第4話 母の想い出
「あら、お帰りなさい」
屋敷に帰ると母が掃除をしていた。
母は、父が行方不明になってアリスターに来てからはどこかの店で商売の手伝いをしていた。
俺が迷宮主になる前は、父に代わって自分が稼がなければならないと思った故の行動だった。
「お義母様は、冬の間だけ辺境で得られる特別に美味しい魔物という存在をご存知ですか?」
「ええ、もちろん知っているわよ」
俺に続いて屋敷に入って来たシルビアの疑問に答える母。
遺跡とは違って一般にも知られている辺境の事情らしい。
「俺も食べたことがあります?」
母の作ってくれた料理を食べて育った俺だが、貴族が冒険者に依頼を出してまで食べたがる美味しい食材を食べた覚えがなかった。
「ごめんなさい。うちの財政では難しかったわ」
唯一の稼ぎ頭であった父は小さな村の兵士。
兄が騎士になったおかげで仕送りもされるようになってそれなりの余裕を得ることができたが、それ以前は家族5人が生きていくのが精一杯だった。
「私がその食材を食べることができたのは、あの人と出会う前と結婚した年にあの人が奮発してくれた時ぐらいかしらね」
あの人――父のことを思い出しているのか笑みを浮かべていた。
とはいえ、食べたことがある人物が近くにいてくれたことは僥倖だ。
「立ち話もなんだから休憩にしましょうか」
掃除道具を置いてリビングへ移動するとリビングの掃除をしていたオリビアさんも休憩にしてお茶を頂くことにする。
家事をしている2人の姿を見ていると少し申し訳なく思う。
俺たちが住んでいる屋敷は広く、どちらか一人だけでは手が回らないことだってある。外に出て依頼をしている俺たちでは家事だけに時間を使うわけにはいかなかった。本当にオリビアさんが来てくれて感謝している。
まあ、同居人が増えた現状を考えると購入したのが屋敷でよかったと思う。
一息ついたところで母がお茶を淹れてくれる。
最近ではすっかりシルビアが淹れてくれるのが普通になって久しぶりに飲んだ母の淹れてくれたお茶だったが、なんだか安心させてくれる。別に特別なことをしているわけでもなければ、同じ茶葉を使っているはずなのに全く違う。
「それで、あなたたち今度は一体何をするつもりなの?」
これまでに迷宮主になったり、気付けば女性の同居者を次々と増やしたりしたせいで母が呆れていた。
「ギルドで魔力を内包した魔物の討伐が流行っているみたいだからそっちに参加してみようと思うんです」
討伐依頼が出ているわけではない。
なるべく綺麗な状態で確保して売って得られた資金が報酬になる。
そのため素人が簡単に手を出してはいいような依頼ではない。
「まず一言だけ断りを入れておくけど、私は昔に料理を食べたことがあるだけで狩りの方法なんて知らないからね」
「それでも何か役立つかもしれないから教えてほしいんです」
俺が頼み込むと昔の記憶を掘り出す為に腕を組んで考え始めた。
「私が幼い頃に食べたことがあるのはスノウウルフね」
雪が降った後で現れる魔物スノウウルフ。
ウルフということは、狼型の魔物だろう。
「とにかく普段食べていたお肉とは比べようがないほど美味しかったのを覚えているわ。お肉そのものは味が濃厚なだけじゃなくて歯ごたえもしっかりしている。それにお肉を煮込んで作ったシチューは絶品だったわね。ただ、その時の料理は私が調理したわけじゃなかったからレシピについては知らないわ」
どれだけ美味しかったのか想像もできない。
「次に食べたのは、あの人と結婚した年にクライスが奮発して買ってくれたスノウラビットね。スノウラビットは、私の方で調理したから食材を持ってきたなら同じ物を作ってあげられるわ」
「わたしも手伝います、お義母様」
料理の好きなシルビアが母からレシピを奪おうと考えていた。
「ふふっ、これで私の夢がまた一つ叶うわね」
「夢、ですか?」
「自分の娘や息子の嫁に私の料理を教えるのが夢だったの。最近は、クリスも私の料理を手伝ってくれているけど、本格的なことまでは教えていないわ。その点、シルビアさんなら心配もないわね」
「ええと……」
母に自分がどのように思われているのか知ってシルビアが狼狽えている。
俺からは何も言えない。
オリビアさんも複雑な表情をしている。娘が生き生きとしている姿は嬉しいが、その相手には他に2人もの女性がいるのだ。
「冗談よ。それより魔物の討伐に行くなら十分気を付けて行きなさい」
「分かっているよ」
普通の魔物よりも魔力を溜め込んでいるということは、それだけ強くなっているということを示している。俺たちなら簡単に負けるようなことはないだろうが、このような魔物討伐は初めてのことだ。慎重になる必要がある。
だが、今はそれよりも……
ぐぅ~
アイラのお腹から音がする。
「そろそろ昼食にはちょうどいい時間ね。あなたたちは、仕事があるんだから昼食は私が作ってあげるわ」
「ありがとうございます」
すっかりうちで食事をすることに慣れてしまったメリッサ。
「そういえば、母さんは普段何の仕事をしているんです」
詳しいことは聞いたことがなかった。
「教えたことがなかったかしら?」
「はい」
「私は元々アリスターの出身でね。実家に戻って実家が経営している店の手伝いをしているのよ」
本当に手伝い程度のことしかしていないので時間も自由に取れる。
アリスターに戻って来たばかりの頃は、実家に無理を言って働かせてもらえるよう頼み込んだらしいが、俺が迷宮主になって資金的な余裕ができたことで家族との時間を優先させたようだ。
「たしか実家との仲は良くなかったって聞いていた気がするけど」
「そうね。結婚する時に色々とあったから父は私たちのことを認めていないでしょうね」
母の父――俺にとっての祖父には一度もあったことがない。
以前、村にいた頃に疑問に思って尋ねたことがあるが、商人の娘であった母はいずれ祖父が決めた相手と結婚する予定になっていた。それが商売の関係でデイトン村に寄った時に父と出会った二人は、いつしか結婚するような間柄になっていた。
だが、それに反対したのが祖父だった。
相手は小さな村の兵士。
商人である祖父にとっては利益の生み出さない認められない相手だった。
だが、既に母の想いを止められるような段階にはなく、半ば勘当されるような形で父と母は結婚してデイトン村で過ごしていた。
正確な場所まで聞いていなかったのでアリスターに祖父がいるとは知らなかった。
「今度、あいさつに行った方がいいのかな?」
孫として会ってみたい気持ちはあった。
「そうね。勘当したはずの私を雇ってくれたのだって、私が娘だからって言うよりもあなたたち孫のことを考えてのことだったはずよ」
「そっか」
やっぱり挨拶には行った方がいいみたいだ。
相手から来ることはできない。父として勘当した娘の子供には会いに行き辛いだろう。
けれども、その相手がただの孫でなかったら?
「よし。せっかくだから食材を仕入れたら母さんの実家にも渡して挨拶に行くことにしよう」
冒険者として手に入れた素材を商人に売りに行く。
貴族が欲しがるほどの食材なのだから商人も利益を求めて手に入れようとしてもおかしくないはずである。
「悪いな。勝手に決めて」
「いいえ、ご主人様のお爺様ならわたしたちにとってもお爺様に等しい相手です」
「全部卸すわけじゃないなら問題ないんじゃない」
「それに商人との繋がりを持っておくのは悪いことではありません」
これから凶暴な魔物を相手にしに行こうと提案しているにもかかわらず、彼女たちに気負った様子はない。
なんとも頼りになる仲間だ。