第10話 姿なき猫耳少女
全身をすっぽり隠してしまうローブ。
魔法道具であるローブ――ハイドローブには特殊な効果があり、ローブを周囲の光景に溶け込ませることで誰もいないように見せることができる。
誰に気付かれることもなく近付くことができる。
まさに暗殺に適した魔法道具だった。
だが、その魔法道具には欠点があった。
顔まで覆ってしまうため外の景色を確認することができなくなってしまう。
誰にも見られることがないが、同時に自分も見ることができなくなる。暗殺の為に接近しているつもりでも見当違いな場所へ進んでいることがある。
ただし、ヴォルクの相棒である暗殺者はそのようなミスをしない。
フードの内側でピクピクと動く猫耳が外の様子を捉える。見ることができなくても、外の様子が手に取るように分かる。
「しとめる」
ローブの隙間からナイフを持った手を一瞬だけ出して、ノエルに向かって投擲する。
マルスたちパーティの情報は得ている。その中でもノエルの脅威度は低い。真っ先に狙う必要はない。
「だけど……」
なぜか狙わずにはいられない。
それどころかノエルから意識を逸らすことができない。
発射地点の見えなかったナイフが弾かれる。
「アイラ、建物の方に向かって8メートル進んで斬って」
「……いないわよ」
「もう少し奥」
ノエルの指示に従って剣を振り下ろしたアイラだったが、姿が見えない暗殺者には当たらない。
商業ギルドの壁を背にすると腰から改造したボウガンを取り出す。
小柄な暗殺者――ルーランでも扱うことができるよう改造された小型のボウガンだ。同様に小さく造られた矢を装填すると、ノエルへ照準を合わせる。
「……!」
やはりおかしいことに気付いた。
まずは魔法使いであるメリッサから仕留めようとしているのにノエルから狙わずにはいられない。
未だに脅威には感じない。
なにせノエルは最初の位置から大きく動くことなく、体を何度も跳ねさせておかしな行動を続けているだけだ。
直接攻撃してきているアイラの方が脅威に感じるのが自然なはずだ。
「もう、いい……」
ボウガンから矢が放たれる。
狙いはノエルだ。どうしても狙ってしまうと言うのなら、ノエルから倒せばいいだけの話だ。
ノエルの目は少しズレた場所へ向けられ、ボウガンで狙われていることに気付いていない。
ローブから一瞬だけボウガンの先端を出して矢を放つ。
ズレた場所を見ているノエルは気付いていない。
「そっちか」
矢が届く直前になって錫杖を振り、飛んできた矢を落とす。
「!?」
ノエルの動きがルーランには信じられなかった。
直前まで――矢が飛んだ瞬間には気付いていなかった。だが、まるで誰かに教えられたように反応した。
「ううん、ちがう」
何かがノエルの側にいる。
直感から妙な存在を感じ取ったルーランだったが、すぐに逆だという事実に気付いた。
「わたしが気付くのはマズイ……!」
はっきりと存在を認識してしまった。
『どうやら気付いたみたいですよ』
『好都合じゃない。わたしにもはっきりと感じ取れるようになってきた』
念話で会話をするノエル。
彼女が話をしている相手は女神ティシュアだ。
「獣人だったのは好都合」
軽く跳ねることで小さな舞を見せる。
動きを視界に捉えただけで、ルーランはノエルのスキル【舞踊】に囚われてしまう。
【舞踊】に【ティシュア神の加護】を組み合わせることで、舞を見た相手にティシュア神の存在を刻み付けることができる。
姿を消しているルーランの存在を感知することはできなくても、ルーランの心に刻まれた女神ティシュアの存在をノエルは感知することができる。
「そこ!」
錫杖を手に駆けるとルーランに向かって突き出す。
「あ……」
突き出した錫杖が商業ギルドの壁を砕く。
「ちょっと何やってるの!?」
「ごめん、ずれた!」
壁を傷付けてしまったことを咎めるアイラにノエルが謝る。
その光景にルーランは自分たちのことなど脅威に感じていないのだと改めて思い知らされた。
恐怖は心に隙を生み出す。
「あっ、さっきよりもはっきりと感じることができるようになった」
先ほどの攻撃をギリギリで回避することができたルーラン。だが、ルーランの体の大きさを把握することができなかったためギリギリ当たる場所を攻撃されたため、どうにか回避することができたにすぎない。
壁から離れず、ゆっくりと後退るルーラン。
建物を傷付けてしまうことを恐れているなら、建物の近くに居続けた方が無事でいられる。
打ち払われた錫杖がルーランの頭上を通り過ぎて行く。
その先にあるのは――建物だ。
「あら?」
ピタッと無理に止まる。
壁に当たってしまう直前。
――チャンス!
