっかくこれから大きな騒ぎが起きるのです。どうせなら見物したいではないですか」
パスリルの目は子供のように輝いていた。
「まったく……人のことは言えないよ。金の為に親を見捨てるような奴にここまで栄えた都市はボロボロにされるわけだね」
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