第20話 鮮血の倉庫 ⑦
倉庫の中心でポツンと立ったノエル。
周囲には箱が置かれていて隠れることはできるものの、ノエルがいる近くには隠れられるようなスペースはない。
それでも周囲を警戒し、錫杖を振り上げる。
すると、何かを叩いた感触がノエルに返って来る。
「チッ」
舌打ちがノエルの耳に聞こえる。
「子供がそんな態度を取るものじゃないよ」
「うるさいな」
「あははっ」
呪剣と似た態度。
やはり、子供だなと思いながらルーランと向き合う。
「……!!」
「どうやら新しい隠れ方を身に着けたみたいね」
ルーランがハイドローブを纏っていないのはノエルにも分かった。
それでもルーランの姿は消えている。
「けど、わたしの感知能力をすり抜けることはできていない」
ノエルの感知能力は、ルーランの中にある女神ティシュアの気配を感じ取ることによるもの。
そのため隠れる手段を変えたところで、隠れ切れるわけではない。
「それよりもわたしが気になるのは……」
再び錫杖で防御すると斬撃が迸り、ノエルの頬を掠めると血がわずかに流れる。
「それ、爪でしょ」
ルーランが攻撃に用いているのは剣のような刃によるものではなく、猫の獣人らしく爪を用いた斬撃。
前衛の戦士としてステータスを鍛えた獣人の中にはドットのような鉤爪ではなく、自らの爪を武器とする者がいる。
ただし、幼いルーランでは体が発達していないため武器として利用するには不十分なはずだ。
今の姿を見ることができていない。
だが、何らかの異常が起きているのは間違いない。
そして、さらに気になるのが新しい隠れ方だ。
「……そんな姿でいると風邪を引くよ」
錫杖で叩いた時の感触が爪以外は柔らかい肌で、一切の衣服を纏っていないのが分かった。
どうして、そんな姿でいるのか。
相応の理由がなければ戦闘中に裸でいる意味などない。
「服が邪魔だったからでしょ」
錫杖を突き出せば体を掠める感触がある。
音を耳にすることはできない。だが、慌てて離れて行っている気配をノエルは感じ取っていた。
「どうして……」
「昨日の段階でそんな能力は持っていなかった。どうやってそんな能力を手に入れたのか教えてくれない?」
ハイドローブと同じ能力。
凡その予想はできていたが、ルーラン自身の口から聞きたかった。
「そっちじゃない!」
ルーランは未だにノエルに自分の位置が知られてしまう理由が分からず困惑していた。
ハイドローブを纏っていた時以上の隠密能力を手に入れることができた。以前は姿を消すだけだったが、今は自らの存在を極限まで消している。自分から発さなければ音や気配は発生しない。
――そのように説明を受けていた。
「ま、わたしも結果から予想することしかできないけどね」
女神ティシュアの姿を心に投影することができる、ということは女神ティシュアを信仰していた可能性が高い。
だが、女神ティシュアの信仰はノエルが『巫女』を辞めると同時に急激に廃れていった。今では昔を覚えている一部の人が、今も信仰しているだけだ。
ルーランの年齢を考えると女神ティシュアを信仰していたとは思えない。
「お父さんとお母さんは?」
「……知らない」
こんな所で傭兵団と行動を共にしているのだから両親が傭兵団にいなければ離れ離れになっているのは間違いない。
なら、ルーランについて確かめる術はない。
「きっとお父さんとお母さんのどっちかが熱心な信者だったんだよ」
ルーランが覚えていない幼児の頃は両親と一緒になって祈りを捧げていた。
無自覚な祈りだったが、たしかに祈りを捧げていた。
「わたしは、あんな人たちのことなんて知らない!」
存在が消えていることも忘れてルーランが叫ぶ。
女神ティシュアの存在に頼らなくてもルーランの位置をはっきりと捉えることができた。
ただし、ノエルははっきりと感じられるようになった気配に向かい合うだけで何も攻撃をしない。
ルーランの言葉を待っている。
「わたしを捨てた人たちのことなんて、知らない」
両親と過ごしたであろう記憶はある。
だが、両親がどんな人物だったのか日々の記憶どころか顔すら覚えておらず、気付いた時にはミスティに拾われていた。
親と離れ離れになったことで『捨てられた』と思い込むようになっていた。
「こんなところにもわたしが『巫女』を辞めた問題があったか」
『あれはノエルの責任ではないでしょう』
ノエルと女神ティシュアが消えた後、国は大きく荒れることとなった。
そんな混乱の中で親子が生き別れになってしまうのは珍しい話ではなく、行く宛を失った子供はスラムで貧しい思いをすることになった。
そういった子供たちに比べれば、ミスティに拾われたルーランはある意味では幸せだと言えた。
「たしかにそうなんだけど……」
国をまとめるはずの貴族が私利私欲に走り、国も彼らの暴走を止めることができなかった。
結果、ノエルは彼らが望んだように表舞台から去ることにした。
ただ、『巫女』の退場によって神までいなくなるとは想像できなかった。
貴族が愚かな選択をした結果で、ノエルに一切の責任はない。
それでも心優しいノエルは見捨てることができない。
「よかったらアリスターに来ない?」
「なにを……あ、いたっ!」
見えない相手に向かって錫杖で叩く。
これまでエルマーだって保護したし、今さら子供が一人増えたところで負担が大きく増えることはない。屋敷に迎えることができなかったとしても、アリスターなら庇護下に置いて育てることができる。
少なくとも傭兵団にいるよりは真っ当な生活をさせたかった。
「ふざけないで!」
ただし、その言葉はルーランにとって今さら過ぎた。
「今まで……これまでにわたしがどれだけの人を殺してきたと思っているの!」
ハイドローブに対して高い適性があった。欠点も気付いた時には備わっていた探知能力のおかげで問題にならない。
非力なルーランでも簡単な練習だけで暗殺が可能となった。
拾ってくれたミスティへの恩返し、さらに何をすればいいのか分からないほど幼かったため言われたまま行動するしかなかった。
しかし、成長するにつれて自分がとんでもないことをしていることに気付いてしまった。だが、仲間は戦闘狂ばかり。仲間の中では自分が異質であると理解していて、何も言えずにいた。
「大丈夫。反省しているならやり直せるよ」
分別のつかない子供だったのだからやり直せる。
これが大人だった場合には問答無用で錫杖を貫かせていたところだったが、子供が相手ということで甘くなっていた。
「……本当?」
「うん」
安心させるため満面の笑みを浮かべる。
ペタペタと近付く音がノエルの耳に届く。今のルーランは靴も履いていなかったため裸足による音が響く。
「えっと……」
「ルーランちゃんが望むならわたしのことをお母さんだと思ってもいいよ。狐と猫なら似ているし、娘たちとも仲良くできるんじゃないかな」
バッ、と懐へ飛び込む。
ノエルも受け入れるべく手を広げている。
「……馬鹿な人」
鋭い爪を伸ばすと強く振る。
倉庫に鮮血が舞い、ノエルの体が床に倒れる。
5月4日(火)スタート!
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