両手に短剣を手にしたルーランが体当たりをするように飛び掛かる。ローブから飛び出した短剣を持つ手が見えてしまっているが、どうせノエルに位置が知られてしまうというのなら関係ない、と言わんばかりに見せつける。
げんにノエルの視線が短剣へ向けられる。
「くぅ……」
短剣が上から振り下ろされた錫杖によって弾かれる。
全力を込めた体当たりも通用しない。
だが、すぐに意識を切り替えると手もローブの内側に隠して全身を見えないようにするとノエルの前からすぐに離れる。
追えないよう無軌道な動き。
しかし、距離を詰めて突き出された錫杖がルーランの胸を叩く。
「かはっ……」
知覚することができている。
叩かれた時の衝撃で意識を失わないよう耐えながらノエルを睨み付ける。
「もう分かるわ」
「え……」
背後から聞こえてきた声に顔を振り向く。
声がした場所にいたアイラを見るよりも早く、首に回された腕の苦しみがルーランを襲う。
「殺気を出しすぎ、警戒しすぎ――なによりノエルから離れようっていう意図でバレバレ」
アイラは決して頭が悪いわけではない。戦闘においては頭が回るため、ノエルから少しでも離れたいと考える相手がどのような行動を取るのか考えることができる。
ノエルにばかり夢中になっているルーランはアイラの事を完全に忘れていた。
あとは逃げる場所で待ち構えていればいい。
「……本当にちっちゃな子供ね」
見えないままだが、小さな子供を抱え上げている感触がアイラにはあった。
自分の娘と比較して10歳ぐらいの子供が腕の中にいることを瞬時に悟った。
「ごめんね」
首を強く締めて意識を失わせようとする。
確実に捕らえる為にも、なにより小さな子供を相手にするのだから剣を使うような真似はできない。
「こ、のっ……」
消えそうになる意識を繋ぎ止めながらローブの内側へ必死に手を伸ばす。
ルーランの戦い方は基本的に姿を消すローブの能力に頼り、暗殺の道具を使用するというもの。本人の戦闘能力は決して高くない。
アイラの拘束から逃れるだけの力はない。
だが、一度きりの魔法道具がある。
「ぅ……」
問題は魔法道具を使うだけの力が残されていないこと。
「ごめん……」
諦めると離れた場所で戦うヴォルクを見る。
ちょうどマルスによって腕が切断されたところで、誰の目から見ても敗北しているのは明らかだった。
兄のような存在だったヴォルクが負けた。それは「あ、いっか」と少女に思わせるには十分な事実だった。
「アイラ!」
仲間を呼ぶノエルの悲痛な叫び声が聞こえる。
もう、どうでもよくなったルーランは気にしていなかったが、直後にはアイラの拘束から放たれて空中を舞っていた。
「くぅ……!」
着地の事なんて考えていない。
放り出されたルーランの体がヴォルクの側に落ちる。そこに落ちたのは偶然などではない。兄代わりであるヴォルクに助けを無意識の内に求めてしまったからだ。
「あなたも、まけたの……?」
自然とヴォルクに向けて言葉を発してしまった。
「ハッ、オレは負けてねぇ!」
だがヴォルクは諦めていなかった。
心の底では諦めていたが、妹分が近くにいるのに諦められるわけがない。
「こっからは3人だぜ」
「でも……」
ルーランは完全に諦めてしまっていた。
姿を消す魔法道具が通用しないのでは、非力な少女では太刀打ちする術がなく、心を奮い立たせることもできない。